「旅立ちの春に」2008年春に書いた旅雑文です。
ちよっと長めです。おヒマな人はどぞ。期間限定公開中。
もうすぐ卯月。野山は、春のいぶきでいっぱいです
咲きはじめた花を、芽吹きはじめた葉を、今日はやさしい雨が濡らしています。
湿った空気にほのかに混じるのは、春の甘い香り。
さえずり始めたばかりで、まだへたくそなウグイスの歌も、雨天中止に。
春がきて、僕の出稼ぎの冬も、もうすぐオワリ。あと数日後には、四万十に発てそうです。
この冬の間の休日は、よく図書館に足をはこびました。借りた本の中に(好きな作家だ)
普段、ぼくがモヤモヤ思っていることを、スパっと書いてある箇所があった。
「うんうん、そういうコトかもなぁー」と何度も大きくうなずきながら読んだのは、こんな文章。
開高 健がいた。(平凡社)より抜粋
~ほら吹き男爵よ悠々として急げ~ 夢枕 獏
旅の警告
警句とは違うが僕はひとつ理論を持っている。旅の力学についての理論である。
この理論は主観的であるかもしれないが、原理であり、鉄の公理であるから、
ビッグバン以来、この宇宙消滅の時まで変わる事はない。
どのような理論か。
その前に、筆者の個人的なことに触れたい。
筆者は20代初めの頃から、国内や世界のあちらこちらをうろつきまわってきた。
それは、信州の山だったり、高原であったり、あるいは北海道の雪原であったり、東北の森であったりした。
山小屋で働き、居候をし、釣りをし、放浪をした。
ヒマラヤの氷河の上を歩いたり、極北の荒野を流れる川をカヌーで下ったり、
玄奘三蔵という人物の足跡を追って砂漠の中を歩いたり、天山の氷河古道をうろついたり、
チベット奥地の聖山カイラスを訪ねたりした。そして、何度か死にそこなった。
それで、多少なりとも、わかった事がある。
-中略-
そのわかったこととはなにか。
それは、「満たされている人間は旅には出ない」というものである。
これが、万物創成以来の、宇宙の不変原理なのである。
「幸福な人間は旅には出ない」 このように置き換えてもよい。
ちょっと待った。「獏ちゃん、そんなことはないよ。幸福な人間だって旅にはいくよ」
そう言われる方もおられるであろう。
ごもっとも。わかる。あなたの言われてること、よくわかります。
わかりますが、筆者はそういわれるあなたとお酒を飲みたくない。
「いや、なるほど。ワタクシもかねがねそう思ってました」
「なんと、これこそ宇宙の統一原理。ホーキングの人間原理もかくなるものでしょうか」
こういう方がたとこそ、私はお酒を飲みたい。
この原理、筆者個人については、女の子にふられるたびに北へ出かけてゆくという、
はなはだナサケナイ現れ方をしたが、そもそもかのヒンズー教の最高神である
ブィシュヌ神も、その存在形式はインド的な宇宙原理であり、魚、カルキン、
仏陀など、十余りの存在形態を持っており、そのおりおりで別の現れ方をするのである。
大日如来という宇宙の根本原理が諸菩薩の姿となり、
役割分担を持って、この世にたち現れてくるのと同じである。
おっと、これは筆のすべりすぎだ。
ともあれ、満たされて、幸福な人間は旅には出ない。
では、何故に人は旅に出るのか。
旅に出るのは、満たされていない人間である。
哀しみをその胸に抱えている人間である。
魂が飢えている人間が旅に出る。
その人が抱えている、どうしようもない魂の飢えが、果てしない砂漠の道へと、一歩を踏み出させるのである。
その魂が抱えている哀しみ、飢え、その量に応じて、人は旅に出る。
旅によって、その哀しみの距離を埋めようとする。その空虚を満たそうとする。
玄奘が、そういう人物であった。
ある年、玄奘の歩いた砂漠を歩き、玄奘の越えた氷河を、筆者も越えようとした。
そこは、玄奘が「大唐西域記」に記しているがごとくに
゛十人のうち、三人から四人が雪のため死んだ゛ 道であった。
何故、このような道に玄奘は足を踏み出したのか。
何故、帰ってくるまでに十九年もかかる旅にでたのか。
荒野のただ中で、玄奘が吹かれたのと同じ風に吹かれ、同じ危険を身に受けてる時、
ぼくは、ふいに、理解できたのであった。
玄奘が抱えていたのは、途方もなく巨大な魂の飢えであったのだなと。
その飢えが玄奘を旅に向かわせたのだと。
唐中の経典を読み漁り、唐中の坊主に問答を挑み、それでも玄奘は満たされなかった。
