あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

謎の構造物

2011年01月18日 05時29分35秒 | ぶらぶら散歩
昨日まで連続紹介した旧前田侯爵邸。渋谷のNHKから松濤の観世能楽堂。鍋島公園を抜けて東大の駒場キャンパスへ。という散歩コースだったんですが…。山手通りへさしかかりましたら、なんか道路の真ん中ににょっきりと謎の煙突が…。
よく見ると、煙突じゃない…。でも普通のビルでもない。だって窓がないもの…。
テクテクと近づくと、1本だと思った白いのが、実は複数本だったことが判明。

何コレ??
画像を見るとわかりますが、そばのビルより高いんだよね??
え~と??
地図を見る。よくわからん。
でもなんか。「首都高速中央環状線」に構造物が重なってるような…。でも首都高速中央環状線は地上にはないよね??ってことはもしかして地下にあるのか??
なぜに山手通り=首都高速中央環状線なのか??私、車運転しないのでよくわかりません。
謎の構造物。地下部分は基礎があるよね?つーか、なぜに複数必要なのか?しかも狭い間隔ででっかい煙突(だから煙突じゃない)が建ってるのか??
わ~か~ら~ん~。
正体知ってる人います?

昨日でかけましたら、ネタをてんこもり拾ってしまいました!
まずは「謎の電車」
やってきたのは「準急伊勢原行き」。
もうそこからして変なのですよ。
小田急小田原線利用者ならピンと来るでしょう。新宿発の準急の行き先は普通本厚木行きですよね。もしくは新松田行き。なのに伊勢原って中途半端な…。
ま、いいかと乗ってましたら、愛甲石田駅を過ぎ、次は終点の伊勢原となった所で車内放送が…。
「後続の急行が遅れています。本日に限り、本車両はこのまま『急行小田原行き』になります」だって!
…ンなのアリかよっ。伊勢原駅で約5分の待ち時間…。9時15分頃新松田駅に到着。ホームから富士山が美しい~!!
そんなこんなでJR御殿場線の松田駅へ。したら、ここってばなんと!!!!パスモが使えませんでした…。今時、無人駅でも使えるで…パスモ!!そんな松田駅…。切符を購入。ホームへの道のり、乗降客とすれ違うなあ…。と思った所で気付や自分…。ハイ。乗車予定の電車に乗り遅れたようです。
しかもっ!!
次の電車の時間まで、待ち時間が約40分っ!!
ンなのあるか~~いっ!!
松田駅のホームに待合室はないっ!!
そんなのあるか~~っ!!
救いは美しい白い雪をかぶった富士の姿でした…。
ち、ちくしょ~~!!富士山が見えたら全てを癒されてしまう日本人っ!私もか~いっ!!
ま、昨日の外出の目的自体「富士山」を見にでかけたのですが…。
昨日は今年一番の冷え込み&強風でした…。松田駅のホームは寒かったです。しかもっ!!富士山は軽いハイキングをして見る「二宮町吾妻山」だったので、結構薄着だったのです。私。だって山を登ると汗かくもの~~。
寒かったです。松田駅のホーム…。風邪がようやく治ったばっかりなのに、また風邪を引きたくはありません。そんなこんなな記事はまた後ほど作るとして…。

そんなこんなで最寄り駅に戻ってきまして、近所の商店街を歩いてましたら、前方に見える灰皿からもくもくと白煙が上がってるではないですかっ!!
こういうときの人間心理って不思議ですね。
どう見ても異常事態なのに、人間が一杯だと「私がなんとかせねばっ」って動く人って驚く程少ないんです。
私が白煙が上がってる灰皿の元に着いた時、「なんとかしよう」としていたのは、年配のご夫人が一人のみっ!!
おかしいやないか~~いっ!!
んでもってご夫人はなんとかしたいけどなんともせず。「どうしょう」「火事になる」とおろおろしてるのみっ。
もっぺん書きますが、昨日は強風が吹いてました。灰皿と言っても人が行き交う商店街に設置してある灰皿なので、大人の腰下まであるような円筒形の奴です。一向に白煙が収まる様子がありません。なので、灰皿から一番近い店舗に駆け込みました。
私が。
ええ、自覚あるのですが、私はどうも平均的な行動を絶対しない日本人なのです。アンケート要員には不向き。意図した答えを絶対変えさない「その他」の意見を書く人なのです。
開けたのは不動産屋さん。そこのご主人に「前の灰皿が燃えてて~」と訴えたところ、ご主人はすぐさまマグカップに水をくんで飛び出てきました。もちろん白煙の勢いは凄くて、マグカップ1杯の水では焼け石に水でしたが。でもここまで来たら後はまかせて大丈夫。ご主人がなんとかしてくれるでしょう。
本格的に燃え始める前にくすぶってる段階で対応出来てよかったです。
1番乗りしたご夫人は「火事にならなくてよかった」とか「こんなところに灰皿置いてるからよ」とか叫んでましたよ。ええ。色々興奮してアドレナリン出まくりです。愛煙者の方、風当たりの強い昨今、例え灰皿に吸い殻を捨てるだけにしても、吸い殻の火の始末は確実に。
や。いい事した!自分っ!!と自画自賛して家に戻ったら、JR東日本がボロボロでした…。そう言えば、JR御殿場線の国府津駅でも二宮駅でも新幹線が動いてないとなんか電光掲示板に書かれてました。
あ。松田駅に告知がないのは松田駅のホームに掲示板がないからです。つーか、JRと小田急線の乗換え駅がこれって…。松田駅はなかなか面白いホームですので、鉄道ファンの方、一変見に行くといいですよ。何が変ってるって、ホームの形です。どう変ってるか説明しにくなあ。あ。あさぎり号専用のホームが小田急線から乗り換える入口からはとっても不便な場所にあります。乗換えに最低5分は見ないと乗り遅れます。遠いです。マジに。

