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ロベルト・デュランを彩った人々(6)「ルイス・スパダ氏」

2014年09月27日 | ボクシング
デュランの後半キャリアを支えた人物。

ベニテスに敗れ、伏兵カークランド・レイン(英)にも
判定負けしたデュランに
いよいよ引退を勧めたカルロス・エレタ氏たちだったが

デュランは現役続行を望み、ここへ来てチーム・デュランは完全に
袂を分かった。

そこでデュランが訪れたのがルイス・スパダ氏の事務所。
「自分はまだ出来る。力を貸して欲しい」

スパダ氏はパナマの軽量級ロングラン王者イラリオ・サパタを
擁して東洋マーケットで稼ぎまわった辣腕マネージャーとして
名が知られていた。



後にスパダ氏は
「まだまだデュランは出来ると思った」とコメントしているが
まぁ、商品価値が残ってると計算したのかも知れない。

不出来な試合もあった復帰ロードからデュランを世界再挑戦路線に乗せ
ピピノ・クエバスとの人気者対決を組んだ手腕は御立派。

デュランはクエバスに比べれば上手さに優り、ラウンドを重ねながら
攻防の妙を発揮。

堂々のKO勝ちから、デービー・ムーアへの挑戦を勝ち取ったんだから
動機付けも上手かった。

ムーアをTKOで降し3階級制覇を果たした後に
ハグラー戦を持って来たのも驚いた。

まぁ、当時出て来てたマイク・マッカラムあたりと対戦したら
厳しかったかも知れないから、バリバリの超大物ハグラーにブツけるという
大風呂敷広げ、結果「善戦した」と、選手のプライドと商品価値を
保ったんだから、まったく大したモンだと感じ入るばかりで御座います。

そしてハーンズ戦。
さすがのデュランも大物続きで集中力が続かないでしょうよ。
でも、いいカネにはなったでしょうよ。
選手も。マネージャーも。

スパダ氏はデュランもベストマッチを「ハグラー戦」と仰ってるが。
まぁ、自分の仕事ですからね。
「倒されるかも」って言われた試合で右を巧打し、よく戦いましたからね。

ハーンズに倒されたデュランが引退した後も、ロセンド・アルバレスら
有力選手を抱えて活躍。
辣腕マネージャーぶりを発揮された記憶が・・・。

そのスパダ氏も、2009年にパナマで亡くなっています。
やはり、この人が居なければクエバス戦やムーア戦の感激は無かったワケですから
感謝、感謝ですね。


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2 コメント

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パナマ人 (雪男)
2014-10-22 07:36:59
だと思ったらアルゼンチンの人、サバタ使ってドル稼いで、小林宏対アマヤの時にアランドスマンのサブでいたようないなかったような?


いまみたいのは
小林さんや矢尾板さんの師匠中村会長の伝記物


あの年代で中南米遠征なんてよく考えたもんだ
返信する
コメント御礼&れす (ある@管理人)
2014-10-24 01:42:26
To雪男さん

>パナマ人だと思ったらアルゼンチンの人
――ともにスペイン語が公用語ですからね。
中南米はトレーナー、マネージャーが国を跨いで活躍する事が多いけど
その辺にも「盛んさ」の秘訣がある気がします。

>小林宏対アマヤの時にアランドスマンのサブで
>いたようないなかったような?
――そうでしたか。
「朝までスポーツ」で小林弘vsアマヤ放送してた筈だから
VHSテープ探そうかなぁ。

まぁ、商売人のスパダさんは「自分ならデュランvsセルバンテスを組んだ」と
言わんばかりで、「やったらデュランが勝ったと思う」ともコメントされております。

>小林さんや矢尾板さんの師匠中村会長の伝記物
――「虹の戦記」、私も読みたいんですよねぇ。

>あの年代で中南米遠征なんてよく考えたもんだ
――矢尾板さんは敵地で全盛期のジョフレやメデルと戦ってるんですよね。
本当に凄いと思います。

しかも、帰ってきたらパンチも付いていて、
2階級上の東洋王者をKOしてしまったんだから、これまた凄いです。

凄いのは小林さんも国内でキャリアを積み、
「酷く打たれる事ない防御テク」を持って渡航したところ。
海外での敗戦もありましたが、小林さんが「惨敗は無いよ」仰ってるように
基礎を作ったうえで上積み習得のための中南米武者修行だったのが凄いと思います。
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