
吉岡(吹屋)銅山 は、807年に発見されたと伝えられ、
古書に備中の産物に関する記載があるそうです。

江戸時代から大正時代まで操業した銅山を復元し、
坑内を見学できるようにしています。
ヘルメットを被り、進んでいきましょう。

吉岡銅山の坑内断面図です。
上一坑道から九坑道までの落差約368m。

冒険心をそそる神秘的な坑内は、年中15度前後。
時折、水が滴り落ちてきます。

鍾乳洞を見学するのとは違い、
銅山の跡なので人形が当時の様子を伝えます。
見学しているのは私たちだけで、
人形の方が多く、怖くなりました。

吹屋の銅山 としての記録は、戦国時代尼子氏と
毛利氏の争奪戦以来、江戸時代初期一時、
成羽藩の支配下にありましたが、大部分の間は、
天領幕府直轄地で代官の支配下で稼いでいました。

江戸時代の採掘は手掘りで、鉱区も少範囲、
坑内の排水が非常に困難であり
水抜坑道を掘り抜き繁栄することに。
明治以後三菱金属の経営となり、
付近の小山を吸収合併、
自家発電所を設け、機械化し、
日本三大鉱山の一つになりました。

江戸時代には、この地から馬の背にのせて
成羽町下原の総門まで運ばれ、
高瀬舟に積んで玉島港まで行き、
海路を利用して大阪の銅役所へ運ばれていました。
岡山県高梁市成羽町吹屋
2024.5.16

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