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あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

登戸神社

2017年07月30日 06時40分54秒 | 神社・仏閣
説明文はどこ〜??登戸神社さん訪問の目的は、こて絵でした。でも初訪問の神社なので、御由緒とか御祭神とか知りたいと説明板を探しましたが、古っるい木札が1枚だけ見つけたけども?古すぎで、表面に書いてある文章が読めないという事態。なので、現場で説明板を探すのを諦めて、帰宅後WEBで検索したところ。
登戸神社
御祭神:宇賀魂大神(うかのみたま大神) 牛頭天王・天照皇大神・大山咋神・金山毘古神・金山毘賣神・第六天
何か、いろいろぶっ込み過ぎてるなあ〜??
明治の頃の神仏分離令とか、近くの信仰のあれこれを合祀があるから、お祭りしてる神様が多いのはありがちなのですが。
御由緒:登戸稲荷社の創建時代については不詳ながら、武田家の家臣吉沢兵庫が当地で帰農の際に邸内鎮守として草建。登戸村小名東耕地の鎮守だった。
まずは参拝。

大きな2本のイチョウが素敵です。見応えあるなあ〜。
トップ画像の石の鳥居の向こうに、一対の狐の狛狐がいます。1匹は子狐を、もう1匹は球を持っています。もともとは。現状大分欠けがあり、耳は欠落しています。

御本殿。素敵は木彫りが建物の周囲に施されています。



まずは本殿左側へ。

訪問の目的のこて絵を見つけました。保存のため、表面をガラスで覆ってあります。



こて絵の先にある木彫。これ、裏表です。デザインが違うのね。
そのままぐるっと本殿を回り、右手へ。

う〜ん??もしかして、かつては左側と同じく全面にこて絵が施されていたのかも?華頂窓と右下の漆喰の色味が違うからね。こて絵がある部分には左側と同じくガラスの覆いがあります。
せっかくなのでしたから見上げるだけでなく、本殿の廊下正面から撮影してみる。

こて絵を奉納した左官の名前があります。
川崎歴史ガイドがありました。「稲荷社と左官職人登戸には左官職人が多かった。腕前は東京、埼玉にまで評判が伝わっていたほど。登戸の鎮守、稲荷社は外壁が漆喰で飾られ、当時の左官たちの意気込みを伝えている。」
これだけ??え??作成年代は??
ちなみに、川崎歴史ガイドは、川崎市内の名所・旧跡を調査選定し、散策コースを設定。全部で9つ。登戸神社さんと昨日見かけた北向地蔵と馬頭観音も同じ説明文がありました。ここは4番目の津久井道と枡形城址コースの途中です。いつか歩いてみるのもいいかも?



こちら側にも裏表でデザインの違う木彫がありました。
当初計画では、ここでお昼ご飯にするつもりでした。石のベンチもあるし。
しか〜し!!訪問時はおじさんが一つの石のベンチで寝てたり、もう一つのベンチも別のおじさんが休憩中だったので諦める。

境内には目立つあれこれはあまりなかったけど、立派なのは明治の日露戦争で亡くなった人を祀る石碑と生きて戻った人を讃える石碑です。日露戦争の石碑はどこも立派だなあ〜。あちこちで見かけるんですよね〜。
さてと?時刻はすでに12時25分。このまま登戸駅に戻ってもいいのですが、登戸神社さんの所在地は?とWEBの地図を見たら、すぐ近所にさらに2つ、神社と宗教施設があったんだよね。宗教施設と書いたのは、「丸山教」って何かしら〜??これを知らないからさ。行ってみよう!

登戸神社さんの前は昭和の気配が残る昔道です。歩くのが楽しい道ですね〜。
あれかな?左手に大きな屋根が見えてきたわ。昔道は曲がりくねっていて、目的地までの行き方を記憶してなかったけど、楽勝だったわ〜。

素敵な華頂窓ですね。行ってみよう!
コメント
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