あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

目黒雅叙園百段階段とは?

2016年09月10日 06時00分41秒 | 展覧会&観光施設&能楽
目黒雅叙園の展覧会に行って来ました。昨日の記事の続きです。
「百段階段」とは?…百段階段とは通称で、かつての目黒雅叙園3号館にあたり、昭和10(1935)年に建てられた当園で現存する唯一の木造建築です。食事を楽しみ、晴れやかな宴が行われた7部屋を、99段の長い階段廊下が繋いでいます。階段は厚さ約5センチのケヤキ板を使用。階段で結ばれた各部屋はそれぞれ趣向が異なり、各部屋の天井や欄間には、当時屈指の著名な画家達が創り上げた美の世界が描かれています。
昭和の竜宮城と呼ばれた目黒雅叙園の建物の特徴は、装飾の破格な豪華さにあります。最近の研究によると、その豪華な装飾は桃山風、更には日光東照宮の系列、あるいは歌舞伎などに見られる江戸文化に属するものとも言え、なかでも「百段階段」はその装飾の美しさから見ても、伝統的な美意識の最高到達点を示すものとされています。
平成21(2009)年3月、東京都の有形文化財に指定されました。(目黒雅叙園のホームページより転載)
ってな事で、まずは百段階段の下から順に紹介します。ますは十畝の間

天井には全室に8面。本間に15面。合計23面の襖仕立ての鏡面に荒木十畝による四季の花鳥が描かれています。
黒漆の螺鈿細工が随所に見られる重厚な造りの部屋です。






 
室内が暗く演出されていたからかな?ピンぼけになってしまいました〜。ごめんなさい。
十畝の間を出ると、百段階段の向こうに小さな空間があります。
立入り禁止なのですが。
なので、携帯を突っ込んで撮影しました。これです。

トイレです。つーか、便所?いや厠。作りは古いけれど、とっても贅沢です。

これ、トイレの天井画です。
百段階段を上がりまして、次の部屋へ。それが本日のトップ画像を撮影した部屋、漁樵の間です。
室内は全て純金箔、純金泥、純金砂子で仕上げられ、彩色木彫りと日本画に囲まれた美しさは息を吞む程の絢爛豪華さです。床柱は左右ともに巨大な檜で、精巧な彫刻(中国の漁樵問答の一場面)が施されています。格天井には菊地華秋原図の四季草花図、欄間には尾竹竹玻原図の五節句が極彩色に浮彫されています。(目黒雅叙園のホームページより)展覧会終了近くに観覧に行ったせいか、展覧会のチラシが手に入らなかったので、ホームページを見ながらブログ書いてます。
 

その豪華な部屋にねぶた飾りが置いてありまして。

青森ねぶた祭りと漁樵の間のコラボです。観覧客が多く、人が入らないように撮影するにはねぶた飾りをアップする他なく…。コラボの美しさを撮影出来る構図で撮影出来ませんでした〜。無念…。
明日の記事に続きます。



上の2枚を9.13に追加しました。こちら、帰りにもう一度寄ってみました。…更に人が増えてた〜。
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目黒雅叙園和の灯り

2016年09月09日 05時40分05秒 | 展覧会&観光施設&能楽
8月24日、午前が両国江戸東京博物館の《大妖怪展》を鑑賞。観覧者の多さにうんざり。予定時間をオーバーしたものの、両国界隈でランチするより、目黒駅周辺の方が飲食店が多いハズ。そのままJRで移動。目黒駅周辺で店を探す。幸いギリギリでランチタイムに間に合った!
行人坂を降りる〜〜〜っ!!
何故にこの坂はこんなに急坂なのか?ってか、目黒って高級住宅街の最寄駅でしょ??うわ〜〜。まさかすぐそばにこんな急坂があったとは…。でももう降り始めたんである!そろそろと行く他ない。にしても…。坂を下る人も上がる人も多いなあ〜。ま〜さ〜か〜〜!!
《大妖怪展》の前売り券を探しチケット屋を回った時に、《和の灯り展》の前売り券も探したのですがね。

こっちもなかったのね。だから予想はついてた!でもさ。道行く人々が目黒雅叙園に吸い込まれていくのだよ!酷いわ〜本当に歩いてる人が全部展覧会目当てだったとは…。

しかし、不機嫌だったのも、ロビーに入るまで。入館する途端、目に赤と白が飛び込んできた。

期待が膨らむ!gooブログで読者登録をしてる方のブログで、この展覧会の記事を7月上旬に目にして以来「【インド旅行記】の原稿が終わったら目黒雅叙園に行くんだ〜」という危険なフラグを立てました。んでもって夏コミ&COMITIAのイベント終了後、友人を誘ってようやく来れた展覧会なのだっ
フラグを折ることなく回収出来ました〜
何つーの?目黒雅叙園といえば、有名な百段階段&千と千尋の神隠しのモデルの絢爛豪華な部屋ですよ。ここを使っての展覧会は、まま開催されているのですが、大概展覧会会場は撮影禁止です!でもさ〜、今回のイベントは撮影OK!なのです。もうね、友人にも「ぜひデジカメ持参で」と気合いも充分でやって来たのだ。

