あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

小石川植物園それから

2009年11月23日 13時30分51秒 | 漫画の日々
思うに、運行寺の年配の女性は、こうなる事を見越してああ言う冷たい言い方をして私を突き放したのではないか??
見つからないのがわかっていたから、棗の木を探すのを諦めるように遠回しに言っていたのではないか?
坂を下りながら、つらつら考える。
それくらい空しい…。

成果のないまま小石川植物園を出る。
と、鳥居が目に飛び込んできた。
あれ?
こんな処に神社があったっけ??
参道の奥に石段が見える。
なんとなく招かれてるような…。気のせいのような…。
でも気になるから行くべし!
登った処には今時の神社がありました。(トップ画像)
地元の人には神社の境内というより、本殿の右脇に伸びる道路の通り道なのか、足早に行き過ぎています。
と、とりあえず、神社に来たならお参りを。
お賽銭と2礼2拍1礼のいつものお参りと、神社へ来たならお約束の狛犬を撮影し、丸ノ内線茗荷谷駅へ。
あれれ?
何コレ!

こ、公園です。
名前は『カイザースラウテルン広場』(ゲルノト・ルンプ氏作:平成5年10月21日タイトル『神話空間への招待』)
遊びにくいのか、公園にありがちの親子連れの姿はない。
丸の内線をお茶の水駅で下車。
そこで撮影したのが先日紹介した聖橋です。
千代田線の新御茶ノ水駅にここで乗換え。あ!その前にニコライ堂が公開時間かも~と寄ってみたのですが、そこで公開が15時30分を持って終了済みだと知る。本日はとことん着いてませんね。
ちなみに、千代田線新御茶ノ水駅のホームは東京の地下鉄の駅でも変ってます。
上り下りのホームそれぞれに違うタイル絵が12カ月描かれてましてね。

こんな感じです。
そんなこんなでさんざんなお散歩でしたが、その夜夢に見たんです…。
『夢の中でも私は小石川植物園で棗の木を探していました。
やはり見つからず…。諦め切れない私はフェンスの外に目をやると、見下ろした畑に今にも崩れそうな塚があって、そこの崖に引っかかるように半分根っこを剥き出しにした木がありました。
その光景を見て、ああ、私は夢を見てるんだと思ったのね。だって、本物の小石川植物園の外は住宅地でして、そんな畑なんかないんですよ。
それでも夢の中のことなんで、お話は私の意思を無視して進みます。
私は植物園を出てその木の元へ。
すると、さっきまでは木だったのに、その木は棗はナツメでも「ナツメヤシ」に変化していました。
で、何を思っているのか、夢の中で私は畑に畝を作りまして、それはそれはニコニコと笑顔全開でナツメヤシの実を1個づつ畝に植え始めたんですよ。そりゃもう、燦々と降り注ぐお日様にもニコニコ顔があってね。(さすが夢)泥だらけになっても満足です』
確かにそれは夢だったんだけど、私は目を醒した時にとっても幸せな気持ちになっていました。
つーか、どうやら、あのようなことをしたくて玄中寺の棗の木にこだわって探していたんではないかと思うんですよ。
これが所謂深層心理って奴ですかね?
でも満足しちゃったんです。
探している木には会えなかったけど。
なんだか、あんまり可哀想になって最後にお参りした神社の神様が見せてくれた幸せな夢だって気がしましたが…。
何ドリーム語ってるんでしょうねえ。
つーか、こういう話でこういう幸せなオチがつくとは思いも寄りませんでした。
一連の事柄を漫画にしようかとも思いましたが、需要は全くなさそうなので、ブログに書いて自己満足で完結することにしました。
本日3個も長い話におつきあいいただた皆様、お疲れさまです。
明日からまたいつものお散歩へ戻ります。




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小石川植物園その2

2009年11月23日 06時48分59秒 | 漫画の日々
小石川植物園の本館受付にやって来た。
スーハーと深呼吸。
前回、ここのパソコンのデーターベースに探している木が入力されていないのは確認済み。でもでも、何か手がかりだけでも~と、先行き暗い状況で質問せねばならないのよ。
私「あの~、所在の知りたい木があるんですが…」
と、これこれこういう木を探している旨主張する。
係員のおじさん「う~ん。棗の木ねえ。あったかなあ…」
パチパチとパソコンに向う。
案の定、出て来ない。
係員のおじさん「ないねえ。うちにある棗の木は分類標本園にある1本だけだよ」
私「いえ、あの木は探してる木じゃないんです。あれ、若い木ですよね。私の探してるのは、戦後すぐにここに移植されてるから、少なくとも50年前にここに入って来てます」
係員のおじさん「…50年前?」
ええ、それがネックなんです。
50年前に植えられた木ともなると、データー化されてないんですよ。
私「棗の木は中国原産なんで、それが集まってる区画を教えて下さい。後は自分で探しますから」
係員のおじさん「気の毒だけどねえ。昔はね、原産地や樹木の種類によって植える場所を決めて植栽してなかったんだよ」
私「ええっ!!」

