あられの日記

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猫地蔵

2012年05月27日 05時08分13秒 | 猫にゃん
旧青梅街道の青梅シネマチックロードから南へ向かう。そこにあるのが常保寺さん。ここに猫地蔵があるのです。
トップ画像がそれ。
説明板発見:開運招き猫地蔵
昭和初期、裏宿町の通称どんつく様境内にあった猫地蔵を廃寺に伴い、当地に引き取り安置する。
背面:南無妙法蓮華恭
ご利益:開運招福 商売繁盛 千客万来
以前訪れた時には猫地蔵は雨ざらしだったけど、いつの間にやら立派な覆いが出来てました。
中原章墓
猫地蔵の左隣にあります。
説明板発見:墓碑の左右の裏面の三面に、当寺11世住職の撰文が刻まれ、次のような意味が漢文で記されています。
「先生は出身は明らかではないが、姓は多賀、名は章。字は士文と称し、また号を五柳ともいった。
大変博識な人で、何を聞いても答えられないものはないというほどであった。小食にして多飲、専ら冷酒を愛好した。多摩川のほとりに14年ほど漂泊した後、庵を蒼梅(青梅)市中に結び、慕って集まる人たちにいろいろな事を講じた。晩年はひげをたくわえ、衣服なども意に介せず粗末な服装で通した。シラミがたかっても、それをとることもなく、またつぶすでもなかった。周囲の人が心配して新しい衣服を贈っても、それを着替える事すらしなかった」と。
寛政2(1790)10月1日没したが、手記には次の歌が書かれている。
「同じくは かくて吾が世をふる寺に すみはてぬべき 身ともならばや 章」
昭和28年11月3日 市指定史跡に指定 青梅教育委員会
だそうで。
う~む。なぜにこのお墓が今まで残ってるんだろう??最近お参りに来る人がいるようにも思えんが…。

常保寺は瀑布山常保寺。
創建は室町時代。宗派は臨済宗。鎌倉建長寺末寺です。なのであちこちに北条のミツウロコの模様がありました。
あと、画像を撮り忘れたのですが、本堂正面両脇にある大きな石燈籠は、徳川家の葵の御紋が彫ってあり、もとは芝の増上寺から譲り受けたものです。
かろうじで山門の画像奥に石燈籠が写ってました。これが増上寺の石燈籠。
調べた。
増上寺の徳川将軍家霊廟は昭和20年3月と5月の空襲で焼失。戦後、霊廟部分をプリンスホテルが取得し、霊廟への参道や霊廟を囲む様に立ち並んでいた300諸藩主より寄進された石燈籠は所沢の地(現在の西武ドーム近隣)に運ばれました。
その数約1000基と言われております。学術調査が終わると狭山へ運ばれ、そのまま野積みにされ西武球場が建設される時に周辺の寺院に希望により配布されました。
ですって。
だからここにもあるのね。
これも一つの諸行無情です。

さて帰ろう。
実は常保寺の向かいは青梅市立美術館など散策にもってこい!のポイントがあるのですが…。月曜につき休館。
なんだか素敵な昭和レトロな建築も見えるのですが…。
うおっ!!あれは何~~っ!!理解出来ない~~っ!!

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