あ?なんか、額縁がある。これは写せって事ですね。
では早速…。

撮影小物の金魚ちょうちんも使って撮影しましたよ。ピンぼけですが…。
や、やっちまった〜
私はいいんだけどさ。友人のピンぼけ画像は…。実はまだ言ってない!ゴメンなんだけどさ。ど・どうすっかな〜
あ。ちなみにここまで無料ゾーンで撮影してます。さてと次はチケットだ!売り場はどこだ??
えっ!?まさかの券売機で購入。しかもどうも当日券はどの展覧会でも使えるようにかな?表面に【和の灯り展】の明記がない。
うそ〜ん…。しかもしかも!!展覧会のチラシがないっ!
おそらく、展覧会が8月28日で終了となる事から、配布終了してしまった模様です…。
そ・そんなぁ〜。どうやって、ブログ記事を仕上げればいいというのかな??
ともあれ、券売機で購入したチケットを持って入場。と?まずは300個の金魚ちょうちんのトンネルが観覧客を出迎えてくれます。

本当は金魚トンネルが分かる感じの構図で撮影したかったんですが、観覧客が多くて諦めました。上の画像の左側の白い柱は、和紙作家さんの作品とからめて撮影しました。和紙と金魚ちょうちんはいい組み合せだよね。本当、もう少し人が少なければもっと楽しめたのにな〜。

あ。こちらも同じ和紙作家さんの作品です。どなたの作品なのか分かりません…。ああ、ゲット出来なかったちらしには書いてあったんだろうか?
豪華なエレベーター(海外旅行もあちこちの国に行き、有名なホテルのエレベーターにも多く乗りましたが、目黒雅叙園のエレベーターは格別豪華です。くっ!乗ってる客が多過ぎて撮影出来ないのが残念だわ〜。帰りだと写せるかな?どうかしら?

3階に到着。エレベーターを降りた所に線香花火を撮影した映像の作品が出迎えてくれました。
その後、靴を脱ぎます。そうなのね。観覧中は自分の靴を入れたビニール袋をぶら下げて回るのよ…。邪魔だわ〜〜っ!!
あ。早速の百段階段登場〜。天井の豪華な日本画を見上げつつ上ってて気付く。階段の途中、右手に部屋が複数あって、観客は部屋毎の展示物を楽しみつつ100段を昇る仕組みだ。ちなみに、階段の左手は外は見えませんが窓です。
思いがけず長い出だしとなりましたが、続きは明日。ま。ね。6・7・8月と【インド旅行記】の作画にかかり切りだったので、他に出歩いてないからさ〜。紹介したい画像も大してないんだもの…。
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大妖怪展激混み!

2016年09月08日 06時00分58秒 | 展覧会&観光施設&能楽
江戸東京博物館、到着です。チケット売り場が見えた!案の定、凄い人!列を折り曲げてあるし〜。まだ10時半くらいなんですが…。
やっぱな〜、チケット屋を回って前売り券がゲット出来なかったから予想はついてたけどさ。
ん?
「3階にもチケット売り場あります。そっちの方が空いてます」
ならば!と3階へ移動。まあ、列はあったんですが、1階より増し!
列待ちの間に、目的の「大妖怪展」とは別に企画展で「伊藤晴雨 幽霊展」を開催中のようです。順番が回って来たので聞いてみた。
「すみませ〜ん。企画展って『大妖怪展』のチケットで入れますか?」
「入れません。特別展と常設展の共通チケット購入の必要があります」
悩む〜。大妖怪展のみだと1350円。大妖怪展&企画展の共通券は1560円差額が210円です。ちなみに、常設展のみだと600円なので、共通券はお得です。まあな、更にお得に済まそうとするならば、ぐるっとパスの併用がおススメ。
ハッ!何ぼやいてるんだ!?忘れて!
さてと。何はともあれ大妖怪展へ…。
うへぇ〜〜!!
何があった?
それはね。
入口に混雑中って書いてあるう…。やっぱりか…。
もうね。それも予想たってたんだけどね。大妖怪展の展示物は、江戸時代の双草子や読本なのです。江戸時代は貸本中心だったハズ。んでもって江戸時代って大概コンパクトなんだよね…。となると…。
ハイ!予想通り!展示物が小さい〜。人が多い〜。見えない〜〜。
まあ、展示物は絵本ばかりじゃない1巻物展示(もちろん一部のみ)や仏教曼荼羅の掛け軸もありましたよ。ええ。そういうのは比較的見たんだけどさ。案の定、人ゴミが嫌いな私は草子に群がる人に突っ込んで行く気力もなく。更にムカつく事に子供が多いんだわ。なぜに江戸の読本と草子中心の展覧会に子供が見に来てるのか?夏休み中とはいえ不自然だ!とか思っていた疑問は、出口あたりにおまけのように置いてある「妖怪ウォッチ」のキャラ達の人形で氷解しました!
あのさ〜、こんな激混みの展覧会に、なぜに更に人が集まる「妖怪ウオッチ」を取り入れましたか?売上げは上がるだろうさ。でも、満足度は最低だ!この展覧会!!
昔はいいセレクトだったのに。人の動線とか展示物の間隔とかこれでいいと思うのか??
思うに、入場制限かければ良かったんだよ。もしくは入れ替え製。
もちろん内部は撮影禁止ですので、どんなものが展示してるか想像し易いようにパンフレットと江戸東京博物館NEWSより抜粋して紹介します。





