中断していたベトナム旅行の連載を再開します。
ここまで中断が長くなろうとは…。それもこれも夏コミ合わせに「インド旅行漫画」を描いていたからなのですが、インド旅行のイスラム建築もヒンドゥー建築も作画に時間がかかって大変でした。その点、ベトナムの遺跡は描くの楽だったよな〜。その訳がよ〜く分かるのがこのミーソンの遺跡です。
ミーソンは世界遺産の古都ホイアンからバスで1時間弱の郊外にあります。
一目瞭然なのですが、ミーソン遺跡は破壊された遺跡なのです。
原因はこれ。
遺跡の壁に残る機銃掃射の跡。
これでも大概なのですが、破壊になった戦争がベトナム戦争だから救われない。
ミーソンは南北に長いベトナムの真ん中から少し南にありまして、遺跡を抵抗勢力がアジトにしたから大変。活動物資は山を越え、隣国ラオスからどんどん補給される有様で、アメリカは攻めあぐねました。
抵抗勢力は、遺跡なら敵も壊せないともくろみもあったのでしょうが、そんなん軍人の前には紙の如く。アメリカは空爆に踏み切り、レンガ製の遺跡はひとたまりもなかったのだ。
空からこんな爆弾が大量に落とされてしまいまして。ミーソン遺跡にあった多くの建物は崩壊しました。
戦争後、各国が競う様に復元してまして。
こちらは日本の早稲田大学が復元したもの。
こちらはドイツが復元したもの。復元といっても破壊度が高い建物の復元はこれが限界のようです。
ちなみに、こんな感じで復元してあるものも。
これさ、角の彫刻だけ元ので、背後のは新しく作ったものみたいです。
だってさ、燃えてないし、雨で苔もついてないからね。
一部、ミーソンがチャンパ王国の聖地だった頃の構造物も残ってます。
これがそう。チャンパ王国はヒンドゥー教を信仰していて、シヴァ神を祀ってました。上の画像のリンガとヨニは子宝の象徴です。
傍らに石版もありまして、ど〜みても現在のベトナム語でないからこれはチャンパ文字のようです。
石人の頭がなかった!これは…。ベトナム戦争が原因ではないかも?世界のあちこちにある遺跡で頭のない石彫はたまに見かけます。んで後の時代の観光客のお約束の撮影方法ですね。
これさ。今年インドで散々見たヒンドゥー教の神様の牛、コブ牛じゃないかな〜?ミーソンはシヴァ神を奉じていたそうだし。おそらくおそらく。
● ミーソン遺跡(1999年世界遺産指定)
ミーソン遺跡は2〜7世紀にかけて栄えたチャンパ王国の聖地跡。
接着剤を使わず作り上げたレンガ建ての技術は今も謎。
7世紀までは木造だった為、火災で焼失。
現存する構造物は8世紀から13世紀に建てられたもの。
チャンパが信仰したのは、ヒンドゥー教のシヴァ神。神と王を一体化したシヴァ神像が祀られていた。
遺跡は四方を山に囲まれており、チャンパ滅亡後、長く忘れ去られていた。
再発見はフランス統治時代になってから。
ところで、前回のベトナム旅行連載記事の最後に、デジカメを海辺で水没させたのに、なぜ画像があるかといいますと、添乗員さんのデジカメを貸出しでいただいてます。もうね。諦めてたから本当に嬉しい。
ミーソン遺跡到着後、まずはサイトミュージアム見学。(日本政府の協力で作られた)。その後、遺跡の近くまでは電気シャトルに乗り移動する。その後、チャンパ人による踊りを鑑賞してから遺跡の見学という流れでした。そこで旅の集合写真を撮影した後、そのままデジカメを貸してくれたのですよ。嬉しい〜〜〜っ!!
