2015年4月10日、旅の9日目。最初の観光は戦争証跡博物館。7時45分到着。早いっ!でも博物館は7時30分には開館してるのです。
戦争証跡博物館は、ベトナム戦争時200万人が犠牲になった。二度と繰り返さない願いを込め、戦争の写真や遺物を展示。
入館すると、まずは胸に博物館のシールを貼付けます。博物館の前庭は、兵器の数々が展示してある。
早速と浮かれて見て回る。
説明板撮影:M-48 A3TANK
重さ:47、2トン。
速さ:48キロメートル/時
装備:90ミリガン等。USアーミー(全文英語につき省略)
説明板撮影:A-37ファイター爆撃機
重さ:6356キロ
最大航続距離:2253キロメートル
飛行時間:1時間40分
装備:7.62ミリ砲(1500発)
説明板撮影:M107-175MM GUN
一杯展示してあって、どの説明板がどの展示物だか混乱しちゃってるんだけどね。おそらくこの説明は上の画像の手前の奴なんじゃないかな?違ってたらごめんなさい。
重さ:28.193.4ロキグラム。
最大砲撃距離:32,600メートル
当然ながら、展示物は全てベトナム戦争で使われていた兵器で、前庭の隅にはこんな展示物もありました。
使用済み爆弾。
いやさ。平和ボケしてる日本人にとって、兵器はかっこいい造型物なのですよ。1つでン十億円する代物が、毎日厚木基地から、座間キャンプから飛んでるのを見てるとですね。それが日常になってます。たまに特別公開とかあると、いさんで駆けつける。娯楽イベント化してるのだ。そんな浮かれた気分で前庭に展示してあるものを撮影したのですよ。しかしですね。兵器です。その兵器がもたらしたものが館内には展示されてます。
この写真、何だと思います?
答え:ベトナムゲリラが森を人力で兵器を運んでる所。
この写真何だと思います?
答え;左の数字は第二次世界大戦。中央は、朝鮮戦争右の数字はベトナム戦争の比較です。
表の数字の上から、戦争の長さ・述べ投入兵力・最大兵力数・爆撃の数量・戦費・死傷者数たぶん。
何が凄いってベトナム戦争って17年2ヶ月も続いたのね。投入した爆弾の多さは、たぶん終盤に北爆とかやって積上ったんだろうけど…。
となると、子供の描いた絵もいくつか展示してあって。こういう絵を子供達にかかしちゃいけないな。
上の画像をトリミング作業していて、画像に子供達の姿が写り込んでるのに気づき残しました。
おそらく小学生の校外学習ではないかと?日本でいうと、広島の原爆資料館や靖国の遊就館に小学生が訪れるのと同じかな?
少し前の画像で、兵器を人力で運んでる写真を掲載しましたが、アメリカ軍はベトナムゲリラに手を焼きまして、時間短縮と動線を断つために強硬手段をとりました。その結果がこれ。
日本の学生ならば、ベトナム戦争とセットで覚える枯葉剤。
昔の事だと思うでしょ?でも日本でも原爆被災者が被爆して長い時間苦しんでるのと同じように、枯葉剤も長い時間苦しんでいます。上の写真には日本語で説明文がついていたので全文掲載します。
「戦場の枯葉剤:1975年4月、ベトナム戦争は終わった。しかし、1961年から1971年まで10年間に渡って行われた枯葉作戦はいまだに深い傷跡を残している。熱帯雨林が反米解放勢力の拠点であるならば、そこを砂漠化し、隠れることが出来ないようにする。というのが作戦の狙いであった。米軍機C-123の編隊が連日のように散布した枯葉剤(エージェント・オレンジ)には劇毒性のあるダイオキシンが高濃度で混入していた。地上にいたベトナムの人々の、400万人あまりがそれに曝された。第一級の発ガン物質であり、遺伝毒性があるとされるダイオキシンは、ベトナムの第一世代のみならず、第二世代、第三世代へとその影響を残した。犠牲者は結合双生児として生まれたベドとドクにとどまらない。70年代半ばに出会った、障害を持つ多くの子供達は、既にある者は死亡し、ある者は成人して家族も抱えるようになった。そしてその子らにも先天性障害が発現するケースが出ている。化学兵器としての枯葉剤はベトナムだけに被害を与えたのではなかった。噴霧された9万キロℓの枯葉剤は、敵味方を見分ける事なく、前線のアメリカ兵や、海外派兵の韓国兵も汚染した。私は、ベトナム・アメリカ・韓国を30数年にわたって取材し、帰還兵らに会った。その結果、人体被害は国籍も人種の差もなく広がっていることを確認する事が出来た。