パンフレットでないとじっくり見えないってどない?この展覧会「友人が行きたい」と言い、私も妖怪とか人外とか好きなので同意しましたが、あれから2週間しか経ってませんが、人の頭を一杯見た記憶しかないわ。
あ。インパクトの強い紹介文があったのがこれ。

「骸骨の描き方が正しい」
評価出来たのはお土産品売り場です。かつての展覧会に比べて欲しい!と思える品ばかり。展覧会そのものより、お土産品見るのが楽しかったです。あ・あり得ない…。
見て楽しんだだけですが、あまりに凄くて撮影したのがコレ。

分かります?入浴剤です。その名も赤黒く濁った地獄の湯 入浴剤200円

これさ、地獄の湯でゆでられる亡者の気分が味わえます!って事かしら〜?シャレ!
さてと、せっかく共通券を購入したので、常設展示室へ移動します。常設展示室の一画で、企画展伊藤晴雨 幽霊画展があるのですよ。

今回の幽霊画は、落語家の5代目柳家小さん師匠により東京谷中の全生庵に寄贈された全19点の画幅です。それにスタジオジブリの鈴木敏夫さんのエピソードが紹介されてます。


フラッシュ撮影でなければ撮影OKの場所で撮影しましたが、携帯電話では無理だった!
私的には幕末・明治維新と時代が激動激変する中で急速に失われて行く江戸の風俗民芸を。伊藤晴雨が危機感を持って絵として記録ておこうと、晴雨が晩年作成した屏風が展覧会で一押しでした。後はなんか恐ろし過ぎて記憶かわ強制削除してしまい、絵の全貌は思い出せないのですが、腕が真上に伸びてる絵が怖かったです。
NEWSに掲載されていたのがコレ。
共通券で常設展示も観覧出来ます。

じっくり楽しみたい所ですが、今日はもう一つ目黒雅叙園でやってる和の灯り×百段階段展に行くのだ!

1階へ戻ってきました。
江戸東京博物館に来た時はお約束の土産屋をちょい覗いて移動です。
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相撲ファンには楽しい両国駅

2016年09月07日 05時34分07秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2016年8月24日、両国役近くの江戸東京博物館で開催の『大妖怪展』(¥1350)と目黒雅叙園で開催の『和の灯り×百段階段展』(¥1200)を見に行きました。
…何つーの?しばらく展覧会鑑賞から遠ざかってたからかな?入場券が高いと思ったの。
なのぜ、事前に近所のチケット屋さんに「大妖怪展の前売り券ありますか?」と行ったらなかった!隣駅のチケット屋さんにも行ったけどなかった!ぴあにも行ったんだけどね。
ならば!新宿駅の所にズラズラ並んでるチケット屋になら大妖怪展の前売り券あるかも〜?
期待して行きましたがありませんでした!こ〜れ〜は〜〜…。
ヤナ予感しつつもJR新宿駅から両国駅に向います。
腰痛が少し残っていたので、両国駅のホームからエレベーターで降りたらば、目の前に白鵬の巨大絵と武蔵丸の巨大絵があった!トップ画像です。これ、よく見ると白鵬の右側に平成19年って書いてある。
すごいわ〜。白鵬って10年も横綱張ってるのか!!
最近大相撲を見なくなりました。若貴・曙・舞の海〜の頃は幕内の力士の名前は大概知ってたんだけども…。
そして、両国駅です。こんなんありました〜。