ミーソンからの帰り道、車窓に既に穂が出てる田んぼが見えた。ベトナム訪問は4月でしたが、既にお米の収穫が近いようですね。
北ベトナムから中部フエへ。途中でも川を多くみましたが、このあたりにも川が多いようです。ベトナムは米を作るためにある土地みたいだね。
ってな事で、またベトナム旅行ブログを再開します。
ここまで中断が長くなろうとは…。それもこれも夏コミ合わせに「インド旅行漫画」を描いていたからなのですが、インド旅行のイスラム建築もヒンドゥー建築も作画に時間がかかって大変でした。その点、ベトナムの遺跡は描くの楽だったよな〜。その訳がよ〜く分かるのがこのミーソンの遺跡です。
ミーソンは世界遺産の古都ホイアンからバスで1時間弱の郊外にあります。
一目瞭然なのですが、ミーソン遺跡は破壊された遺跡なのです。
原因はこれ。
遺跡の壁に残る機銃掃射の跡。
これでも大概なのですが、破壊になった戦争がベトナム戦争だから救われない。
ミーソンは南北に長いベトナムの真ん中から少し南にありまして、遺跡を抵抗勢力がアジトにしたから大変。活動物資は山を越え、隣国ラオスからどんどん補給される有様で、アメリカは攻めあぐねました。
抵抗勢力は、遺跡なら敵も壊せないともくろみもあったのでしょうが、そんなん軍人の前には紙の如く。アメリカは空爆に踏み切り、レンガ製の遺跡はひとたまりもなかったのだ。
空からこんな爆弾が大量に落とされてしまいまして。ミーソン遺跡にあった多くの建物は崩壊しました。
戦争後、各国が競う様に復元してまして。
こちらは日本の早稲田大学が復元したもの。
こちらはドイツが復元したもの。復元といっても破壊度が高い建物の復元はこれが限界のようです。
ちなみに、こんな感じで復元してあるものも。
これさ、角の彫刻だけ元ので、背後のは新しく作ったものみたいです。
だってさ、燃えてないし、雨で苔もついてないからね。
一部、ミーソンがチャンパ王国の聖地だった頃の構造物も残ってます。
これがそう。チャンパ王国はヒンドゥー教を信仰していて、シヴァ神を祀ってました。上の画像のリンガとヨニは子宝の象徴です。
傍らに石版もありまして、ど〜みても現在のベトナム語でないからこれはチャンパ文字のようです。
石人の頭がなかった!これは…。ベトナム戦争が原因ではないかも?世界のあちこちにある遺跡で頭のない石彫はたまに見かけます。んで後の時代の観光客のお約束の撮影方法ですね。
これさ。今年インドで散々見たヒンドゥー教の神様の牛、コブ牛じゃないかな〜?ミーソンはシヴァ神を奉じていたそうだし。おそらくおそらく。
● ミーソン遺跡(1999年世界遺産指定)
ミーソン遺跡は2〜7世紀にかけて栄えたチャンパ王国の聖地跡。
接着剤を使わず作り上げたレンガ建ての技術は今も謎。
7世紀までは木造だった為、火災で焼失。
現存する構造物は8世紀から13世紀に建てられたもの。
チャンパが信仰したのは、ヒンドゥー教のシヴァ神。神と王を一体化したシヴァ神像が祀られていた。
遺跡は四方を山に囲まれており、チャンパ滅亡後、長く忘れ去られていた。
再発見はフランス統治時代になってから。
ところで、前回のベトナム旅行連載記事の最後に、デジカメを海辺で水没させたのに、なぜ画像があるかといいますと、添乗員さんのデジカメを貸出しでいただいてます。もうね。諦めてたから本当に嬉しい。
ミーソン遺跡到着後、まずはサイトミュージアム見学。(日本政府の協力で作られた)。その後、遺跡の近くまでは電気シャトルに乗り移動する。その後、チャンパ人による踊りを鑑賞してから遺跡の見学という流れでした。そこで旅の集合写真を撮影した後、そのままデジカメを貸してくれたのですよ。嬉しい〜〜〜っ!!
ミーソンからの帰り道、車窓に既に穂が出てる田んぼが見えた。ベトナム訪問は4月でしたが、既にお米の収穫が近いようですね。
北ベトナムから中部フエへ。途中でも川を多くみましたが、このあたりにも川が多いようです。ベトナムは米を作るためにある土地みたいだね。
ってな事で、またベトナム旅行ブログを再開します。