枯葉剤を製造してアメリカ軍に納品していたアメリカの化学企業とアメリカ政府は、ベトナムから帰ったアメリカ兵に対して枯葉剤による人体影響を認め、手厚い補償を行っている。ベトナムの被害者らは2003年以降、ダウケミカル社など37の化学企業を相手どった補償請求をアメリカ連邦地裁に次々と出した。しかし連邦地裁はベトナム人に対しては人体影響を認めず、訴えを全て棄却した。
時の経過とともに戦渦の記憶は薄れていく。しかし枯葉作戦という戦争犯罪の事実は、ベトナムだけでなく全人類の記憶としてゆかねばならない。悲劇を二度と繰り返さないためにも。 中村悟郎」
確か、枯葉剤を噴霧した森は、一日で上の写真のような死の森になったって言ってました。ゲリラのホーチミンルートを潰すために、後先考えない最悪の作戦でしたね。
後、救われないのは親から子へ遺伝する事ですね。
ベトナムを旅していると、枯葉剤による影響で障害をおっている人が作った刺繍とか工芸品を売る店に出会います。戦争証跡博物館内にもそうした方々が作ったものを売るショップがありました。
ショップといえば、戦争証跡博物館1階には、ミリタリーショップも入ってます。ミリタリー好きの方は、館内を見る前にミリタリーショップで購入する事をおススメします。でないと購買欲が萎えてまず買物なんか出来ませんわ。
館内には、使用していた銃の展示もありました。
そして更に衝撃的なものも。
これらは実寸展示です。使用済みのものじゃないとは思うけどさ。何つーの?一時ベトナム戦争をテーマにした映画が量産された時代がありました。ランボーとかで見た気がするな。これ。
さて、またまた前庭に戻って来た。到着して直後に撮影しておくべきだった。まあ、大勢の小学生がやってきて、撮影どころではなかったんだけどさ。館内を見た後、それでも撮影は続けたんだけれど。
後々再生した画像の中の私達の表情は見た事ない引きつった顔をしてました。まあね。これも「戦争はしちゃいけない」戒めにプリントしましたよ。
説明板撮影:CH-47チヌーク
乗員:4人乗り
最高速度:298キロメートル/時
重さ:22.680キロ
戦争証跡博物館は、ベトナム戦争時200万人が犠牲になった。二度と繰り返さない願いを込め、戦争の写真や遺物を展示。
入館すると、まずは胸に博物館のシールを貼付けます。博物館の前庭は、兵器の数々が展示してある。
早速と浮かれて見て回る。
説明板撮影:M-48 A3TANK
重さ:47、2トン。
速さ:48キロメートル/時
装備:90ミリガン等。USアーミー(全文英語につき省略)
説明板撮影:A-37ファイター爆撃機
重さ:6356キロ
最大航続距離:2253キロメートル
飛行時間:1時間40分
装備:7.62ミリ砲(1500発)
説明板撮影:M107-175MM GUN
一杯展示してあって、どの説明板がどの展示物だか混乱しちゃってるんだけどね。おそらくこの説明は上の画像の手前の奴なんじゃないかな?違ってたらごめんなさい。
重さ:28.193.4ロキグラム。
最大砲撃距離:32,600メートル
当然ながら、展示物は全てベトナム戦争で使われていた兵器で、前庭の隅にはこんな展示物もありました。
使用済み爆弾。
いやさ。平和ボケしてる日本人にとって、兵器はかっこいい造型物なのですよ。1つでン十億円する代物が、毎日厚木基地から、座間キャンプから飛んでるのを見てるとですね。それが日常になってます。たまに特別公開とかあると、いさんで駆けつける。娯楽イベント化してるのだ。そんな浮かれた気分で前庭に展示してあるものを撮影したのですよ。しかしですね。兵器です。その兵器がもたらしたものが館内には展示されてます。
この写真、何だと思います?
答え:ベトナムゲリラが森を人力で兵器を運んでる所。
この写真何だと思います?
答え;左の数字は第二次世界大戦。中央は、朝鮮戦争右の数字はベトナム戦争の比較です。
表の数字の上から、戦争の長さ・述べ投入兵力・最大兵力数・爆撃の数量・戦費・死傷者数たぶん。
何が凄いってベトナム戦争って17年2ヶ月も続いたのね。投入した爆弾の多さは、たぶん終盤に北爆とかやって積上ったんだろうけど…。
となると、子供の描いた絵もいくつか展示してあって。こういう絵を子供達にかかしちゃいけないな。
上の画像をトリミング作業していて、画像に子供達の姿が写り込んでるのに気づき残しました。
おそらく小学生の校外学習ではないかと?日本でいうと、広島の原爆資料館や靖国の遊就館に小学生が訪れるのと同じかな?