ついでにもう一個。
今度はテレビ番組です。NHKの月曜夜8時笑福亭鶴瓶さんとゲストが街をぶらぶら歩いて人と触れ合うそんな番組「家族に乾杯」。
昨日たまたま番組欄を見てたら訪問地が『香川県観音寺市』とありました。
ええ。私の故郷です。香川県は日本で一番小さな県です。観音寺市は香川県の西の端にあり、西は愛媛県、南は徳島県に接してます。南北に長いのです。
気づいて見始めたら既に放送中でして途中から。昨日は前編の放送。鶴瓶さんとゲストの川平慈英さんが88カ所札所の寺にいました。鶴瓶さん達は瀬戸内海に面している海際にいました。
見ていて思ったのですが、私のマイウエイな土壌は確かに観音寺の地で半分くらい培われたようです。観音寺の人は平均的な日本人からちょっとハズレてる人が平均ではなかろうか。来週の放送を期待して待とうと思います。番組予約しなくっちゃ~。
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前田侯爵邸の2階居室空間

2011年01月17日 05時04分54秒 | レトロ建築
いや~、まさか「前田侯爵邸」だけで何本も記事を分けるとは私も思ってませんでしたが、本日で最後です。これも沢山の画像を紹介しようとしたのが敗因でした。まず公開する場所を明確にするために見取図を。
/2階平面図。薄い黄色で着色してある部屋が公開されてる場所。
/見取図1。正確に記せば、ここは部屋ではなく空間です。画像右手が書斎。
/見取図2。書斎。デスクなどの家具は配置してありますが、本棚は空っぽ。

往時の姿。あれこれ置いてある方が、建物は楽しいです。
洋館を近くから眺めたい。洋館に入りたい家具を入れて欲しい。と欲望は次々と湧いて限りないですね。
/見取図3。長女の部屋。(もしかしたら3男の部屋だったかも)窓の外は玄関ポーチの上のバルコニーですが、部屋からバルコニーには出られません。
/見取図4の部屋。何に使用していたのか、平面図に書かれてないので分かりません。またこの部屋だけ照明が安っぽいので、私は前田侯爵の後の所有者もしくは使用者が付けたんじゃないかと想像します。
見取図左上の4部屋は全て和室です。1&2階の公開されている邸宅の中で、和室はここだけ。
/見取図5。三女の部屋。
/見取図6。かつての主人夫妻の寝室です。トップ画像もここから撮影。部屋の中へは入れません。入口から撮影。
。見取図7。婦人部屋。
私の実家もそうなのですが、子どもはいつか巣立って家を出てゆきます。その後かつて私の部屋だった場所は今では弟一家の居間へと変りました。見取図を眺めながら、長男次男の部屋はないんだ…。と感じてみたり…。これ、いつの時点の部屋の配置なのでしょうか?
WIKIでこの建物を建てた前田利為侯爵を検索。
前田侯爵は軍人として昭和17年(1942)ボルネオ守備軍司令官となり、ボルネオ沖で搭乗機が落ちてなくなってました。撃墜されたのか、単なる事故かうやむや。でも事故だと相続税が発生。戦死だと相続税はかからないと、国会で討論されてました。そして長男次男の部屋の所在はわからないまま。

