去年の秋に小田原城を訪れてるのに、またやって来たのはかつての小田原城総構えを見たかったから。
今でこそ鉄筋コンクリート製の天守閣とお城の周りにちっちゃな遊園地&動物園というのどかな昭和のお城の雰囲気たっぷりの小田原城ですが、かつては戦国時代最大といわれる規模を誇ってたんだって!
周りを囲む総構えの総延長はなんと約9キロ!!
でも大概現在まで残ってないよ~そんなの~~。と。諦めてたら、なんと残ってるんですよ!!
もちろん総延長9キロのうち残ってるのはほんのわずかなんですが、数々の城を攻め落として来た豊臣秀吉をして、落城に追い込むまで数ヶ月を要した小田原城。現存部分を見て見たい~
当初は小田原城天守のある北西側の遺構が多めに残っている部分を見物するつもりだったんですが、雨…。
くどいようですが、天気予報は訪問日は一日晴れときどき曇りでしたので、こんなハズじゃあ~~
予定変更。
近場の残存総構えを見に行くことに。
ちなみに、総構えは水堀&空堀&土塁に別れ、現存以外は埋没消滅という…。
紹介する「幸田門口跡」は土塁です。
場所はここ。
土塁なのでこんな感じ。
現在は建物が側に隣接してます。土塁の上を歩けますが、遠景から見ることは出来ません。
それで保存してると言えるのか疑問ですが、江戸時代の土塁を今生きている私が歩けるのは嬉しいよ。うん。
土塁が終る所で狭い急階段を降りて細い道に出る。道なりにゆくと
反対側の幸田門跡の入口の看板があります。
ところで、戦国時代最大ですが、日本のお城は江戸時代初期に争うように作られたものが大半。だから現在開城400年祭を日本のあちこちでやってるんですね。で、大名達の築城熱は、1国1城のおふれが出て終了。
なので、戦国時代最大である小田原城は日本最大じゃないんだね。
ちなみに、天守閣を始めて作ったのは織田信長。で、好んで城を作ったのは豊臣秀吉。お城でイメージする天守閣は、江戸時代に入ってから。昔のお城は白壁&瓦ですらない砦だったものも多いんですよ。
んじゃ、なんで小田原城に天守閣があるの?それも鉄筋コンクリート製の??
そりゃあ、城に歴史あり。
小田原城は北条の前からありました。
で、北条早雲が分捕って、後に秀吉に分捕られ、やがて徳川3代将軍家光の乳母を勤めた春日局の一族稲葉氏が治めたからですね。
あ。
天守閣が鉄筋コンクリートなのは、日本の城がそうであると同じ理由で明治に入ってから武士の象徴の城を時の政府が壊したからです。
で、小田原城も戦後のお城ブームの時にあちこちでなんちゃってお城を作ったうちの一つ。