左上から武蔵丸・右上が白鵬・左下が朝青龍・右下が日馬富士



左上から旭富士・右上が貴乃花・左下が曙・右下が若乃花。


左上から北の湖・右上が三重ノ海・左下が若乃花・右下が千代の富士

左上から若乃花・右上が柏戸・左下が朝潮・右下が大砲
ビッグネームばかりです。
そして一押しで面白いのがコレ。

有名力士と背比べ!です。右から曙204センチ。中央が白鵬192センチ。左が千代の富士183センチ。実際自分と比べてどんだけでっかいんだ!と。一驚きしたら、東京江戸博物館に急ぎます。だって、前売り券が残ってないって事はさ、バラ街チケットが少ないか?もしくは…。ああ。ヤナ予感。
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目黒不動尊続き

2016年09月06日 05時43分17秒 | 神社・仏閣
目黒不動尊は高低差のある場所にありまして、昨日の記事では低い場所と狛犬を紹介しました。今日は上の部分。
トップ画像は銅造大日如来坐像です。説明板も撮影したのですが、ピンぼけで読めない〜。画像では分かりにくいのですが、大日如来坐像は大きいです。本堂の裏手にあるので、目黒不動尊に訪れた時にはぜひご覧ください。

訪問時は6月4日。画像で分かるように既にアジサイが見ごろになってました。

大日如来坐像の周囲には一部は植物に埋もれて分かりにくいのですが、仏像が配されています。近づけませんが。

こちら、目黒不動尊の本堂に掲げられている提灯。これさ、目黒不動尊の紋所かな?目黒不動尊は本尊が不動明王。宗派は天台宗。正式名称は泰叡山瀧泉寺です。そこまではすぐ分かったんだけど、この紋所の由来とかは今は分からん。そのうち調べようと思います。

縁結び愛染明王
「良縁成就」お詣りの仕方。
1、愛染明王の台座の前で、絵馬を両手に挟み、胸元で合掌する。
2、男 右側より反時計回りに心静めてまわる
  女 左側より 時計回りに心静めてまわる
3、愛染明王の前に戻ったら、一礼をする。絵馬かけに、絵馬を奉納する
あ。またまた狛犬発見。

あれ?でもこれ一つしかないわ。…壊れた?でも素晴らしい石彫だから壊れてないのは残してある?ま、想像ですが。

境内の東側に、なぜか畑がある。これは…。もしかしていも畑?かな??

ああ、そうみたいです。やはりいも畑。しかもさつまいも畑です。目黒不動尊には甘藷先生と呼ばれた青木昆陽のお墓があります。青木昆陽か…。日本史の教科書で見たな。ってか、「暴れん坊将軍」で見た気がする。大岡越前とかもいたような…。って事は享保年間辺りの人ですね。

あ。これは鐘楼かな?

いも畑の隣にこれ。

緩やかな階段を上がり切った所に、満開の花をつける樹がありました。
うん。地味!地味過ぎる。何の樹だろうな?

境内の低い場所に戻ってきました。

勢至堂。江戸時代中期の建築で、目黒区の有形文化財に指定されている。



説明板発見:本居長世。明治に入り、日本は子供教育で一流の詩人が子供のために詩を書き、一流の音楽家が曲をつけた童謡を作りました。本居長世は音楽学校で中山晋平・弘田龍太郎を教えるかたわら「七つの子」「青い目の人形」「赤い靴」「めえめえ子羊」「お山の大将」のような作品を自身作曲して世に送りました。ことに大正9年、野口雨情の詩に作曲した「十五夜お月さん」はいかにも日本的な旋律に変奏曲的な伴奏を配したもので、この書の先駆的な作品とsて重んじられました本居はこれらの曲を作ったころ、この目黒不動のすぐ隣に住んでおり、月の夜、この境内を散歩しながら想を練ったことでしょう。今ここに氏の曲の碑を建てて、氏の功績を記念したいと思います。


