アーク・フィールドブック

四万十フィールドガイド・ARK(アーク)のブログ

旅立ちの春に

2025-01-15 | ・最新のお知らせ・イベントなど

 「旅立ちの春に」2008年春に書いた旅雑文です。

ちよっと長めです。おヒマな人はどぞ。期間限定公開中。

 もうすぐ卯月。野山は、春のいぶきでいっぱいです

咲きはじめた花を、芽吹きはじめた葉を、今日はやさしい雨が濡らしています。

湿った空気にほのかに混じるのは、春の甘い香り。

さえずり始めたばかりで、まだへたくそなウグイスの歌も、雨天中止に。

春がきて、僕の出稼ぎの冬も、もうすぐオワリ。あと数日後には、四万十に発てそうです。

 

 この冬の間の休日は、よく図書館に足をはこびました。借りた本の中に(好きな作家だ)

普段、ぼくがモヤモヤ思っていることを、スパっと書いてある箇所があった。

「うんうん、そういうコトかもなぁー」と何度も大きくうなずきながら読んだのは、こんな文章。

 

開高 健がいた。(平凡社)より抜粋 

~ほら吹き男爵よ悠々として急げ~ 夢枕 獏

 

旅の警告

 警句とは違うが僕はひとつ理論を持っている。旅の力学についての理論である。

この理論は主観的であるかもしれないが、原理であり、鉄の公理であるから、

ビッグバン以来、この宇宙消滅の時まで変わる事はない。

どのような理論か。

 

 その前に、筆者の個人的なことに触れたい。

筆者は20代初めの頃から、国内や世界のあちらこちらをうろつきまわってきた。

それは、信州の山だったり、高原であったり、あるいは北海道の雪原であったり、東北の森であったりした。

山小屋で働き、居候をし、釣りをし、放浪をした。

ヒマラヤの氷河の上を歩いたり、極北の荒野を流れる川をカヌーで下ったり、

玄奘三蔵という人物の足跡を追って砂漠の中を歩いたり、天山の氷河古道をうろついたり、

チベット奥地の聖山カイラスを訪ねたりした。そして、何度か死にそこなった。

それで、多少なりとも、わかった事がある。

-中略-

 そのわかったこととはなにか。

それは、「満たされている人間は旅には出ない」というものである。

これが、万物創成以来の、宇宙の不変原理なのである。

「幸福な人間は旅には出ない」 このように置き換えてもよい。

ちょっと待った。「獏ちゃん、そんなことはないよ。幸福な人間だって旅にはいくよ」

そう言われる方もおられるであろう。

ごもっとも。わかる。あなたの言われてること、よくわかります。

わかりますが、筆者はそういわれるあなたとお酒を飲みたくない。

「いや、なるほど。ワタクシもかねがねそう思ってました」

「なんと、これこそ宇宙の統一原理。ホーキングの人間原理もかくなるものでしょうか」

こういう方がたとこそ、私はお酒を飲みたい。

 この原理、筆者個人については、女の子にふられるたびに北へ出かけてゆくという、

はなはだナサケナイ現れ方をしたが、そもそもかのヒンズー教の最高神である

ブィシュヌ神も、その存在形式はインド的な宇宙原理であり、魚、カルキン、

仏陀など、十余りの存在形態を持っており、そのおりおりで別の現れ方をするのである。

大日如来という宇宙の根本原理が諸菩薩の姿となり、

役割分担を持って、この世にたち現れてくるのと同じである。

 おっと、これは筆のすべりすぎだ。

ともあれ、満たされて、幸福な人間は旅には出ない。

では、何故に人は旅に出るのか。

旅に出るのは、満たされていない人間である。

哀しみをその胸に抱えている人間である。

魂が飢えている人間が旅に出る。

その人が抱えている、どうしようもない魂の飢えが、果てしない砂漠の道へと、一歩を踏み出させるのである。

その魂が抱えている哀しみ、飢え、その量に応じて、人は旅に出る。

旅によって、その哀しみの距離を埋めようとする。その空虚を満たそうとする。

 

 玄奘が、そういう人物であった。

ある年、玄奘の歩いた砂漠を歩き、玄奘の越えた氷河を、筆者も越えようとした。

そこは、玄奘が「大唐西域記」に記しているがごとくに

゛十人のうち、三人から四人が雪のため死んだ゛ 道であった。

何故、このような道に玄奘は足を踏み出したのか。

何故、帰ってくるまでに十九年もかかる旅にでたのか。

荒野のただ中で、玄奘が吹かれたのと同じ風に吹かれ、同じ危険を身に受けてる時、

ぼくは、ふいに、理解できたのであった。

玄奘が抱えていたのは、途方もなく巨大な魂の飢えであったのだなと。

その飢えが玄奘を旅に向かわせたのだと。

唐中の経典を読み漁り、唐中の坊主に問答を挑み、それでも玄奘は満たされなかった。

わからぬことばかりであった。

そしてついに・・自らいくしかないと、玄奘は決心したのであろう。

それが、ぼくの、玄奘の旅の皮膚感覚であり、手触りだった。

それと同じものが、一人の小説家を、原稿用紙に向かわせるのである。

そうでなくてはならない。それが、僕にはわかっている。こんなに明らかなことはない。

-中略-

 

