あられの日記

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俳諧道場・鴫立庵

2015年03月04日 00時53分19秒 | レトロ建築
大磯町役場から旧東海道へ戻る。そこを東へ歩く。
すぐに300年以上続く俳諧道場、鴫立庵へ到着です。

うっ…。鴫立庵は、旧東海道から一遍石段を降りないと入れない…。
もうね。実は既に足が前に出なくなってるの。スタート直後の吾妻山の上り下りが体力消耗の原因ですが、以後の散策も地味~に上り下りを繰り返してるんです。疲れてだいぶん注意力が落ちてしまい、せっかくの歴史散策も感動が薄くなってるのが残念だわ~。ま。いいか!
鴫立庵の入場料は100円。支払ってたら、ダンナが消えた~~。ええ~~、何やっとるんじゃ~~~。
石段上り下りして探したくない~~。ので、取りあえず2人分支払って一人で観覧しちゃいましょう!
入場料を支払うと、チケットとパンフレットをいただけます。
徴収場所の右手に、昔の井戸が残ってました。

かつては上がりかまちが土間。建物の天井は張ってない。屋根が直接見えます。古民家の農家がこんな天井だよな。川崎の民家園や世田谷区の岡本民家園とかで見たのもこうだった!

鴫立庵の建物は外観のみ見学可。中へは上がれまい。

建物の脇に回ると、屋内が見える。

こんな感じです。

ピンクの梅が咲いてます。俳諧道場ならば、いい題材だよね。実は今日句を詠むなら「青空に~白い富士と~」とかがいいなあ~と決めてたんだけど(何か間違ってる)、ほら、今日吾妻山からも相模二の宮川匂神社からも富士山見えなかったからね。恨むよ~~~。天気予報~~~っ!!
さて。鴫立庵。ごらんの通り中に高低差があります。この立地だから現在まで建物が残ったのかもね。

WIKIによりますと、
鴫立庵(しぎたつあん)は神奈川県大磯町にある俳諧道場。京都の落柿舎、滋賀の無名庵と並び、日本三大俳諧道場の一つ。
寛文4年(1664)に崇雪が草庵を結んだのが始まり。
敷地内には多くの石像物や句碑があります。主な所を紹介すると?
西行銀猫碑。

佐佐木信綱歌碑。

松本順墓碑。

五智如来像(釈迦・阿弥陀・大日・薬師・宝生の五仏)

 
句碑が並んでる所は高くて、鴫立庵が見下ろせました。

んん~?ぼちぼち屋根の葺き替え時期じゃないかな?茅葺きって時期を見て葺き替えなきゃいけないんだよね。
句碑を追いかけて一旦、出口に戻った所でパンフレットに目を通す。うっかり大事な石像物を撮影してないのに気づき、再び石段と坂道へ向う。

そんで撮影したのがこれ。鴫立澤標石です。
鴫立庵を造った崇雪が建てた鴫立沢の標石です。石の裏に「著尽湘南 清絶地」と刻まれてます。清らかですがすがしく、このうえもない所。湘南とは素晴らしい所。という意味です。
どうもね。崇雪にとって、大磯の海岸が、中国湘江南の景色と同じように美しい場所に見えたようですね。
って??崇雪は中国見てないよね?小田原にいた日本人だよね?…。書画でも見たかな?
あ。イカンイカン。妄想浪漫から脱してしまったか!
ところで鴫立「沢」って?もしやこれ?

石組みが、高低差がある場所にはうってつけの谷積みですね。石垣萌えを刺激される大磯に気付いたので、目が石積みをチェックしちゃいます。ちなみに、画像奥の石積みの上は、旧東海道なの。国道1号線なの。四国の田舎に住んでた頃、東京って大都会だよな~。とか思ってたのに、国道1号線にこんなん残ってるとは~~~。
「沢」の流れを追いかけて鴫立庵の東側からの眺めも確認してみた!

確かに「沢」に見えた!なぜにこんなんが突然残ってるのか~~?すぐそこはもう海なのよ??どういう地形なのか~!?大磯、謎だわ~~。
ちなみに、横に周る時にこんなん見つけました。

「湘南発祥の地 大磯」とあります。鴫立庵に入らなかった人にもよく分かります。意味はさっきの鴫立沢標石の説明と同じです。
コメント
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