そ、そんなあ~…。
最後の望みだったのに…。
係員のおじさん「もしかしたら、非公開の方にあるのか?そしたら、データーベースに出て来ないし…」
小石川植物園には、一般立ち入り禁止区域なあるのです。主に本館周辺と北側の温室とシダ園の周辺。それと分類標本園の南の斜面。
私「それはないと思います。運行寺の住職が以前訪れて見たっておっしゃってましたから…」
係員のおじさん「……もしかして、手入れしている職員さんに聞いたらわかるかも?」
!!本日始めての朗報です。
私「ほ、本当ですか!?」
係員のおじさん「彼等は日々この植物園を手入れしているからね」
私「ど、どどどこへいけばいいですか!」
係員のおじさん「いつもそのへんに…。あ、あそこ」
と、教えられたのは、剪定した木を荷台に積んだ軽トラックです。
私「ありがとうございました。尋ねてみます!」
いそいそと先を急ぐ。
私「すみませ~ん」
と、再びこれこれこういう云われのある棗の木を探している旨を説明し、植物園で見かけたことはないか尋ねる。
職員さんその1「棗の木?」
私「分類標本園に1本あります。こう小さい赤い実が今なってます。あれと同じ木があるハズなんですよ」
職員さんその1「う~ん。見た事ないなあ…。私まだここ浅いんだよねえ。古株の人なら知ってるかも?もう休憩時間だから、戻ってくるよ。ちょっと待っててね」
と、職員さんその1は古株の職員さんに尋ねるために控え室がある場所へ行ってしまいました。
うう、あんなに特徴的な木を覚えてないはずはない。
もしかして…。
もう、か、枯れてしまってるの?
嫌な考えが脳裏を霞める。
グルグルしていると、そのうち、古株の職員さんも戻って来た。
3度、これこれこういう云われのある棗の木を探してます。園内で見かけたことないですか?
古株の職員さん「棗の木ねえ~…」(沈黙)
うう…。やはり、や~は~り~、ないの??
古株の職員さん「ちょっと待ってて」
と、古株の職員さんは本館へ。そしてデーターベースに当る。
古株の職員さん「あ、B-5にサネブトナツメがあるけど」
私「それ、別の木です。あれって、吉宗の時代に入って来たやつですよね」
小石川植物園は8代将軍徳川吉宗の時代、小石川養生所が設置されてまして、植物園には旧養生所の井戸の跡があったり、青木昆陽が甘藷試作をしたりしたんですよ。
で、漢方として植えられたのがB-5にあるサネブトナツメでして、実物はこんな感じ。

一辺木は倒れてしまいましたが、頑張って生きています!って感じだよねつ
植えられた時はそんなことなかったのでしょうが、今や周囲は巨木に成長。お日様が充分に届いておらず、可哀想な感じです。
吉宗由来の木ですらこんな有様ですから、探している木がどんな状況で植えられているのか…。
確か住職は「周囲の木が立派で樹齢が50年以上経っていてもあまり大きくない」木だとおっしゃっていたような…。

結局、30分くらい粘って、結論は「うちに棗の木はない」しかし、「分類標本園にある木はだいたい園内で採取した種や挿し木で増やしたものだから、元々はあなたが探している木だったのかもしれない」とのことでした。
うう…。
色々予想していた中で、悪い予想が当ってしまいました…。
取りあえず、ひょっこりやって来た単なる客に30分も時間を割いて探していただいたお礼を言って本館を離れました。
がっくり…。
肩をかかとまで落とし、とぼとぼと向った先は分類標本園。