境内にはあれこれありましたが、目黒不動尊の外にも何かあったので、行って見た。

山手七福神。ここにあるのは恵比寿さん。

七福神巡りをするのは、お正月って気がする。
恵比寿さんのお堂の前の細い道を西へ。おそらく昔のままの道。なぜってまっすぐでないからね。そこを少し行くと左手に里山が見えた。ここが林試の森公園です。
ゆるい坂を上がると、遊具があり子供等が遊んでいた。里山っぽい所と公園っぽい所が共存してて面白い作りです。そんで、小さな池と池の淵に大きなメタセコイアが並んでる様子が見えるベンチでお昼ご飯です。
ハイ、何かおかしいと思った方正解。なぜか、撮影したハズの画像が全て撮影出来てない〜〜。ア〜〜〜っ!去年買い替えたばかりなのですがね、新しい携帯電話はちょくちょくやらかしてくれるんですよ。シャッター切ってるのに撮影出来てないってどんなんや〜〜〜っ!
お昼ご飯を食べたら、東急武蔵小山駅へ。一度乗換えて、洗足池駅下車。
目的は勝海舟のお墓です。
勝海舟といえば、西郷隆盛と会談し、江戸城の無血開城に成功した人です。咸臨丸でアメリカに行った事もあったかな?確か生まれは両国だったハズ。近所にあの赤穂浪士が討ち入りした吉良屋敷があります。
西郷隆盛との会談は、何度か場所も変えて話しを詰めます。有名なのは品川の薩摩屋敷跡に碑が立ってますが、実は洗足池の近所にある本門寺の庭でも会談しています。
んで、洗足池です。池の畔に勝海舟の別邸がありまして、お気に入りのあまりここに墓をつくるように遺言したとか。奥様のお墓もならびにあるそうなので、ぜひとも見たかったのですよ。
そして訪れてびっくり!!勝海舟のお墓の隣に西郷隆盛の石碑があったのですよ。歴史好きの方、見ると感動する事絶対です。
ご存知の通り西郷隆盛は維新の英雄ですが、明治に入り武士の最後の反乱。西南の役の首謀者として政府の敵になりました。だから、西郷隆盛由来のあれこれは撤去されたり打ち壊されていったとか。この石碑もそうなるハズだった所を勝海舟が引き取って、洗足池の別邸の側に設置しなおしたとか。そんで、今は勝海舟のお墓の隣に立ってるんですよ。勝も西郷も新しい日本の夜明けの為に尽くしました。それが面と向って会談した勝は、西郷の碑を守りたかったんだろうなぁ〜とか、ドリームを見てしまいました。そんな歴史浪漫に浸れます。ここはぜひとも本門寺の会談後の石碑を見上げて、品川で会談跡の石碑を眺めてから洗足池に来る事をおススメします。ちなみに品川周辺には薩摩の名残りがありますからそこを巡ってもいい。まあ西郷の足跡は見つからないかもですが…。本当にないのかなぁ〜。
さてと、6月4日の散歩はこれで終わり。最後は画像が全くなくてすみません。

東急のワンデーパスは安いのでお散歩には使い勝手がいいですよ〜。
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目黒不動の狛犬達

2016年09月05日 11時29分47秒 | 犬&狛犬シリーズ
等救援船散歩。九品寺さんを後に移動。次なる目的地は目黒不動尊です。実は初訪問。今一所在が分からなかったんだけどさ。
これ!道の街灯が参道の証!
目黒不動尊に入る直前、なんか見つけた!

【権八・小紫の悲話伝える比翼塚】だって。
説明板発見:処刑された愛人●●権八と、彼の墓前で自害した遊女小紫。その悲話は”後追い心中”として歌舞伎などで有名だが、この比翼塚は、二人の来世での幸せを祈り建てられたという」
権八!何やった!!説明板は一部痛んでて判読出来ませんでした。

さて、目黒不動尊到着です。
いや、嘗めてた!思いの外、目黒不動尊が大きい!いやね。東京都内、区内だもの。一部の寺社仏閣を除いたら、ちっさいのしか残ってないと思ってたの!
あ。境内図発見。これを見て!

でっかいでしょ?江戸のにぎわいを彷彿とさせる不動尊。寺域が現存してる一因は、境内に高低差があるからだとは思うが。
あ。説明板発見:瀧泉寺りゅうせんじ(目黒不動尊)
天台宗泰叡山瀧泉寺は、大同3年(808古っ!)に慈覚大師が開創したと言われ、不動明王を本尊とし、通称「目黒不動尊」と呼び親しまれています。江戸時代には3代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、以降幕府の厚い保護を受けました。また、五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つとして広く人々の信仰を集め、江戸近郊における有名な行楽地になり、門前町とともに大いににぎわいました。さらに江戸時代後期には富くじが行われるようになり、湯島天神と谷中の感応寺と並んで「江戸の三富」と称されました。
境内の古い建物は、戦災でその大半が焼失しましたが、「前不動堂」と「勢至堂」は災厄を免れ、江戸時代の仏像建築の貴重な姿を今日に伝えています。
その他、境内には「銅造役の行者倚像(いぞう)」、「銅造大日如来座像」があり、仁王門左手の池近くには「山手七福神」の一つ恵比寿が祀られています。
裏山一帯は、縄文時代から弥生時代までの遺跡が確認され、墓地には甘藷先生として知られる青木昆陽の墓があります。
へえ〜へえ〜へえ〜。ってか、物見遊山的な行楽地だったから、あれこれ満載なんですねっ。これでも江戸時代に比べると小ぶりになってるとか。凄いわ。何はともあれ見てこうか?

狛犬発見〜。私的チェックポイントの一つ。続いてまた狛犬。

更に狛犬。

そして狛犬。

ん?これは狛犬じゃなくてお稲荷様か?

こっちが対のお稲荷様。でもよく見たらたれ耳だからやっぱりモデルは犬かもしれん。

水掛け不動です。

水掛け不動の立つ水場は、独鈷の瀧って命名されてます。

…謎の動物。なぜここにいるのか?カエルなのは「いつかカエル」にかけてあるのかな?

