副都心線雑司ヶ谷駅から明治神宮前駅へ。千代田線明治神宮前から表参道駅へ。銀座線表参道駅から外苑前駅へ。駅からほどなく明治神宮外苑のイチョウ並木に到着しました。時刻は13時17分。雑司ヶ谷の鬼子母神を出たのが12時32分だったから、移動で正味45分もかかってますね。あんまり移動すると時間がもったいないなあ〜。
イチョウ並木を見て気付く。「あ、遅かった!」画像でお察しですね。既に落葉してる樹が多いんだな〜。でも来てしまったので、並木の西を奥まで。東でも戻って来る感じで。お散歩開始!
まったりとランチしながら名残りのイチョウを眺めるもの素敵ですが、おしゃれなお店にお一人様は寂しいじゃないか!それにカバンにはお昼ご飯のホットケーキと熱いお茶が入ってるんだしね。
寂しくなったイチョウ並木を見上げつつ並木を進む。
場所によったらまだイチョウの葉っぱが残ってるんだけどね。
奥まで到着。12月ともなると、広場にお店も並んでないのね〜。では東側の並木をUターン。
こちらの方がまだ葉っぱが残ってるので、記念撮影してる人がそこここに。
見上げても素敵。
並木の入口にイチョウ並木の説明板がありました。
銀杏並木
いちょう(銀杏・公孫樹) 銀杏は、現存する最も古い前世界の植物の一つです。地質学上中世代ジュラ紀(1億5000万年前、巨大な恐竜が棲息していた時代)に地球上にひろく分布し、生育していた樹種です。従って、その化石の発見は極地より南北両半球、中国・日本にまで及んでおります。氷河期の到来により、多くの地方では、銀杏樹は絶滅しましたが、温暖な気候を保ち得た中国では死滅を免れ、生育を続けて現在に至っております。
日本の銀杏は、この中国より渡来した樹種で、現在では街路樹・防火樹・庭木としてひろく植えられており、「東京都の木」ろもなっております。現在では東南アジア以外ではほとんど植えられておりません。
並木の総本数は146本(雄木44本・雌木102本)
4並列の銀杏の大木が作り出した、世界に誇りうるイチョウ並木の景観。これを通し、正面に白亜の絵画館を望む人工自然美の素晴らしさ。若葉・青葉・黄葉・裸木と四季折々の美しさ。長年にわたる管理、手入れの良さが見事な樹形を作り出しております。この、明治神宮外苑は大正15年(1926)10月22日の創建でありますが、その苑地造成に当り、青山通り正面からの直線主要道路は、左右歩道の両側に植樹帯を取り、銀杏樹をもって四条の並木を造成することになりました。
これは、銀杏樹が、樹姿端正・樹高よろしく・緑量も豊富・気品高く・公害にも強く、威厳を保ちつつ年間を通して来苑者に好景観を呈示し、外苑の広幅員街路の並木として最適なものとの考えによるものです。
この外苑の銀杏樹が、この世に実生えたのは、造園界の泰斗・折下吉延博士(外苑造成時の庭園主任技師・昭和41年86歳で没)が、新宿御苑に奉職中の明治41年(1908)新宿御苑在来木の、銀杏樹からギンナンを採集し、これを種子として代々木の宮内省南豊島御料地内(現在の明治神宮内苑)の苗圃に蒔いたことによります。その後、苗圃の木々はすくすくと成長し、その後1600本にもなりました。
外苑造苑に当り、この銀杏樹を採用することとなり、既に樹高6メートル内外に成長していた、これら多数の中より候補樹を選抜し、更に並木として適格になるよう、年々樹形を整えてきたものを、大正12年(1923)に植栽したものです。
直路四条の並木と。途中西折して女子学習院正門(現秩父宮ラグビー場)に至る二条の並木も同時に植えられております。最高24メートル・目通り周り2メートル80センチ、最低17メートル・目通り周り1メートル80センチのものを、樹高順に青山口より降り勾配に従って植えられております。絵画館を眺む見事な遠近法の活用です。(後略)
と言う事は、このイチョウ並木の銀杏の樹齢って全て同じで、1908年に新宿御苑で採集したギンナンから成長したって事は、ただ今の樹齢が108年という事になるのですね。
へえ〜へえ〜へえ〜〜っ!!
ところで、毎年恒例のいちょう祭りですが、今年は中止になったとか。本当に直前になって決ったので、理由を考えてみた。
やっぱり去る11月6日にここ外苑のイベントに展示してあった作品が燃えて、幼児が焼死したのが原因だったのだろうと推測しました。
更に考える。
明治神宮って主祭神は明治天皇でしたよね?そして明治天皇が亡くなった後、確か現絵画館の建つ裏手にある斎場殿跡で葬儀したんじゃなかったっけ?となると、イチョウ並木は明治神宮の施設内な訳で。境内でもあるんじゃなかろうか?そこで考えてみる。神社の境内で焼死したら穢れ事って訳で、そりゃあ祭りは中止するわ。とりあえずイチョウ並木に行楽に来ちゃったので、せめて亡くなった幼子の冥福を祈りましょう。
時刻は13時33分。お腹がすいた〜。どこかでお昼ご飯を…。え〜と?確か「東京の紅葉案内」には皇居東御苑の雑木林が素晴らしいってあったから、行ってみようか!
