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ジョルジオ・ゴメルスキー亡くなる

2016年01月19日 | 洋楽
1月13日、ザ・ローリング・ストーンズ初代マネージャーの
ジョルジオ・ゴメルスキー氏が癌で亡くなった。82才。

60年代、ロンドンのクロウダディ・クラブを所有しいた彼は、
ザ・ローリング・ストーンズを箱バンとして起用。

1963年にアンドリュー・ルーグ・オールダムに代わるまで、
ゴメルスキーはザ・ローリング・ストーンズのマネージャーを
務めた。

当時の英国ロックは百花繚乱の時期(またはその前夜)。
ストーンズの後釜として白羽の矢が当たったのはヤードバーズ。

立て続けに人気バンドを手掛けるゴメルスキー氏にも注目が
集まった。



ストーンズとの決裂後はバンドと反目。「スタジアムで演奏して
大金を稼ぐ方法に誘惑されてしまった」とコメントしている。
※これには私も同意です。

60年代後半にはレコード・レーベルを運営。
結果的に短命なレーベルとなったが、契約アーティストには
ブライアン・オーガー、ジュディ・ドリスコール、ジョン・
マクラフリンなどが居たという。

プロデューサーとしても、関わったミュージシャンには
アレクシス・コーナーやグラハム・ボンド、ジェフ・ベック、
ジミー・ペイジ、ロッド・スチュアート、ソフト・マシーンら
(主に初期)の名前が挙がっている。

そうなんですよ、
ストーンズやモッズシーン絡みで胡散くさい(過剰な)仕掛け人の
ように思われるゴメルスキー氏ですが、ジャズ・ロックなどの
プログレ畑でヨーロッパ~英国の橋渡しをした人物でもあるんですよね。

その後、ニューヨークに移住したゴメルスキー氏は、ポスト・
パンクのバンドを手掛けたり、クラブやスタジオを経営したり、
クラブDJを務めたり・・・と自由な活動していたという話。

若い素材を見いだし、そのミュージシャンが自力でスタジオ・
ワークやプロデュースを行なえるようになるまでの後見人の
ような・・・そんな印象でした。

※ゴメルスキー氏本人はズッと手の中にしときたかったけど、
 相手が羽ばたいて行ってしまったのかな・・・。

60年代もっとも熱かったロンドン音楽界で活躍した人物。
ジョルジオ・ゴメルスキー氏よ、安らかに。


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