花菜ガーデン植物園から臨時バスに乗って平塚駅北口へ戻りました。駅前のバス停には、ホテルサン・ライフガーデンのシャトルバスが30分毎に出ています。ンがっ!!平塚駅に臨時バスが到着したら、シャトルバスが目の前で出てしまった~~。
ならばっ。当初の予定通り八幡山公園へ向かいます。徒歩で。歩いて約10分程で到着です。
まさか、去年の夏訪問した平塚八幡宮に隣接してたとは…。いや~、あの時はメインが平塚の七夕飾りでおまけが要法寺の蓮&平塚八幡宮でした。ここにレトロ建築があると知らなかったのだ~~っ。ンでも、まあ今回いい季節に訪れたようです。なぜってほらーー。
建物の前は見頃のバラがあるのです。洋館とバラのコラボ画像が撮影出来るのだよっ
まずは外観を角度を変えて撮影です。
建物の外観の塔屋がある南東部。
この建物は、平成16年に国の登録有形文化財(建造物)に登録されているようです。
引き続き建物外観細部の撮影を。
洋館の雰囲気たっぷりの上部のアーチ。窓の下にエプロン風の飾り。
こちら側の窓は上にアーチがない。上げ下げ窓になってます。
換気の外枠は、大谷石ですね。
基礎は石を置き、その上に煉瓦を積み、更にその上に石を置いています。床下に湿気が抜けるようにそれを前提で設計したのだとしたら、日本の気候に合ってるなあ。
休館日:毎週月曜。 入館:無料
建物の沿革:もとは明治38年12月に設立された日本火薬製造株式会社の英国人の支配人の住宅でした。明治44年の火災で焼失した前身の建物の後に再建されました。
日本火薬製造株式会社は、日英同盟のもと日本海軍とアームストロング社・チルウォース社・ノーベル社の英国三社の合弁会社として本社をロンドン。支店が平塚として平塚に42万坪規模で設立。工場の完成は明治40年末ごろ。
その後大正8年に日本海軍に買収され、敷地に海軍火薬廠が発足。建物は将校クラブ(横須賀水交社)として使用された。
戦後進駐軍により接収され、昭和25年、横浜ゴム株式会社が建物を含む敷地の払い下げを受けました。
平成16年、平塚市に無償贈与され、所在地から八幡山公園に移築・復原工事を行った。
では内部の紹介を。
応接室の照明。
応接室です。
さて。次に目指すはホテルサンライフガーデン平塚。ええ。さっき見送ったシャトルバスの行き先です。徒歩で約20分程のハズ。国道1号線に沿って歩きます。この辺りは国道1号はかつての東海道と同じ道なんだよ~。なにげにロマンだわ~。
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ならばっ。当初の予定通り八幡山公園へ向かいます。徒歩で。歩いて約10分程で到着です。
まさか、去年の夏訪問した平塚八幡宮に隣接してたとは…。いや~、あの時はメインが平塚の七夕飾りでおまけが要法寺の蓮&平塚八幡宮でした。ここにレトロ建築があると知らなかったのだ~~っ。ンでも、まあ今回いい季節に訪れたようです。なぜってほらーー。
建物の前は見頃のバラがあるのです。洋館とバラのコラボ画像が撮影出来るのだよっ
まずは外観を角度を変えて撮影です。
建物の外観の塔屋がある南東部。
この建物は、平成16年に国の登録有形文化財(建造物)に登録されているようです。
引き続き建物外観細部の撮影を。
洋館の雰囲気たっぷりの上部のアーチ。窓の下にエプロン風の飾り。
こちら側の窓は上にアーチがない。上げ下げ窓になってます。
換気の外枠は、大谷石ですね。
基礎は石を置き、その上に煉瓦を積み、更にその上に石を置いています。床下に湿気が抜けるようにそれを前提で設計したのだとしたら、日本の気候に合ってるなあ。
休館日:毎週月曜。 入館:無料
建物の沿革:もとは明治38年12月に設立された日本火薬製造株式会社の英国人の支配人の住宅でした。明治44年の火災で焼失した前身の建物の後に再建されました。
日本火薬製造株式会社は、日英同盟のもと日本海軍とアームストロング社・チルウォース社・ノーベル社の英国三社の合弁会社として本社をロンドン。支店が平塚として平塚に42万坪規模で設立。工場の完成は明治40年末ごろ。
その後大正8年に日本海軍に買収され、敷地に海軍火薬廠が発足。建物は将校クラブ(横須賀水交社)として使用された。
戦後進駐軍により接収され、昭和25年、横浜ゴム株式会社が建物を含む敷地の払い下げを受けました。
平成16年、平塚市に無償贈与され、所在地から八幡山公園に移築・復原工事を行った。
では内部の紹介を。
応接室の照明。
応接室です。
さて。次に目指すはホテルサンライフガーデン平塚。ええ。さっき見送ったシャトルバスの行き先です。徒歩で約20分程のハズ。国道1号線に沿って歩きます。この辺りは国道1号はかつての東海道と同じ道なんだよ~。なにげにロマンだわ~。
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