わからぬことばかりであった。
そしてついに・・自らいくしかないと、玄奘は決心したのであろう。
それが、ぼくの、玄奘の旅の皮膚感覚であり、手触りだった。
それと同じものが、一人の小説家を、原稿用紙に向かわせるのである。
そうでなくてはならない。それが、僕にはわかっている。こんなに明らかなことはない。
-中略-
フックする一瞬
同じものが、人を旅に向かわせ、人に物語を書かせ、人を釣りにゆかせる。
しかし、それは彼に何をもたらしたのであろうか。
彼は、それで、満たされたであろうか。
満たされなかったであろう。
旅でそれは、満たされない。
書くことで、それは満たされない。
釣ることで、それは満たされない。
しかし、旅にあって、生命の危険の迫ったほんの数秒、人は飢えを忘れたであろう。
原稿用紙にむんむんと歯をくいしばってたちむかっている間は、小説家はそれを忘れたであろう。
旅から帰れば、また同じ空虚がある。
書き上げてみれば、また、別の空虚がある。
その空虚が、彼を旅人たらしめ、小説家たらしめてゆく。
空虚・・あるいは遠い距離を、永遠に埋め続けてゆこうと覚悟すること、それを選びとらせること。
その意志こそが、彼を小説家にし、旅人にするのである。釣りに行っても、釣り人は同じ心を抱えている。
釣り人は、川の中で一本の木の棒となり、心に映るものと、無限の対話を繰り返し続けてゆく。
-中略-
釣り人がその空虚を忘れるのは、針に魚がフックしたその一瞬である。
その一瞬、釣り人は、純粋な結晶体となる。
心と肉体がひとつの存在となる。
その瞬間、釣り人は至高の存在となり、無防備な幼児となる。
心臓が破裂して、魂がぶっ飛ぶ。
そして、玄奘が十九年かけて持ち帰った経典を、残りの一生をかけて中国語に翻訳していったように、
釣り人も旅からもどってから、その一瞬を何度も何度も、家で反芻することになる。
暗い、小さな灯りを点した自分の部屋で、
その記憶の炎に寒い心の手をかざすようにして、あたたまるのである。
ひとつの、強烈な釣りの記憶が、一人の人間を、一生、あたためることもあるのである。
-中略-
救済の旅
文学はおそらく人を救わないであろう。
しかし、書いてるその瞬間、書くというその行為の途上にあるとき、
あるいは書き手は救われているかもしれない。
だがそれは、それが書きあがるまでのことだ。
書きあがったら・・また、彼は大きな飢えと空虚の中にいる。
だから、また、書き手は再び書こうとする。また、旅に出ようとする。
また、いそいそと釣り場へでかけてゆこうとする。
「獏さんね、結局ね、死ぬまでの時間つぶしなのよ」
ぼくに、そう言った歌舞伎役者がいた。
ストイックで、美しい舞台を創造するその役者は、
自分のやっていることが、結局時間つぶしなのであるというのである。
ああ、そういうことなのか。そういうことなのか。
ぼくには、彼のその言葉が理解できた。
人は誰でも、生まれ、生き、死んでゆく。
生きてる間になにをやるか。
生きてるその時間を、何かで埋めなければならない。
どうせ、何かでは、その時間は埋めねばならないのだ。
どうせ、何かでは埋められてゆくのだ。
何もしないで、ごろごろとしていようと、その時間は埋まってゆく。
いったん築いたポジションに、楽に座っているつもりなら、それでも時間は埋まる。埋まってゆく。
どうせ、何かでは埋まってゆく時間であるのなら、では、自分は、何でその時間を埋めようとするのか。
何でその時間を埋めようと意志する人間であるのか。
それが、その女形の役者は゛舞台゛であったのである。
役者が、舞台によった時間を埋めてゆく存在であるなら、では、作家はどうか。
「書くこと」それに尽きる。
しかし、同じ書くことでも、どういう物語を書くことで、自分はその時間を埋めたいのか。
書こうとして、どうしても書けない時、書き手はどうじたばたするのか。どうあがくのか。
以上「開高 健がいた」より
旅立ちの春。さあ、四万十に帰って、新しいシーズンをはじめよう。
思いだせば —独り凍える夜に— ココロがぬくもるコトができる。そんなツアーを目指して。
そして同時に、こんなコトバも深く自分の胸に刻んで・・・。
「驢馬が旅にでかけたところで、馬になって帰ってくるわけがない」
*西洋のことわざ。意味:旅はかならずしも人を賢くしてくれるわけではない。