樹高約3.5メートル。
やっぱりこれは若木だ。とても樹齢50数年には見えない。第一、運行寺の住職が言っていた「日当りの悪い所に植えてある」に合致しない。…でも、もしかしたら、この樹は私が探している木の子どもかもしれないんだね…。
しばらく眺めてたらお腹が減って来た。そこで昼食に。
ええ、お昼はとっくに回ってますが、区切りが着くまで食べる気にもならなかったんですよ。
桜並木に並ぶベンチの一つに腰掛け、いつものパンとお茶で腹を満たす。
カアカアカアと、カラスがエサを奪い合って追いかけっこしている。
(ねえ、園内を自由に飛び回るアンタ達なら知ってるよね?棗の木を知らない?
赤くてね。梨とリンゴを足して2で割ったような味なんだよ。絶対知ってるよね。教えてくれたら、私のお昼ごはん全部あげてもいい…)
(知ってる?こういう実なんだけどね)

と、ドリームなことを考えてみたり…。

さて、小石川植物園にある有名な木を紹介しましょう。
撮影は2008年5月の訪問時。今回は落ち込みが激しくて、まともな写真がないの。
まずは●メンデルのぶどう

中学か高校の生物で一度は勉強したことがある。植物の優性遺伝。そこに登場するのがメンデル先生。
かのメンデル先生が実験に用いた由緒ある葡萄を分株したものです。
このぶどうは小石川植物園第2代園長の三好学教授が、大正2年(1913)にチェコスロバキアのブルーノにメンデルが在職したケーニギン修道院を訪ね、旧実験園に残っていたブドウの分譲を申し出、その翌年に送られて来たものです。
つまり、本物なんだね。
へえ~。
次。●ニュートンのリンゴ

ニュートンと言えば「万有引力の法則」です。
それはニュートン先生がりんごが木から落ちるところを見て発見したんですよ。
その木は接ぎ木され、世界の科学に関係ある施設に分譲されました。
小石川植物園にあるりんごは、その中のイギリスのものを日本の柴田雄次博士に贈られたものを接ぎ木したものです。
…木はいいよな。接ぎ木でどんどんコピー出来るから。偽物じゃないんだよ。だから「ニュートンのリンゴの木」は小石川植物園にもあります。
次。●明治29年に精子を発見したイチョウ
あれ?しゃ、写真はどこだ!写したと思ったのに…。な、な~い!
実はイチョウって植物学上では貴重な木なんだって。日本には大量にある普通の木なんですけどね。

それでもまだ諦め切れず、私はなんとなく気配を感じるC-5&C-6地点を中心に辺りをうろうろしてみる。
あるなら、この辺りの気がしきりとするんだ…。
手がかりがなにもないなら、勘に従ってもいいだろう?と、根拠なしで棗の木を探しまわったのですが、やはり簡単に発見出来るものではなく…。
ちっ!
今年も完敗だぜ。
と、敗北宣言をして帰宅すべく坂を下りました。

秋の夕暮れはつるべ落とし。
早く戻らないと、帰る頃には真っ暗な時間帯です。
でもススキは綺麗です。
へこたれた心を癒してくれます。


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小石川植物園

2009年11月23日 05時07分09秒 | 漫画の日々
丸ノ内線茗荷谷駅から徒歩で小石川植物園へ。
前回は北側の白山駅で下車して、あまりの坂にすんごく大変だったので今度は南側の茗荷谷から行くことにした。
桜で有名な播磨坂を下り、植物園の入口へ。
『小石川植物園』
開園日時:1月4日~12月28日 午前9時~午後4時半(入園は午後4時まで)
温室公開は火曜~土曜 午前10時から午後3時(祝日は閉室)
休園日:月曜日(祝日の場合は、その翌日)
入園料:大人(中学生以上)330円、小人(6才以上)110円 団体割引あり

