あるBOX(改)

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「九里一平 PAST & FUTURE」に行った(3)

2016年09月25日 | アニメ・特撮
東映と共作予定だったアニメ「宇宙エース」。

原作は少年誌に連載された吉田竜夫作・画による漫画作品。
TVアニメは竜の子プロダクション制作のテレビアニメ第1作
として1965年から1年間放映された。



竜の子プロダクションは、1962年に吉田竜夫が弟2人と
共に漫画原稿執筆のため工房として立ち上げられたが、動画
制作へ進出、東映動画へ出向という形に養成所へスタッフを
参加させていたという。

当初、竜の子プロはあくまでも原作提供と制作、一部下請けの
立場だったが、権利関係をめぐる交渉で東映と決裂。

吉田竜夫はアニメ「宇宙エース」の企画を単独で製作する事を
決意、改めて竜の子プロがスタジオを建設した。

~とはいえ、企画・制作・撮影すべてを社内で行なう体制を
一から始めるのは困難を極めたが、カリスマ吉田竜夫らが
東映出向から戻ってきたメンバー達と一丸となって作り上げ
「宇宙エース」は高い完成度を誇る人気アニメとなった。



九里先生の言い分は「あまりにも・・・な条件だった」。

養成所に出してるとは言え、元は竜の子の主要スタッフ。
彼らが抜ける穴は大きかったし、その間には代わりの者を
入れなければならない。

東映動画側は「養成所で育てている」として、手当ては
竜の子持ち。
その上で権利配分は(竜の子側からすると)不当な程・・・。

それが「あまりにも・・・」だったと。

大手に対しての意地もあった、「京都から出てきた」意地も。
「甘くみるなよ」・・・と。

だから一から始めた。竜の子アニメ部門を立ち上げた。
東映から来てくれた人の貢献もあった。
当時は悔しかったが、おかげでタツコノ・アニメが生まれた。

あれで良かったんだ・・・と。
九里一平先生は少し微笑んで語られた。

(続く)