イチョウ並木を見て気付く。「あ、遅かった!」画像でお察しですね。既に落葉してる樹が多いんだな〜。でも来てしまったので、並木の西を奥まで。東でも戻って来る感じで。お散歩開始!
まったりとランチしながら名残りのイチョウを眺めるもの素敵ですが、おしゃれなお店にお一人様は寂しいじゃないか!それにカバンにはお昼ご飯のホットケーキと熱いお茶が入ってるんだしね。
寂しくなったイチョウ並木を見上げつつ並木を進む。
場所によったらまだイチョウの葉っぱが残ってるんだけどね。
奥まで到着。12月ともなると、広場にお店も並んでないのね〜。では東側の並木をUターン。
こちらの方がまだ葉っぱが残ってるので、記念撮影してる人がそこここに。
見上げても素敵。
並木の入口にイチョウ並木の説明板がありました。
銀杏並木
いちょう(銀杏・公孫樹) 銀杏は、現存する最も古い前世界の植物の一つです。地質学上中世代ジュラ紀(1億5000万年前、巨大な恐竜が棲息していた時代)に地球上にひろく分布し、生育していた樹種です。従って、その化石の発見は極地より南北両半球、中国・日本にまで及んでおります。氷河期の到来により、多くの地方では、銀杏樹は絶滅しましたが、温暖な気候を保ち得た中国では死滅を免れ、生育を続けて現在に至っております。
日本の銀杏は、この中国より渡来した樹種で、現在では街路樹・防火樹・庭木としてひろく植えられており、「東京都の木」ろもなっております。現在では東南アジア以外ではほとんど植えられておりません。
並木の総本数は146本(雄木44本・雌木102本)
4並列の銀杏の大木が作り出した、世界に誇りうるイチョウ並木の景観。これを通し、正面に白亜の絵画館を望む人工自然美の素晴らしさ。若葉・青葉・黄葉・裸木と四季折々の美しさ。長年にわたる管理、手入れの良さが見事な樹形を作り出しております。この、明治神宮外苑は大正15年(1926)10月22日の創建でありますが、その苑地造成に当り、青山通り正面からの直線主要道路は、左右歩道の両側に植樹帯を取り、銀杏樹をもって四条の並木を造成することになりました。
これは、銀杏樹が、樹姿端正・樹高よろしく・緑量も豊富・気品高く・公害にも強く、威厳を保ちつつ年間を通して来苑者に好景観を呈示し、外苑の広幅員街路の並木として最適なものとの考えによるものです。
この外苑の銀杏樹が、この世に実生えたのは、造園界の泰斗・折下吉延博士(外苑造成時の庭園主任技師・昭和41年86歳で没)が、新宿御苑に奉職中の明治41年(1908)新宿御苑在来木の、銀杏樹からギンナンを採集し、これを種子として代々木の宮内省南豊島御料地内(現在の明治神宮内苑)の苗圃に蒔いたことによります。その後、苗圃の木々はすくすくと成長し、その後1600本にもなりました。
外苑造苑に当り、この銀杏樹を採用することとなり、既に樹高6メートル内外に成長していた、これら多数の中より候補樹を選抜し、更に並木として適格になるよう、年々樹形を整えてきたものを、大正12年(1923)に植栽したものです。
直路四条の並木と。途中西折して女子学習院正門(現秩父宮ラグビー場)に至る二条の並木も同時に植えられております。最高24メートル・目通り周り2メートル80センチ、最低17メートル・目通り周り1メートル80センチのものを、樹高順に青山口より降り勾配に従って植えられております。絵画館を眺む見事な遠近法の活用です。(後略)
と言う事は、このイチョウ並木の銀杏の樹齢って全て同じで、1908年に新宿御苑で採集したギンナンから成長したって事は、ただ今の樹齢が108年という事になるのですね。
へえ〜へえ〜へえ〜〜っ!!
ところで、毎年恒例のいちょう祭りですが、今年は中止になったとか。本当に直前になって決ったので、理由を考えてみた。
やっぱり去る11月6日にここ外苑のイベントに展示してあった作品が燃えて、幼児が焼死したのが原因だったのだろうと推測しました。
更に考える。
明治神宮って主祭神は明治天皇でしたよね?そして明治天皇が亡くなった後、確か現絵画館の建つ裏手にある斎場殿跡で葬儀したんじゃなかったっけ?となると、イチョウ並木は明治神宮の施設内な訳で。境内でもあるんじゃなかろうか?そこで考えてみる。神社の境内で焼死したら穢れ事って訳で、そりゃあ祭りは中止するわ。とりあえずイチョウ並木に行楽に来ちゃったので、せめて亡くなった幼子の冥福を祈りましょう。
時刻は13時33分。お腹がすいた〜。どこかでお昼ご飯を…。え〜と?確か「東京の紅葉案内」には皇居東御苑の雑木林が素晴らしいってあったから、行ってみようか!