まるみのあっちこっち巡り

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日本100名城 上田城

2021-11-06 13:00:28 | 日本100名城



千曲川に面した丘の上に位置する上田城は、
真田氏の城として有名ですが、
現在見られる櫓、堀、石垣に大改修したのは
仙石忠政氏によるものです。







真田幸村の父、昌幸によって築城されたのは1583年。
その2年後に戦の舞台となり、領地の沼田(群馬県)をめぐり、
徳川家康と対立し、徳川軍を撃破した城となるのです。

15年後には徳川秀忠が城攻めをするも
真田方の伏兵に迎え撃たれ、諦めましたが、
上田城にてこずり天下分け目の決戦に
秀忠は間に合わなかったのです。







真田石の伝承

城主はその権威を示すために大手の石垣に巨石を用いるとか。
真田信之が松代に移封を命じられた際に、
父の形見として持っていこうとしましたが、
微動だにしなかったという伝承があるのだそうです。







かつては七棟あった本丸の櫓のうち
現存するのは西櫓、南櫓、北櫓の三棟、
二重二階で規模も全く同じ、
屋根は入母屋造り、本瓦葺きです。







明治維新後、上田城にあった櫓は西櫓の他は売却され、
1944年に有志によって買い戻され、
城跡に建て直されのだそうです。
南櫓、北櫓は遊郭で使用されていたとか。







窓の真下は尼ヶ淵、かつては堤防がなく、
一面河原で千曲川の分流が
深い淵を作って流れていたことから
「尼ヶ淵城」とも呼ばれていたそうです。







真田氏が居城としていた時代の上田城は、
天然の要害に守られていたものの堅城ではなく、
用兵、戦術の巧みさで大勝した真田氏にあったようです。

別名:尼ヶ淵城、伊勢崎城、松尾城、真田城
種別:平城
築城年:1583年
築城者:真田昌幸

2019.4.13
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