説明板発見:鷹居(たかすえ)の松
江戸幕府3代将軍徳川家光が寛永(1624−1644)の頃、目黒不動尊の近くで狩猟中に愛鷹が行方不明になりました。家光が目黒不動別当の実栄という僧に祈らせた所。鷹はたちまち境内の大きな松の枝に飛び戻ったといわれています。
これ以後、家光は不動尊を深く信仰するようになり、火災によって焼失していた目黒不動尊の堂塔を次々と再建させ、寛永11年(1634)には諸堂末寺を合わせ50余棟に及ぶ壮大な堂塔伽藍が完成したといいます。
幕府の保護を受けて以来、歴代将軍が目黒不動尊へ参詣するようになると、江戸庶民にも不動信仰が広がり、目黒不動尊は江戸近郊の有名な行楽地の一つとなり、大変にぎあいました。
尚。現在の松は「鷹居の松」の話から何代か後のものになります。
徳川歴代将軍の参詣か。そりゃあにぎわう訳だしいろいろあるのも納得だね。この先階段。ありがちな急階段と緩い階段がある。もちろん緩い方を上ります。

あ。これ、何かの漫画で見た事あるわ。本物見たの初めてだけどさ。

なぜにここで役の小角??あ。説明板発見:銅造役の行者倚像
役の行者(役小角ともいう)は、奈良時代の山岳修行者で、修験道の祖として崇拝されている人物です。この像は寛政8年(1796)の作で、総高142.2センチ、坐高92.7センチです。やややせ形の神秘的な面相、均整のとれた体躯や手足の表現、法衣や袈裟の衣文のしわなどもとても巧みで江戸時代の銅造彫刻として優れた遺品の一つです。
表面は黒光りしており、これは鋳工の間でカラス銅と称される銅色です。
頭巾を山高にかぶり、木の葉の肩衣をかけ、右手には錫杖を、左手には巻子を持っています。
また像の腹部、胸部、腕部などに刻銘があり、そこから願主の名や、神田に住んでいた鋳工太田駿河守藤原正義の制作であることがわかります。
う〜む。誰がモデルだったんだろうね?

階段途中のあれこれを見ていると、階段辛い〜とかぼやく間もなく上の段に到着しました。

あ。ここにも狛犬。目黒不動尊って狛犬が多いなあ〜。奉納品だと思うけど。狛犬画像が多いから、今日の記事のカテゴリーは「犬・狛犬シリーズ」に入れておこう。
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九品寺後編

2016年09月03日 05時47分29秒 | 神社・仏閣
昨日最後に紹介した鐘楼の隣が、不自然な形に少し地形が隆起してた。これさ、ここが吉良氏の城だった痕跡かな?この辺り大きな樹も多いから、樹も城の時代から受け継がれてるのかもしれない。中には東京都指定天然記念物のイチョウ・カヤもあるそうな。

鐘楼を過ぎると本堂が見える。

ここだけ作り込んだ庭になっている。
あ。書いてなかったけどさ、境内はとっても広く、樹も多い。今の時期だから緑の葉ですが、ここ秋来るともっと感動しただろうな。だってもみじが多いんだ。そう言えば、東急ワンデーパスを使えば、綺麗な紅葉が楽しめる豪徳寺もここ九品寺も両方同じ値段で行ける!…今年の秋、再度来てみよう。

仏足石ですね。先日旅行会社のツアー発表会が隣町で開催された。インドの新コース紹介で、「仏教の寺がまだ仏像がなかった時代には、ストゥーパや仏足石を祀ってました」と聞きました。まだ仏教が起こって間もないお寺があるのもインドなんだと目からウロコ。今じゃあ人口の1%に届かない信徒しか住んでないけどな。
あ。それた。九品寺に戻ろう。