さて、ここが目的地だったのは、ある木を探すため。
これがこんなに大変だったとは…。
実は2度目の挑戦です。
まず、前回2008年5月27日の奮闘を確認して欲しい。
小石川植物園
という事で、前回は棗の木を探せなかったのです。
さすがにあれ程広い敷地の中で、1本の木を探す困難さは予想通りでして、しかも!
5月だと特徴的な実もついていない。だから実のなる秋に行こうと思っていたのですが、ええ、あの直後、2008年5月28日に脳梗塞を発症してぶっ倒れてしまいました。
今思えば、白山駅からの登り坂でギブアップ寸前まで辛かったのは、相当具合が悪かったためなのですが、まさか己の身体がそんな状態だとは思いも寄らず…。アホウにも病院へ行かずに倒れちゃったんですよ。
幸い症状は軽く、1ヶ月の入院で済んだのですが、1月もほぼベッドの住人だったおかげて体力が激減。とても去年の初秋の頃は園内に坂だらけの小石川植物園を再訪する体力は戻ってませんでした。
なので、今年の秋、改めて小石川植物園を再訪したのです。
その前に、運行寺の和尚さんに『棗の木の所在』を聞いてからでないと見つけることは出来ない。と、今度は小石川植物園で売っている大きめの地図を持参して始めに浅草の運行寺さんへ向ったのですよ。
が!
和尚さんは不在でした。
応対して下さったのは年配の女性。
私「中国の山西省の玄中寺の庭の棗の実をこちらの先代の住職が静岡の横山大観に育ててもらった木を探してるのですが…」
女性「あの木はもうこちらにないんですよ」
私「ええ、知ってます。前回、こちらの住職に伺いました。それで小石川植物園に移植したと伺いまして」
女性「ええ、そうです」
私「今日、小石川植物園の地図を持参しましたので、移植した場所を教えていただきたいんですが…」
女性「わからないんですよ」
私「はっ!?
女性「私も場所がわかれば見に行きたいんけどね」
まてまてまてまてまて!
確か以前お寺の住職は場所を知っている感じだったのに。
なんで~?
いや、どこかのブログに浄土宗の祖庭のお寺繋がりで運行寺に訪問した人が、住職と共に件の棗の木を見たと書いてあったし…。
運行寺さんは別名『なつめでら』と言って、それはこの棗の木に由来しているハズです。なのに、肝心の木の所在がお寺の人もわからないって…。
ぼうぜん…。
みたいなやり取りがあって、女性は地図も見てくれなかったのですよ。
あ~~。
念のため、この女性の弁明しときます。
(決して彼女に対し、私は悪意ある書き方をしてないです。いや、この日の夕方には、この女性は良心で私にああ言ったんだと思いました。でもこの時はただ突き放されたとしか思えず…。お寺がこんなに一般庶民に冷たい対応するんだ…とショックも受け…。どう書いていいのか、どう順番していいのかまだ消化しきれてないんだけどね)
続けます。

さて、困った…。
でも…。
木は確かに小石川植物園に移植されたのは確か。
というようなことがありまして…。
あまりのショックに自分を立て直すべく、かっぱ橋道具街をぶらついていたのです。
そんで、心落ち着いた頃…。
やはり…。
ここは一つ、実のなっている今の時期に再挑戦するしかないでしょう~!
と、気持ちを立て直し予定通り、小石川植物園を再訪しました。
まず、前回2008年5月の訪問時にはいかなかった場所へ。
前回は入口から坂を直進したので、入口を左へ。
まず現れたのはメタセコイア林。
メタセコイアは全国植樹祭で昭和天皇が植えまくったので、現在は日本中で観られますが、そもそもこの木は生きた化石と呼ばれる程世界的に珍しいのです。
ここ、小石川植物園は日本最古であり、世界でも有数の歴史を持つ植物園の一つで、珍しい木が沢山あります。なにしろ、今から309年前の1684年に徳川幕府がこの場所に設けた「小石川薬園」が前身ですから。
その後現れたのはハンノキ並木。
ハンノキ~~!!
私、これのレベル2のアレルギー患者なんですよ。レベル2と言ってもほぼレベル3よりの、杉花粉症よりレベルの高い患者です。なので、ハンノキが花粉を飛ばす3月中旬にはマスク付きでも注意しないとダメなのね。
今の時期、近寄っても大丈夫ですが、気持ちはとってもブルー。
あ、なんじゃこりゃ!

ラクウショウです。
これ、新宿御苑にもあるんだよ。ちなみに、メキシコ原産。
歩きながらくまなく、棗の赤い実を探します。
棗の葉も特徴がありますが、全ての木を1本1本確かめてたら、全く進めません。
あ、旧東京医学館本館が見えて来ちゃった~…。

あそこは出口です。
仕方ない。
坂を上るか。
園内は散策路が縦横に走っていて、坂も何本もあります。出来るだけ緩い坂を選んで上がると、そこにあったのは、

震災記念碑でした。
これは大正時代に関東一円を襲った関東大震災のもの。
ここ小石川植物園は、被災者の避難場所となったのです。

さすがに日没までに自力で1本の木を探すのは無理だ。
なにしろ、ここは敷地が161,588平方メートル(48.880坪)もありますから!
探している棗の木は中国原産の木です。
せめて植えた時に原産地や植生の似通った物をまとめ手植えてれば、その区画さえ特定出きれば…。
一縷の望みをかけ、本館の受付で尋ねることにしました。
(つづく)
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