駒場公園から東大キャンパス沿いに松濤にある観世能楽堂へ戻ってくると既に12月10日14時半。15時の開場に合わせて行列が出来てました。私も加わります。待ち時間は30分程。並んでるのはほぼ年配の方々。能楽の客層は年齢が高いんですね。おまけに毎回飛行機で駆けつけるお金持ち常連さんにいたりして、常連さんの会話は並んでる際の暇つぶしになります。
え?なんでお金持ちが行列するの??って思いました?
実は最終公演となる12月は全席自由席なのです。つまりよい席も早いもの勝ちなんだな。あ。これは私が毎年見に行っている「藤波能の会」だけのルールやもしれませんが…。
年間購入券で余ったチケットを毎年プレゼントして下さる方がいらっしゃいまして。今年はぜひぜひ12月演目「土蜘蛛」を見たかったのです。
期待以上に楽しかったです。
正確に書くと今回は「土蜘蛛入違之伝」という特殊演出有りでして、白泉社から出版されている能学漫画『花よりも花の如く』(著:成田美名子)に紹介されていた土蜘蛛とは演出が違ってました。特にラストは凄過ぎて笑うで!
ちゃんと本も持参し筋書きを追いつつ舞台を見ました。「巻絹」はもう4回目くらいで何度も見てるんだけど、「土蜘蛛」は始めて。
「土蜘蛛」も本を見ながら舞台を追いかけてましたが、最後、怪しい古い塚に血の跡を辿って独武者一行がやって来たあたりからはもうガン見!!だって土蜘蛛は合計20個近いクモの巣を投げるんですよ。舞台はもう真っ白!最後の大詰めは土蜘蛛が両手でクモの糸を投げ、更に後ろから後見が2人土蜘蛛の左右から1個つづクモの糸を飛ばし都合4個の糸が舞台から正面客席へ投げられる!まさにクライマックスです。
能楽はいつの間にか始まっていつの間には終るんですけど、シテ役の土蜘蛛が自分で歩いて退場しないのは楽しい。お話の展開上、最後に土蜘蛛は退治されてしまうので、歩いて引き揚げるのは違和感ありますもん。だから、古塚に見立てた洞窟に土蜘蛛の役者さんが入ったまま、後見の人が古塚を撤収するのはナイスアイデアです
や、最後は私の記憶違いかもしれん。何しろ能楽って3時間くらいあって、附祝言を聞く頃にはもうバテバテなのね。クライマックスを見る頃は、観客も見疲れしてるんです。
「土蜘蛛」は能楽の中では登場人物が多くて楽しいです。つーか、お面好きの私としては、「土蜘蛛」のお面はなかなかお目にかかれない珍しい奴で、それだけでも萌え萌え~
怪異ものが好きな私には「土蜘蛛」は萌えポイントが盛沢山で素敵でした。も~、すぐにでももっぺん見たいっ。
あ~、もっぺん見たい~~!!
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前田侯爵邸の階段&通路

2011年01月16日 04時34分22秒 | レトロ建築
前田侯爵邸は大きくて階段はいくつもあります。でも一般公開で上り下り可能の階段は一つだけ。
中庭に面した窓は、まるで教会のような前面ステンドグラスなのです。素敵だったのでぜひ画像をお見せしたのですが、撮影に失敗しました!携帯電話のカメラは明度差が大きいと失敗しがちです。トップ画像の右手上の窓。実はこれがステンドグラスなのですが、この画像じゃわから~ん。

邸宅の二階見取図。見取図の階段部分をまず紹介します。



/見取図1の部分。飾り窓なのですが、なんとなくお寺の装飾みたいだと思ったのは私の気のせいか??欧州風じゃないような…。
/見取図2。画像は短い階段になってますが、通路です。画像右手奥は三男の居室に続いています。変った造りだ。
/見取図3。前田邸の中心に中庭があります。往時はともかく、今は見窄らしい中庭。建物の明かり取りで造られたのですかね??謎だ。画像下面に写り込んでいる白い物はスーパーでよくある買い物袋です。建物訪問客は靴をスリッパに履き替えて、観光中は靴を手に持たねばなりません。湯島の旧岩崎邸と同じ方法です。
/見取図4。階段あたりの画像と見比べて欲しいんですが、この通路、やけに天井が高いんですよ。一体どういう造りなのだろう?一般公開されているのは邸宅の1・2階の一部のみでして、3階&地下は平面図も掲載されておらず謎のまま。
あ。ちなみに、上の画像の左側は邸宅の2階北東側で、おそらく使用人の部屋だったんじゃないかな~?だって畳敷きの狭い部屋なんだもん。これ、4畳半??
見取図5。画像正面奥は長女の部屋。画像右が階段の降り口。

今朝早起きしたので、フォトチャンネルを1個作成してみました。
疲れた時にはぴったりの癒し画像てんこ盛りです。
左のバーの「最新フォトチャンネル」のトップにある『昭和記念公園の春』です。よかったら見て下さい。
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旧前田侯爵邸洋館一階

2011年01月15日 04時02分53秒 | レトロ建築
建物の由来
旧加賀百万石前田家の第16代当主前田利為の本邸として昭和4(1929)に欧州建築の粋を集めて建築され、当時等洋一の邸宅と称せられました。
当時、東京帝国大学教授であった塚本靖と、宮内省の担当技師であった高橋禎太郎が設計を担当し、駒場の田園の野趣にあわせたイギリスのチューダー様式を取り入れています。