フックする一瞬

 同じものが、人を旅に向かわせ、人に物語を書かせ、人を釣りにゆかせる。

しかし、それは彼に何をもたらしたのであろうか。

彼は、それで、満たされたであろうか。

満たされなかったであろう。

旅でそれは、満たされない。

書くことで、それは満たされない。

釣ることで、それは満たされない。

しかし、旅にあって、生命の危険の迫ったほんの数秒、人は飢えを忘れたであろう。

原稿用紙にむんむんと歯をくいしばってたちむかっている間は、小説家はそれを忘れたであろう。

 

 旅から帰れば、また同じ空虚がある。

書き上げてみれば、また、別の空虚がある。

その空虚が、彼を旅人たらしめ、小説家たらしめてゆく。

空虚・・あるいは遠い距離を、永遠に埋め続けてゆこうと覚悟すること、それを選びとらせること。

その意志こそが、彼を小説家にし、旅人にするのである。釣りに行っても、釣り人は同じ心を抱えている。

釣り人は、川の中で一本の木の棒となり、心に映るものと、無限の対話を繰り返し続けてゆく。

-中略-

 釣り人がその空虚を忘れるのは、針に魚がフックしたその一瞬である。

その一瞬、釣り人は、純粋な結晶体となる。

心と肉体がひとつの存在となる。

その瞬間、釣り人は至高の存在となり、無防備な幼児となる。

心臓が破裂して、魂がぶっ飛ぶ。

そして、玄奘が十九年かけて持ち帰った経典を、残りの一生をかけて中国語に翻訳していったように、

釣り人も旅からもどってから、その一瞬を何度も何度も、家で反芻することになる。

 暗い、小さな灯りを点した自分の部屋で、

その記憶の炎に寒い心の手をかざすようにして、あたたまるのである。

ひとつの、強烈な釣りの記憶が、一人の人間を、一生、あたためることもあるのである。

-中略-

 

救済の旅

 文学はおそらく人を救わないであろう。

しかし、書いてるその瞬間、書くというその行為の途上にあるとき、

あるいは書き手は救われているかもしれない。

だがそれは、それが書きあがるまでのことだ。

 書きあがったら・・また、彼は大きな飢えと空虚の中にいる。

だから、また、書き手は再び書こうとする。また、旅に出ようとする。

また、いそいそと釣り場へでかけてゆこうとする。

 

 「獏さんね、結局ね、死ぬまでの時間つぶしなのよ」

ぼくに、そう言った歌舞伎役者がいた。

ストイックで、美しい舞台を創造するその役者は、

自分のやっていることが、結局時間つぶしなのであるというのである。

 ああ、そういうことなのか。そういうことなのか。

ぼくには、彼のその言葉が理解できた。

 

 人は誰でも、生まれ、生き、死んでゆく。

生きてる間になにをやるか。

生きてるその時間を、何かで埋めなければならない。

どうせ、何かでは、その時間は埋めねばならないのだ。

どうせ、何かでは埋められてゆくのだ。

何もしないで、ごろごろとしていようと、その時間は埋まってゆく。

いったん築いたポジションに、楽に座っているつもりなら、それでも時間は埋まる。埋まってゆく。

どうせ、何かでは埋まってゆく時間であるのなら、では、自分は、何でその時間を埋めようとするのか。

何でその時間を埋めようと意志する人間であるのか。

それが、その女形の役者は゛舞台゛であったのである。

 

  役者が、舞台によった時間を埋めてゆく存在であるなら、では、作家はどうか。

「書くこと」それに尽きる。

しかし、同じ書くことでも、どういう物語を書くことで、自分はその時間を埋めたいのか。

書こうとして、どうしても書けない時、書き手はどうじたばたするのか。どうあがくのか。

以上「開高 健がいた」より

 

 旅立ちの春。さあ、四万十に帰って、新しいシーズンをはじめよう。

思いだせば —独り凍える夜に— ココロがぬくもるコトができる。そんなツアーを目指して。

そして同時に、こんなコトバも深く自分の胸に刻んで・・・。

「驢馬が旅にでかけたところで、馬になって帰ってくるわけがない」

*西洋のことわざ。意味:旅はかならずしも人を賢くしてくれるわけではない。

コメント
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