本堂です。上がれます。

このお寺のご本尊は釈迦如来です。
横に少し進めます。

手入れされたお庭が近くから見えました。

本堂の向い、だいぶん奥ですがお堂が見えます。
あれだけじゃないな。行って見ます。

奥のお堂の手前に広い空間があって、ここの樹もでっかいわ。

お堂は3つありました。
さて、ここでこのお寺の名前を思い出して下さい
九品寺さんです。この「九品というのは仏教用語です。
「観無量寿教」に説く九品往生(クホンオウジョウ)の思想に基づくものです。
極楽往生の仕方には、信仰の篤い者から極悪人まで9通りの段階があるとされ、「上品上生」(じょうぼんじょうしょう)から始まって「上品中生」「上品下生」。「中品上生」「中品中生」「中品下生」。「下品上生」「下品中生」「下品下生」に至る。
九品寺さんの九品仏の場合、阿弥陀如来の印相の内、定印を「上生印」説法院を「中生印」、来迎印を「下生印」とし、親指と人差し指(中指・薬指)を接するものをそれぞれ「上品」「中品」「下品」にあてる。『WIKIより』
うん。わからん。
九品で検索しなおすと、物質や人の性質を3×3で分類したもの。
今でも上品(じょうひん)下品(げひん)の語源になってる。
おお!じょうひんな。げひんな。と聞くとなんとなく想像出来たわ。仏教用語って小難しく書き過ぎて、ちっとも理解出来んのじゃ!(コラコラコラ。仏教系大学卒業生がぼやいていい内容じゃないよ。でも仏教系大学に行ってて得したのってさ、中国の山西省の玄中寺だったかな?浄土宗の祖の寺に行った時、道が渋滞して山中の寺に着く時間が遅くなり、見学を端折られたのにキレてごねたら、和尚さんが丁寧に対応してくれたんだよね<何やっとんじゃ!というツッコミなナシで。反省はしてるが、同じ事があれば私はまたごねる>んで寺の由来とか伝承を書いた本をいただいたのですよ。中国語だったけどな。漢和辞典片手に読んだがな。そう言えば、玄中寺のこの本は、私の出身校の先生が日訳をしてるようです。今年の8月6日に横浜で先生の浄土宗の曇鸞についての講演会が合ったのですが、前日にインド本の入稿を青息吐息でしたばかりで、講演会に行けなかったという…。痛恨の出来事が。あれに行っておけばエピソード的に完結してたと思うと本当に残念無念)
九品寺さんの3つのお堂にはそれぞれ仏像が納められてます。一部撮影しました。トップ画像です。
なぜか中に仏像がないお堂もありましたが。

これ、何〜だ?
答え:アショーカ王の塔!
ええっ!?
アショーカ王って、2月にインドでしばしば見たあの王様です??
説明板発見:アショーカ王(阿育王)は、紀元前3世紀のインドの王で、仏教を国教ととし、慈悲の教えにより国民に臨み、その恩徳国内に満ちたといわれている。インド各地に今も残る釈尊の遺跡に多くの石柱を建立して顕彰の誠を示された。現今のインドの国旗は、この石柱の頭部の法輪である。当山の王塔は、日本様式であり、天保年間のものである。
へえ〜へえ〜へえ〜〜!!あれがこれかぁ〜。仏教の聖地、シッダールタが5人の弟子に初めて説教をしたサルーナートに残るアショーカ王の塔の一部を遺跡で。塔の頭部を隣接の博物館で見て来ました。まさか、日本にアショーカ王が伝来してたとはな。これも縁ですね。お詣りしておこう!

最後に素晴らしい楼門を振り返り九品寺を後にした。
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九品仏浄真寺さんへ

2016年09月02日 05時20分06秒 | 神社・仏閣
時は2016年6月4日。
春4月、都内でも有数の桜の名所目黒川へダンナと桜散歩に行くつもりで、小田急相模原ー中央林間駅間の回数券を購入。ところが突然の雨でダンナの休める土日まで見ごろがもたなかったのね。そして回数券は使われないままに…。
時は流れ既に6月、ふと回数券を思い出し目をやると有効期間が迫っていた。ならもう目黒川にこだわらず、東急沿線散歩に目的をシフトチェンジ。ええ。東急のお得きっぷ、ワンデーパスがあるじゃないか!
九品寺〜目黒不動尊〜林試の森(昼食)〜洗足池公園(勝海舟のお墓)を組んでみた。ってな事で、東急に乗って10時半、最寄駅の九品仏駅に到着。

九品仏駅はありそうでない構造だった!だってさ、この構図は鉄道好きにはたまらんでしょ?利用者はもどかしい作りだろうが…。

東急九品仏駅を出て左に顔を振ると、参道が見える。
今どき大きな参道が、街中に残ってるのがもう珍しい。だってここ、東京都世田谷区なんだもの。
あ。本日最初の目的地九品仏は通り名で、正式には九品山唯在念仏院浄真寺といいます。元々は世田谷吉良氏の奥沢城。秀吉の小田原征伐の後廃城になる。江戸時代の寛文年間に近所の名主が寺地として貰い受け、1678年(延宝6年4代徳川家綱の治世)浄真寺を開山した。
素敵な参道でしょ?突き当たりに見えて来たのが総門かな?これ。

扁額が目立ってるなあ〜。

た・達筆過ぎて最初の文字が読めない…。何つーの?英語より昔の字が読めないのってどうよ?日本人なのに…。ざ〜ん〜ね〜ん〜。
さて、総門を抜けると目の前に広い広い庭が広がっていた。

す、すげえぜ!新緑というには遅い6月4日に訪問したのを少し残念に思うあとひと月、いやあと半月早く来るともっと素敵な木々の新緑の競演が楽しめたんだろうなあ〜。
あ。紹介だった。総門を抜けてまず気付くのは、石仏達。