建物デザイン
チューダー様式は、イギリス後期のゴシック様式を簡略化したもので、玄関ポーチの扁平アーチにその特徴を見せています。
外壁には、当時流行したスクラッチタイルを貼り、落ち着いた雰囲気を漂わせています。
また、内部は一変して王朝風に装飾が施され、各部屋はイタリア産大理石によるマントルピースや角柱。 
壁にはフランス産絹織物や壁紙を貼り、
イギリス家具などを配したヨーロッパ調ですが、こうした洋風の室内に日本の伝統的な唐草やひな菊をあしらった文様なども見られます。
文化財指定
戦後一時、この建物はアメリカ極東軍ホワイトヘッド空軍司令官の官邸として摂取され、一部改修されました。その後、昭和39年(1964)には、東京都の所有となり、昭和42年(1967)に東京都近代文学博物館が設置されました。(平成14年3月廃館)
東京都では、この由緒ある建物を末永く都民の財産として保存するために、平成3年には東京都の有形文化財(建造物)として指定されました。
また、平成19年度には、隣接する前田家の迎賓館施設であった和館、渡廊下、茶室待合等を含めた宅地全体を、「旧前田侯爵家駒場本邸」として指定しました。

建物概要
鉄筋コンクリート造り
地上3階、地下1階建て
寄棟造り(マンサード屋根)
尖塔3カ所、屋根銅板葺き、外壁スクラッチタイル貼り
建築面積約1,129平方メートル
延床面積約2、930平方メートル
(内訳)
地下1階506、55平方メイートル
1階997、19平方メートル
2階871、93平方メートル
3階555、29平方メートル

一般公開日:水・木・金・土・日・祝祭日
公開時間:午前9時から午後4時半
/寄木張りの床と漆喰の壁。窓はステンドグラス。階段の造りが不思議な感じがします。なぜここに設置してあるのだろう?
/洋館を和館を繋ぐ渡り廊下
/大食堂。奥に小食堂も。
/応接室。ここ玄関入ってすぐ左手にある応接室なのですが、入口に壁がないのがなんか不思議な造りです。
/玄関ホールから見た応接室。ねっ。壁がないんですよ。
/別の応接室
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旧前田侯爵邸洋館外観

2011年01月14日 04時20分01秒 | レトロ建築
旧前田侯爵家駒場本邸=現在の駒場公園の敷地のようです。

「旧加賀藩主の系譜をひく第16代当主前田利為の本邸であった建物です。以前は、前田家本邸は本郷区現在の文京区本郷にありましたが、関東大震災後の復興計画で駒場に移転しました。当主の前田利為は外国生活も長く、国際的見識の高い文化人でした。そのため新邸建築に当ってはm外国要人の私設迎賓館にふさわしい建物を希望し、設計を東京帝国大学の塚本靖教授に以来しました。実際の設計は技師の高橋禎太郎が担当しています。
洋館の季語は、地上3階、地下1階で、建築面積は1129、4平方メートルです。昭和4年(1929)に竣工しました。鉄筋コンクリート造りで、外壁はスクラッチタイル貼り、アクセントに石材を用い、屋根は銅板葺きです。この建物は、大正末から昭和初期に建てられた大邸宅建築を代表する一つで、機能性を重視し、当時の最新の技術を駆使した、上流社会の生活を偲ぶことが出来る貴重な文化財です。」以上立て看板より。

洋館北側
/正面玄関と車寄せ


/南側。画像手前に芝生広場が広がっています。

 


もう少し建物に近づいて、観察したかったのですが、運悪く幼稚園児がかけっこ大会開催中でして、観察ままならず…。
/非公開の洋館

/公園正面入口
駒場公園には入口が3つあります。私は東門から入りました。
11月に実施された文化財公開ウィークの時に、非公開の洋館2つと、普段は非公開の和館2階も公開されてたんだって。なんか見たかったなあ…。
ところで、公共機関が管理する洋館は結構ありますけど、常時内部公開してる場所って少ないのです。でもここ、前田侯爵邸は公開してるんだよね。
う~ん。楽しみっ。

さて、最近私の住む神奈川県では大根が安く買えるのです。常時100円以下という好条件!ダンナは大根嫌いで、毎日大根料理が並ぶ食卓に辟易としてるようですが、私は大根大好きなのねっ。
で。昨日も大根料理作ったんですけど、さてと取り出した大根。なんか凍ってますっ。もしかして購入時から凍ってたのかもしれませんが、おそらく私が冷蔵庫でうっかり凍らしてしまったようです。
どうしょっかな~~??と思ったものの、気にせずサクサク切って煮ました。ら。あ~ら不思議っ。あっという間に煮汁を吸い込んで、とっても美味しい大根が出来上がりました。もう感動。おすすめかもしれん…。
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旧前田侯爵邸和館