少し前の画像で、兵器を人力で運んでる写真を掲載しましたが、アメリカ軍はベトナムゲリラに手を焼きまして、時間短縮と動線を断つために強硬手段をとりました。その結果がこれ。
日本の学生ならば、ベトナム戦争とセットで覚える枯葉剤。
昔の事だと思うでしょ?でも日本でも原爆被災者が被爆して長い時間苦しんでるのと同じように、枯葉剤も長い時間苦しんでいます。上の写真には日本語で説明文がついていたので全文掲載します。
「戦場の枯葉剤:1975年4月、ベトナム戦争は終わった。しかし、1961年から1971年まで10年間に渡って行われた枯葉作戦はいまだに深い傷跡を残している。熱帯雨林が反米解放勢力の拠点であるならば、そこを砂漠化し、隠れることが出来ないようにする。というのが作戦の狙いであった。米軍機C-123の編隊が連日のように散布した枯葉剤(エージェント・オレンジ)には劇毒性のあるダイオキシンが高濃度で混入していた。地上にいたベトナムの人々の、400万人あまりがそれに曝された。第一級の発ガン物質であり、遺伝毒性があるとされるダイオキシンは、ベトナムの第一世代のみならず、第二世代、第三世代へとその影響を残した。犠牲者は結合双生児として生まれたベドとドクにとどまらない。70年代半ばに出会った、障害を持つ多くの子供達は、既にある者は死亡し、ある者は成人して家族も抱えるようになった。そしてその子らにも先天性障害が発現するケースが出ている。化学兵器としての枯葉剤はベトナムだけに被害を与えたのではなかった。噴霧された9万キロℓの枯葉剤は、敵味方を見分ける事なく、前線のアメリカ兵や、海外派兵の韓国兵も汚染した。私は、ベトナム・アメリカ・韓国を30数年にわたって取材し、帰還兵らに会った。その結果、人体被害は国籍も人種の差もなく広がっていることを確認する事が出来た。
枯葉剤を製造してアメリカ軍に納品していたアメリカの化学企業とアメリカ政府は、ベトナムから帰ったアメリカ兵に対して枯葉剤による人体影響を認め、手厚い補償を行っている。ベトナムの被害者らは2003年以降、ダウケミカル社など37の化学企業を相手どった補償請求をアメリカ連邦地裁に次々と出した。しかし連邦地裁はベトナム人に対しては人体影響を認めず、訴えを全て棄却した。
時の経過とともに戦渦の記憶は薄れていく。しかし枯葉作戦という戦争犯罪の事実は、ベトナムだけでなく全人類の記憶としてゆかねばならない。悲劇を二度と繰り返さないためにも。 中村悟郎」
確か、枯葉剤を噴霧した森は、一日で上の写真のような死の森になったって言ってました。ゲリラのホーチミンルートを潰すために、後先考えない最悪の作戦でしたね。
後、救われないのは親から子へ遺伝する事ですね。
ベトナムを旅していると、枯葉剤による影響で障害をおっている人が作った刺繍とか工芸品を売る店に出会います。戦争証跡博物館内にもそうした方々が作ったものを売るショップがありました。
ショップといえば、戦争証跡博物館1階には、ミリタリーショップも入ってます。ミリタリー好きの方は、館内を見る前にミリタリーショップで購入する事をおススメします。でないと購買欲が萎えてまず買物なんか出来ませんわ。
館内には、使用していた銃の展示もありました。
そして更に衝撃的なものも。
これらは実寸展示です。使用済みのものじゃないとは思うけどさ。何つーの?一時ベトナム戦争をテーマにした映画が量産された時代がありました。ランボーとかで見た気がするな。これ。
さて、またまた前庭に戻って来た。到着して直後に撮影しておくべきだった。まあ、大勢の小学生がやってきて、撮影どころではなかったんだけどさ。館内を見た後、それでも撮影は続けたんだけれど。
後々再生した画像の中の私達の表情は見た事ない引きつった顔をしてました。まあね。これも「戦争はしちゃいけない」戒めにプリントしましたよ。
説明板撮影:CH-47チヌーク
乗員:4人乗り
最高速度:298キロメートル/時
重さ:22.680キロ