はい。撮影に失敗しました。今どきまだ二つ折りの携帯電話で撮影してるから?でもこの携帯去年の5月に買ったばかりなのですよ。ええ。私のブログを毎日チェックして下さってる方はピンと来ましたよね。ベトナムのフエの川でファイバリットなMY携帯電話を川底に沈めてしまいました。んでこの機会に二つ折りからスマフォに切り替えたかったのですが、AIU保険が原状回復でないとお金が出ないっていうからさ〜。仕方なかったんや〜〜。でも買い替えた二つ折りの携帯電話は確か3万〜4万したのに、AIU保険は1万5000円くらいしか補償金が出なかったんだよな。確か。

石仏達を見物した後、近くにあるお堂へ。と??これ、えんま様じゃん!という事はえんま堂?かな?納められているえんま様の像はなかなかのサイズ。えんま様を祀ってるお寺は寺院散歩をしていると、まま見かけますが、本尊でもないのにこのサイズの像は珍しいんじゃないかな?だってここ東京都なんですよ(本日2回め。しつこい?)
道なりに進むと、読経が聞こえて来た。引かれて音源を探すとまたお堂がある。階段を上がる。堂内で黒い服を着た一団が見えた。どうやら葬式ではないけどそれに準じた仏教の儀式の最中らしい。こういうの何て言うんだっけ?法事かな??うちの田舎じゃ法事の時はお坊さんが各家に来てお経してくれるんだけど。
そ〜っとお暇して戻る。境内で存在を主張する大きな楼閣。これさ、30メートルあるんだってさ。あ。今日のブログのトップ画像がそれね。

楼閣の左右には2体の仁王像が納められている。
あ。説明板発見:紫雲楼(仁王門)楼上の二十五菩薩
当山に参詣される人々は、この楼上に安置してある阿弥陀如来と二十五菩薩に迎えられて、三仏堂へと足を運ぶことになる。すなわち紫雲の門より内は荘厳な浄土(彼岸)であることを示している。この楼閣は寛政年間の建立である。当山の伝統相続行事である「二十五菩薩来迎会」(お面かぶり)は無形文化財に指定せられ、この楼上の二十五菩薩は、来迎の真髄を示現していることなる。
へえ〜へえ〜へえ〜。って事は、この楼閣はお寺が出来た当初から燃えずに残ってるのかな?
あ。説明板がもう一つ。鐘楼?あ。あれか。

ん?なんか、素敵な彫刻があるような…。

はい!撮影に失敗しました〜。素敵な彫刻が見たい方は、ぜひとも直接足を運んで下さい。
あ。説明板な。
鐘楼…仁王門とは対照的に、流麗な建築手法を示す鐘楼は関東でも名楼との誉れ高く、宝永5年(1708)の建立である。梵鐘は文化財に指定されており、今に残る深沢の名家谷岡氏のご先祖が二親菩薩のために鋳造され(宝永5年)、当山に寄進されたものである。また楼の四周に刻まれた十二支は作者不詳であるが、名作として特に有名である。
毎年大晦日より元旦にかけて、除夜の鐘に遠近の参拝者でにぎわっている。
う〜む。見所いっぱい。長くなっちゃったので、続きは明日。
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ベトナム漫画

2016年09月01日 05時21分10秒 | ベトナム旅行記
ベトナムの旅の連載の最後は、去年の夏コミ限定で販売した【ベトナム写真集&漫画】の漫画部分です。
ベトナムの旅を漫画化し、【ベトナムの旅行記】として夏コミ合わせで発行しました。久々の海外旅行の本でしたので、とても嬉しくて浮かれて限定発売したら、結構早い時間で売切れちゃったんですよ。販売価格を制作費を割り込む位に設定したし、限定発売だったから今更再販も出来ないし…。ありがたい事ではありますが、浮かれて作ったからか、今見ても結構いい出来なんですわ。自分でいうのもアレなのですがね。このまま誰にも読んでもらえないままにするのはもったいないな〜?
なので、今年の5月と夏コミに【ベトナム写真集&漫画】の一部をおまけでつけて売りました。
であるならば、ブログのみ見て下さってる方にもお見せしたいなぁ〜とか。

漫画を携帯で撮影してアップしています。なので、セリフが読めないとダメだと思いまして、画像を大きめに取り込んでみました。どうですか?読めますか?







漫画を楽しく読めました?だと嬉しいです。
さて、これでベトナムの旅の連載は最後になります。2度の中断(1回目。撮影のメインカメラの携帯電話が川底に沈んでしまった。2回目。ランコーの浜辺で転んでデジカメが動作不良になった)を挟みました。それでも最後までご覧いただきましてありがとうございました。お礼方々ベトナムの旅の締めくくりとします。
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