2011年01月13日 04時13分47秒 | レトロ建築
訪問日は12月10日。
当初計画では、代々木公園で紅葉を堪能だったのですが、行ったら既に紅葉シーズンは終りを迎えてました。
ベンチでお昼を取りつつ沈思黙考。
実は14時半に松濤の観世能楽堂に行列せねばならん。現在正午を回った所だから残り約2時間半。微妙な待ち時間。
ならばっ!
少し遠いけど、歩けない距離じゃない。と。代々木公園からNHK前へ。そこから松濤のお金持ちの住宅街を抜け、鍋島公園を横目に駒場東大キャンパスの裏通りを抜けて到着したのは駒場公園でした。
移動距離が結構あって、到着したら既に13時17分でした!と携帯電話に表示が出てます。
目指したのは旧前田侯爵邸。
そう。先日記事にした根津ー上野ーお茶の水ー湯島散歩。これは東京都の文化財公開ウィークのイベントだったんだけど、資料を見た時にチェック!していた邸宅でした。
駒場公園につきましたらば、目的の洋館の前に和館がありました。
ラッキーにもこちらも公開中。さっそく中へ。
「和館は、洋館に付属する迎賓館として昭和5年(1930)に竣工しました。設計は帝室技芸員の佐々木岩次郎です。木造2階建ての近代和風建築で、洋館と別に、独立した門構えを持ちます。和館1階は「御客間」と「御次の間」を合わせ40畳近くなる続き間を中心に、周囲を畳廊下と縁側でぐるりと囲む、特徴的な平面です。「御客間」は伝統的な書院造で、床・違い棚・付書院を備えた格調高いものです。二階は宝形屋根を載せた楼閣風の外観で二階「御客間」の床構えは、数寄屋風を加味したものとなっています。茶室及び待ち合いは、三代目木村背兵衛の設計です。」

和館の1階広間は無料休憩所になってます。

縁側。

日本庭園。画像では音が聞こえないけれど、小さな滝があって涼やかな水音を聞けるようになってます。

広間(二の間)から玄関をのぞむ。…広い。何畳間なのだろう。



廊下です。でも畳敷きなのね。

「和館は現在1階部分が一般に解放されていて、玄関から2の間、1の間(表座敷)と続く広間や、重厚な床の間、違い棚、付書院、欄間の透かし彫りなどを備えた美しい作りを、昔のままに見ることが出来ます。
また、水屋、寄付、待合所を備えた茶室や和室も有料施設として利用いただけます。
縁側からは、根ぎわで3本の枝に別れた珍木のゴヨウマツなどの樹木、流れのある池、芝や石の配置がみごとに調和した庭園がのぞめ、落ち着いた雰囲気を味わうことができます。」以上リーフちらしより。
ちなみに、2階あります。でも普段は非公開で入れません。11月の文化財ウィークの折りは公開されたようなので、その時を狙って出かけてみるのもいいかも。
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東京オリンピック記念

2011年01月12日 04時46分44秒 | 歴史散歩
代々木公園が東京オリンピックの時、選手村があったことを覚えています?
残念ながら、私は知識のみ。さすがに東京オリンピックを見てない。
代々木公園に行ったら、残ってたんですよ。
それがトップ画像。かつてのオランダ選手の宿舎です。







「1964年、第18回オリンピック大会が東京で開催され、その時の選手村が代々木公園になりました。
この建物は当時各国の選手が利用した宿舎の一つで(オランダ選手宿舎)、東京オリンピックを記念して保存されています。
見本園の樹木は、オリンピックの時に世界各国の選手が持ち寄った種から育てたもので、東京オリンピックを記念して育てられています」
建物にあった説明文です。宿舎の正面向かって左奥に見本園があります。
でもこれちょっとヘンだよね?なぜにオリンピックに選手が種を持ち寄るのか?
今と違ってのんびりと競技をやってたのかもしれませんが、わざわざ国から種を持って来るって…。しかも種で増える木って??
や。既に45年経ってるからね。それだけあれば新芽も大木に育つやもしれんけど。
もしかして、普通に花とかかもしれないんですが、12月10日に咲いてる花なんかあるハズもなく…。
ちなみに、オリンピック宿舎はこの1棟しか残っていません。
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代々木公園

2011年01月11日 04時35分02秒 | ぶらぶら散歩
訪問日は2010年12月10日。
公園の紅葉情報を見たら、代々木公園は「落葉」と出ていたのですが、イチョウの落葉が黄色いじゅうたんとなって、モミジの赤に映えて綺麗です。とあったのです。
そっか~。落葉も風情があっていいかも~。と出かけたのですよ。
したらですね。
樹々はもうすっかり冬支度に入ってまして、散歩しててもあんまり楽しくない。

