東映と共作予定だったアニメ「宇宙エース」。
原作は少年誌に連載された吉田竜夫作・画による漫画作品。
TVアニメは竜の子プロダクション制作のテレビアニメ第1作
として1965年から1年間放映された。
竜の子プロダクションは、1962年に吉田竜夫が弟2人と
共に漫画原稿執筆のため工房として立ち上げられたが、動画
制作へ進出、東映動画へ出向という形に養成所へスタッフを
参加させていたという。
当初、竜の子プロはあくまでも原作提供と制作、一部下請けの
立場だったが、権利関係をめぐる交渉で東映と決裂。
吉田竜夫はアニメ「宇宙エース」の企画を単独で製作する事を
決意、改めて竜の子プロがスタジオを建設した。
~とはいえ、企画・制作・撮影すべてを社内で行なう体制を
一から始めるのは困難を極めたが、カリスマ吉田竜夫らが
東映出向から戻ってきたメンバー達と一丸となって作り上げ
「宇宙エース」は高い完成度を誇る人気アニメとなった。
九里先生の言い分は「あまりにも・・・な条件だった」。
養成所に出してるとは言え、元は竜の子の主要スタッフ。
彼らが抜ける穴は大きかったし、その間には代わりの者を
入れなければならない。
東映動画側は「養成所で育てている」として、手当ては
竜の子持ち。
その上で権利配分は(竜の子側からすると)不当な程・・・。
それが「あまりにも・・・」だったと。
大手に対しての意地もあった、「京都から出てきた」意地も。
「甘くみるなよ」・・・と。
だから一から始めた。竜の子アニメ部門を立ち上げた。
東映から来てくれた人の貢献もあった。
当時は悔しかったが、おかげでタツコノ・アニメが生まれた。
あれで良かったんだ・・・と。
九里一平先生は少し微笑んで語られた。
(続く)
原作は少年誌に連載された吉田竜夫作・画による漫画作品。
TVアニメは竜の子プロダクション制作のテレビアニメ第1作
として1965年から1年間放映された。
竜の子プロダクションは、1962年に吉田竜夫が弟2人と
共に漫画原稿執筆のため工房として立ち上げられたが、動画
制作へ進出、東映動画へ出向という形に養成所へスタッフを
参加させていたという。
当初、竜の子プロはあくまでも原作提供と制作、一部下請けの
立場だったが、権利関係をめぐる交渉で東映と決裂。
吉田竜夫はアニメ「宇宙エース」の企画を単独で製作する事を
決意、改めて竜の子プロがスタジオを建設した。
~とはいえ、企画・制作・撮影すべてを社内で行なう体制を
一から始めるのは困難を極めたが、カリスマ吉田竜夫らが
東映出向から戻ってきたメンバー達と一丸となって作り上げ
「宇宙エース」は高い完成度を誇る人気アニメとなった。
九里先生の言い分は「あまりにも・・・な条件だった」。
養成所に出してるとは言え、元は竜の子の主要スタッフ。
彼らが抜ける穴は大きかったし、その間には代わりの者を
入れなければならない。
東映動画側は「養成所で育てている」として、手当ては
竜の子持ち。
その上で権利配分は(竜の子側からすると)不当な程・・・。
それが「あまりにも・・・」だったと。
大手に対しての意地もあった、「京都から出てきた」意地も。
「甘くみるなよ」・・・と。
だから一から始めた。竜の子アニメ部門を立ち上げた。
東映から来てくれた人の貢献もあった。
当時は悔しかったが、おかげでタツコノ・アニメが生まれた。
あれで良かったんだ・・・と。
九里一平先生は少し微笑んで語られた。
(続く)