履 歴 稿 紫 影子
北海道似湾編
吹雪 10の10
そうだ、俺達は睡ったんだなと思うと、私はこの逓送の馬橇が人馬共に神々しくさえ思えた。
そうした私は、嘗て秋の椎茸狩の日に「北海道では、吹雪で人が死ぬんだぞ。」と言った保君の言葉を、「うん、うん」と頷きながらも内心何を言うのだと聞き流して居た、その日のことを思い出して、保君、すまなかったなぁ。と言う感情が私の胸を締めつけた。
橇の上は、先頭が馭者の逓送夫。その次に兄、そして私が最後部であった。
馭者は、敢然と吹雪に立向って馬を追ったが、私達は、馭者が言うが儘に後向になって座って居た。
中杵臼から湯の沢、湯の沢から峠と、烈風に荒ぶ吹雪の中をかいくぐって馬橇は、似湾へ、似湾へと、驀進に驀進を続けた。
村境の峠を超えても橇は吹雪の真向を突いて驀進を続けたが、輓馬と馭者が楯になるので、私達兄弟には吹雪は直接襲わなかったが、馬橇の両側から烈風に捲き揚げる新雪が、私達の目と言わず、口と言わず、全身に渦を巻いて乱舞するので、その苦痛は、徒歩の時よりも遙かに苦しいものがあったが、そのたて髪を、振り立て、振り立て、首の鈴輪の音も高らかに雪を蹴って、嘶きながら吹雪の平野を驀進する光景は、壮烈そのものであって、馬橇から降り落されまいと懸命にしがみついて居た私ではあったが、その血は沸いて肉は踊って居た。
郵便局では、帰りの遅い私達を気づかって、局長さんも居残って居たが、私達の顔を見ると「オオ帰って来たか、大吹雪で酷い目に逢ったろう、さぁ引継は良いから早く帰りなさい。」と言ってくれたので、各所の郵便函から集めて来た郵便物の這入って居る鞄を閑一さんに渡して、早々に郵便局を出たのだが、家に帰った時刻は、午后の十一時を既に過ぎて居た。
全身雪達磨になって玄関を這入った兄弟が、「只今」と茶の間の灯へ声をかけると、その帰りを待って居た母が、「おお、帰ったか、酷かっただろうにご苦労さんじゃったなあ。」と言って、おろおろとした声で玄関まで出迎えてくれたが、その時の母は泣いて居たのではないかと、私は今思って居る。