わずかに残ってる秋の名残のモミジに向かって歩く。
 
それなり~に楽しいけど、心が踊らない。萌えない。
よって。路線変更です。
東京都の公園って大概何かしらいわれのある物が配置されてるのですよ。
まずは一つめ。/日本航空発始の碑
「1910(明治43)年12月19日、当時代々木練兵場であったこの地において、徳川好敏陸軍大尉はアンリ・フォルマン式複葉機を操縦して4分間、距離3000メートル高度70メートルの飛行に成功した。
次いで日野熊蔵陸軍大尉もグラーデ式単発機により1分間、距離1000メートル、高度45メートルの飛行に成功した。これが日本航空史上最初の飛行である」と。立て看板に説明がありました。
次いで見つけたのがこれ。/昭憲皇太后大喪儀葬場殿跡の碑。
昭憲皇太后は明治天皇の奥さん。WIKIによりますと、病弱で子はなく側室の子を養子(大正天皇)にしたとあります。明治時代って「側室」いたんですね…。明治天皇と共に明治神宮のご祭神となっています。
ケツアルコアトゥル
「この彫刻は1990年11月、日本とメキシコ合衆国の友好親善のシンボルとして、メキシコから東京都に贈られたものです。古代メキシコ神話の文化神ケツァルコアトゥルの化身「羽根のある蛇」を表しています。」と説明文が。フェデリーコ・シルバさんの作品です。
続いて見つけたのは、趣きが違う…ってこれ、もしかして落書き??
 
よ~く見ると龍虎で対になってるのですね。渋谷側へわたる陸橋の橋桁全体を使用して描かれています。こんだけ立派だとこの上から落書きしないよね。

意味ありげな石碑。でも説明文はついてませんでした。

右奥は代々木第一体育館。東京オリンピックの時の競技場。現在修復中。でも左手前は何かな~??何作ってるのでしょうか??
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三渓園のシンボル

2011年01月10日 04時43分38秒 | 横浜
トップ画像は三渓園にある旧燈明寺三重の塔です。
聖武天皇の勅願寺・京都燈明寺にあったもの。関東地方では最古の塔。康正3(1457)年建築。
眼下に見える大屋根は、同じく旧燈明寺本堂です。

里山は落葉樹が競うように色付いてます。「秋の夕日に照る山モミジ~」って感じ?
さて山の上に登ったので、見晴らし台へ向かいます。
/途中にあった出世観音。
まじめ~にダンナのお仕事がうまくいくようにお祈りしときました!すがってうまくゆくならもう何でも拝んでおくぜっ。
散策道は突然左右に篠竹の竹林が出現しました!
鎌倉のお寺でよく見かける、孟宗竹ではありません。横笛やたなばたに使用されるような細い竹林。スズメが何匹も篠竹の林で遊んでます。
ここを抜けると、かつては外国人の為の洋館が建っていたそうですが、関東大震災で崩壊。跡地に土台や赤煉瓦が散乱しています。
さて。
かつて見晴し台があった松風閣。現在の眺めはこんな感じ。



現在は、新日本石油の石油精製コンビナートが見えますが、かつては磯遊びが出来るような海辺が広がってました。古写真が展示されてて、かつての海辺を回想出来ます。
ここには自販機があって、ダンナがコーヒー休憩。私は地図を出してあれこれ楽しんでいたのですが…。
やっちゃったよ~。
この後、下山して茶屋を冷やかし、大池で渡り鳥を眺め、原三渓の碑を三渓園訪問の仕上げに眺めた後南門へ向かっていたのですが、途中、地図がないのに気づきました!
あれっ!?
一応探しに戻ったんですよ。
でも!
おそらくっ!間違いなくっ!!山のてっぺんの休憩所の松風閣に忘れて来たと思います。つーか、カバンに入れた気になってましたが、実は入れそこねでもしたのでしょう…。
もう無言。
マズい~~。
予定では、三渓園の後、根岸森林公園にある明治時代の競馬場の一等馬見所跡を見物。その後、根岸なつかし公園にある柳下邸で建物を見物するつもりでした。
が。
地図がないっ。
つまり、行けない~~!!
とぼとぼと肩を落として根岸駅へ。

根岸駅から本牧埠頭へ続く貨物線が出てまして、駅前には4重に連なる石油貨物が止まっています。なかなかに珍しい光景です。撮影を終えて電車を待つ間考える。「三渓園だけで帰宅するのはなんだかもったいない」
で、代替えに思いついたのが、日吉にある慶応義塾キャンパスのイチョウ並木でした。
が、前出の記事の通り、日吉キャンパスのイチョウは今年、剪定してしまい、なんとも哀れな姿になってました。

さ、最後にこれか~!!
がっかりイチョウ並木(2010年11月29日)の記事日吉のイチョウ並木の記事はこちらを閲覧してね。
がっくりと帰宅です。ま。そこそこ満足出来た1日だったんだけどね。
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旧矢の原家住宅(合掌造)移築50周年記念

