千曲川に面した丘の上に位置する上田城は、
真田氏の城として有名ですが、
現在見られる櫓、堀、石垣に大改修したのは
仙石忠政氏によるものです。
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真田幸村の父、昌幸によって築城されたのは1583年。
その2年後に戦の舞台となり、領地の沼田(群馬県)をめぐり、
徳川家康と対立し、徳川軍を撃破した城となるのです。
15年後には徳川秀忠が城攻めをするも
真田方の伏兵に迎え撃たれ、諦めましたが、
上田城にてこずり天下分け目の決戦に
秀忠は間に合わなかったのです。
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真田石の伝承
城主はその権威を示すために大手の石垣に巨石を用いるとか。
真田信之が松代に移封を命じられた際に、
父の形見として持っていこうとしましたが、
微動だにしなかったという伝承があるのだそうです。
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かつては七棟あった本丸の櫓のうち
現存するのは西櫓、南櫓、北櫓の三棟、
二重二階で規模も全く同じ、
屋根は入母屋造り、本瓦葺きです。
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明治維新後、上田城にあった櫓は西櫓の他は売却され、
1944年に有志によって買い戻され、
城跡に建て直されのだそうです。
南櫓、北櫓は遊郭で使用されていたとか。
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窓の真下は尼ヶ淵、かつては堤防がなく、
一面河原で千曲川の分流が
深い淵を作って流れていたことから
「尼ヶ淵城」とも呼ばれていたそうです。
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真田氏が居城としていた時代の上田城は、
天然の要害に守られていたものの堅城ではなく、
用兵、戦術の巧みさで大勝した真田氏にあったようです。
別名:尼ヶ淵城、伊勢崎城、松尾城、真田城
種別:平城
築城年:1583年
築城者:真田昌幸
2019.4.13