吊られた男は罪人ではなく、苦行によって高みに到達しようとする修行者なのだそうだ。故にその表情は頭を逆さにしたまま吊られた格好でも苦しげには見えない。傍目からはドMにしか見えなくてもまあそういうことらしい、取りあえず、そういうことになっている。
獅子の口を押さえる静かな表情をした女性は、単純で直接的な力を制御するのには必ずしも同じかそれ以上の力が必要な訳では無いと物語っている。ただし、その制御はある意味で単純で直接的な力を振るうより遙かに難しかったりもする。
友人が、付き合っていた彼にいきなり『お前、自分が俺と同格の存在だと思っているんじゃないだろうな』と言われて一瞬で別れを決意したと言う。その損切りに対する慧眼と思い切りの良さを褒めると共に、そんな格下を彼女にした相手は何を考えていたのかと疑問を口にすると『上は下まで行けるけど、逆は身の程知らずの所業』と言われたとか。
すると、そんな格下の彼女に軽蔑と共に損切りされた彼氏は、一体今までどの辺の高みにいたのだろうと素直に思った。
すると、そんな格下の彼女に軽蔑と共に損切りされた彼氏は、一体今までどの辺の高みにいたのだろうと素直に思った。
昇り調子の時も有れば降り調子の時も有るのが運命の常だが、考えてみるとその根本は車輪軸という揺るぎない一点によって支えられて回転している訳で、それを逃れられぬ枷と嘆くか己に与えられた原点と考えるかは人それぞれだと思う。『人間(じんかん)万事塞翁が馬』という言葉も有るし、コレはもう洋の東西を問わない共通認識なのだろう。
作者註・元々の故事を調べていて『人間』を『にんげん』ではなく『じんかん』と読むと知って驚いた。『人の間』、つまり人生という意味なんですと。
作者註・元々の故事を調べていて『人間』を『にんげん』ではなく『じんかん』と読むと知って驚いた。『人の間』、つまり人生という意味なんですと。
どうしてだか知らないが自分は昔から「人とはやや距離を置いて暮らしつつ、たまにやってくる相談者に何事かを答えはするが、必要以上には世俗に関わらない」という暮らしに憧れ続け、現在はそれに近いと思われる生活を送っている。
村の古老、もしくは隠者か仙人のようだとは複数の友人談。
村の古老、もしくは隠者か仙人のようだとは複数の友人談。
大アルカナによる創作覚え書き。
左手に罪の重さを量る天秤、右手に罪人を裁く剣を携えた女性の表情は威厳に満ちて揺らぎが無いが、物語を書く際の正義は常に『誰かによる正義』であることを忘れてはならず、それによって天秤や剣の意味もまた変わってくる。
左手に罪の重さを量る天秤、右手に罪人を裁く剣を携えた女性の表情は威厳に満ちて揺らぎが無いが、物語を書く際の正義は常に『誰かによる正義』であることを忘れてはならず、それによって天秤や剣の意味もまた変わってくる。
大アルカナによる創作覚え書き。
二頭立ての馬車を操り驀進する軍人のカードは、私が友人の一人をカードで読むと結構な確率で出現する。大体において占いに類する行為を頼まれる事態からして依頼人に何らかの解決しなければならない問題が発生していることを意味する訳だが、その友人の場合、心身のバランスを著しく欠いて、普段なら容易い問題解決方法に辿り着けない事が多いようだ。
二頭立ての馬車を操り驀進する軍人のカードは、私が友人の一人をカードで読むと結構な確率で出現する。大体において占いに類する行為を頼まれる事態からして依頼人に何らかの解決しなければならない問題が発生していることを意味する訳だが、その友人の場合、心身のバランスを著しく欠いて、普段なら容易い問題解決方法に辿り着けない事が多いようだ。
大アルカナによる創作覚え書き。
男女二人の出会いは新しい世界創造の萌芽であり、物語の始まりでもある。それ故に脆く、大きく育つことは滅多にない。だが、そうやって打ち棄てられた思いの屍を苗床に、より強く強かな愛が育つ場合もある。
男女二人の出会いは新しい世界創造の萌芽であり、物語の始まりでもある。それ故に脆く、大きく育つことは滅多にない。だが、そうやって打ち棄てられた思いの屍を苗床に、より強く強かな愛が育つ場合もある。
大アルカナによる創作覚え書き。
皇帝とは違って物質面ではなく精神面の充実と導きを意味する男の纏う見事な衣装と杖を見ていると、どうしても十字架に掛けられた寂しげな目をしている白い衣を纏ったキリスト教の教祖と結びつかない。
皇帝とは違って物質面ではなく精神面の充実と導きを意味する男の纏う見事な衣装と杖を見ていると、どうしても十字架に掛けられた寂しげな目をしている白い衣を纏ったキリスト教の教祖と結びつかない。
現世の富と名誉を手にした筈の男は、硬く冷たい鎧を全身に纏い厳しい表情をしている。
栄光の只中にあるが故の逃れられぬ孤独と不幸にこそ、この偉大で哀れな男の真のドラマがあるのだと思ってしまう自分は、きっと人なのだろう。
栄光の只中にあるが故の逃れられぬ孤独と不幸にこそ、この偉大で哀れな男の真のドラマがあるのだと思ってしまう自分は、きっと人なのだろう。