2011年01月09日 04時14分34秒 | 横浜
昭和35(1960)年御母衣ダム建設により湖底に沈む運命にあった旧矢の原家住宅(重要文化財)が三渓園に移築されてから、今年は50年目を迎えます。昭和30年代は高度経済成長により加速度的に各地の民家が失われた時期で、その危機感から民家を集めた多くの博物館が設立された時代でした。そのさきがけとなったのが、三渓園の旧矢の原家住宅の移築です。
建物は江戸時代後期の建築。岐阜県大野郡荘川村(現・高山市内)にあった現存する合掌造りでは最大規模の民家。式台玄関や書院造りの座敷など、農家ながら立派な接客の空間を備え、飛騨の三長者の一人ともいわれた矢の原家の豪勢ぶりがうかがわれる建物である
/居間。
/ダイニング。
こちらに2階はかいこ部屋。現在は糸をつむいだり、機を織ったりした木製の機械が展示されています。1階で囲炉裏に火を入れているためか、2階は独特の匂いがしてました。
ケーブルテレビの番組によると、原三渓の出身が岐阜だった縁でこの辺りにかつての面影を再現したとかなんとかゆってました。
/旧東慶寺仏殿(重要文化財)
期間特別公開。
縁切寺の名で知られる鎌倉東慶寺にあった禅宗様の建物。江戸時代の寛永11(1634)年建築。室町時代の様式を伝える。
明治40(1907)年三渓園移築。

中には何も安置されていない。
こちらからも横笛庵が見えます。



先日掲載した三渓園の見取図が小さかったので大きめの載せときますね~。
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三渓園東側の散策路

2011年01月08日 04時17分30秒 | 横浜
三渓園は明治39(1906)に原三渓の邸宅を一般公開したもの。ということは…。
関東再震災と第二次世界大戦をこの地で経験してる訳で、東の散策路にはかつてなにがしかの建築物があった痕跡があちこちに残っています。が、観光客がぽっと行ってわかるものでなく、ただ登るための階段や道の痕跡が認められる位。だから東手にある山には建築物が少ないです。
そんな中残っているいつくかを紹介します。
トップ画像は大池にかかる歓心橋。
/旧燈明寺本堂(重要文化財)
三重の塔と同じ京都燈明寺から移築。室町時代初期の建築。
でもなんかパッとしない。11月23日まで開催されていた菊花展の展示棚がまだ残ってるし~。でもこのお寺を綺麗に写すポイントは別にありました。

それは三重の塔がある小高い里山の上から。
さて旧燈明寺本堂の先に、待春軒という休憩所がある。こちらでは軽食も売られている。が今回はスルーです。

道々、大漁地蔵があります。
このお地蔵さん、なかなかによいお顔です。
/横笛庵。

どこに水源があるのやら。散策路に小さなせせらぎがある。そこにでっかい望遠をつけたカメラの列。おそらくカワセミ待ち。以前三渓園を訪れた時、こことは別の蓮池でやはりカワセミを待ってた。
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白雲邸と三渓記念館

2011年01月07日 04時27分00秒 | 横浜
白雲邸はぐるりと周囲に塀があって、内部の建物が見えない。上の画像は臨春閣の裏手から撮影したもの。
白雲邸は三渓が隠居所として建てた数寄屋風建築。大正9(1920)年建築。
ちなみに、白雲邸の前にある御門は京都東山の西方寺にあった薬医門で宝永5(1708)年頃建築の門ですが、現在修復中で覆いがかぶせてあります。…これ、APECの時も工事してたのかな?や。やっぱりAPEC終ってから工事を始めたんかも。
さて近くの三渓記念館へ。

こちらでは抹茶をいただくことが出来ます。三渓園のあちこちに休憩出来るベンチが設けられてますが、静かに抹茶をいただくのも良いかと。ミュージアムショップもここ。
「原三渓は、若き芸術家の支援や関東大震災後の横浜復興など多方面に功績のあった人物です。館内では、展示映像により業績やゆかりの美術品を紹介しています」
明治期の芸術家にとって、原三渓はパトロン。訪問時には横山大観の日本画なども展示されてました。三渓園の写真展に1室を割いてました。なかなかに素敵です。
さて。
次に向かったのは鶴翔閣。

ですが、近づけません!
結婚式で貸し切られています。画像中央奥に見える白いのは花嫁さんの角隠し。
くう~~!!!
建物が見たかったです。でも、こんなに素敵な場所で結婚式を上げられるのはいいな。
続いて向かったのは大池。

既に季節は晩秋。遠く大陸から渡り鳥が訪れています。なかなかにフォトジェニック!ですが、携帯電話のしょぼい望遠では、何が何やらわからない~。

こちらにある藤棚でお昼ごはん。なかなかにいい眺め。
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ポスターになった春草盧

2011年01月06日 04時11分08秒 | 横浜
春草盧は三渓園の奥まった場所にあり、私が訪れた11月27日は観光客は少なかった。
でもこれがポスターの撮影場所なんだよね。

ね。同じでしょ?まあ、ポスターの撮影はもう1週間位経ってからやもしれんが。

でもスケッチしてるおばさまがいました!そうだよね。秋は芸術心くすぐられるよね。でも、寒さ対策してから描かないと、ここ、寒いでしょ?

春草盧は織田信長の弟・有楽齋の作と伝わる三畳台目の茶室。九窓亭の旧称がある。
茶室と言えば、ちかくに蓮華院があって。/蓮華院
こちらはまさに茶会の最中でした。三渓園の建物はいくつか有料で貸し出しされてます。当日、原三渓の旧宅、鶴翔閣では結婚式をやってました!
おまけ。
橋の上に休憩の出来る屋根付きの建造物がありました。
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限定公開天授院と月華殿

2011年01月05日 04時53分07秒 | 横浜
聴秋閣から坂を登ると期間限定公開の天授院(重要文化財)があります。
なんつーか、見学客が押し寄せててもう大変。
当日珍しく寝坊をしまして、(原因は前の晩にTBSのSPECつードラマを見て夜更かししちゃったから)予定より2時間遅れで出発したのが敗因です。ううっ。わかっていたのに。観光地は観光客が来る前に撤収!が基本なのにっ!!

せっかく限定公開なので、中に入ってみました!が。こちらも旧天瑞寺寿塔覆堂と同じく、中にはなにもないっ!!
天授院は鎌倉にある建長寺付近の心平寺(廃寺)跡にあった禅宗様の地蔵堂。江戸時代の慶安4(1651)年建築。地蔵堂としては異色の総黒漆塗り。民衆に親しまれたお堂だそうです。原三渓はここに原家の先祖を祀っていました。
大正5(1916)年に三渓園に移築。
どうも外側だけ引き取ったみたい。

見頃の楓が天授院の前にあるので次々観光客が押し寄せる。
/隣接して立っているのは月華殿。
月華殿は徳川家康次代の京都伏見城内にあった大名伺候の際の控え所の建物。慶長8(1603)年建築。


おまけ。/金毛窟。
三渓作の一畳台目の茶室。大正7(1918)年建築。月華殿に隣接してます。上の画像の左手前が金毛窟で右奥が月華殿です。

さて、本日年賀状出しました。遅くなりましたがごめんなさい。
…現在絶賛発熱中です。実家で1、5度気力で熱を下げて戻ったんですよ。昨日はおうちで大人しく~。してて37度台まで下がってたから、せめて松の内に返事出さないと~と頑張ったら失敗した。現在38度台で高温安定中です。
くそぉおお~。市販の風邪薬で飲めるの少ないのに~。ってなことでまたまた葛根湯にお世話になってます。でもこれって風邪の魅き始めならともかく、数日後でも効果あるんですかね??
あ~。も~ぼ~っとする。くらくら。あちこち痛いし…。
みなさんも注意です。関東はマズいことに寒くて空気が乾燥中です。
とりあえずエチケットとして常時マスクはつけてるけどね。これ顔が蒸れますね。熱出てると!花粉症との違いを発見!!
何遍打ち間違いしてるんや自分。も。だめだめ。
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変った聴秋閣

2011年01月04日 04時39分26秒 | 横浜
何が変ってるかって、建物が見る角度、高さによって形が変って見えるんだよね~。
でも撮影失敗したんだよねえ~。何やってんだぁ!!
ゴメン!携帯電話のカメラの機能の限界だったかも?わかりにくけれども、画面中央奥に、三重の塔が見えてます。こちら、構図的には最高です。当日ピーカンでして、明度差があり過ぎると失敗!

京都二条城にあった徳川家光・春日局ゆかりの楼閣建築。元和9(1623)年建築。重要文化財。

聴秋閣の裏に急坂な散策路があります。季節公開。こちらは楓類が多数あってなかなかにいい感じ。でも足元注意です。私。うっかり足を滑らせてだいぶ落ちてしまいました!運良く怪我はありませんでしたが。人にぶつかりそうになってびっくりしました!

この辺りのモミジの紅葉は遅いのかな?11月27日にはまだ色付いてない。


取り急ぎすみません。
実は正月から風邪を引き込みまして、実家で寝込んでしまいました!(迷惑なことに…)敗因は新幹線?
ンなことはどうでもいい。
熱がなかなか下がってくれない~。呼吸が咽が肺が~。ってな感じで、年賀状を出してない方へののお返しが未だ出せてません。このブログをチェックしてる人、いないと思うけど、「私ンちにあられから年賀状が届いてない」とのお心当りのある方、もう少し待ってやって下さい~」もう少しマシにならないと外出も出来ん…。
やや。文章書いてる場合じゃないんですが。誤字チェックなしで。取り急ぎ。
あ。
なんとか神奈川には戻ってます。のぞみの指定席を取ってたからね。自由席で戻るよりマシだと思ったんだけど。実家で療養すべきだったかも~。体中が痛いよ~。ふらつくし~。も~~。
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