備 忘 録"

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080616 新しいグローバリズムへ 均等な配分と魂の安定

2015-10-19 10:40:32 | 評論
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’08/06/16の朝刊記事から

新しいグローバリズムへ 均等な配分と魂の安定
    

法政大教授 田中 優子



1998年に刊行された渡辺京二著「逝きし世の面影」は今こそ読むべき本ではないだろうか。
当初は江戸時代論として迎えられたが、今読むと「私たち日本人にとってしあわせとは何だったのか」と、ふと立ち止まって考えてしまう。
著者は、幕末から明治の日本を記録した外国人たちのまなざしの中に、にこやかに満ち足り、笑い上戸で冗談が大好きで好奇心あふれる日本人たちを見た。
それは今の、金を稼ぐことにやっきになっている日本人や、過労死と老後の不安とワーキングプアに苦しむ日本人とは、ずんぶん異なっている。


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幕末の庶民のほうが、ずっと貧しかったはずだ。
病気も簡単には治らなかった。
幼児死亡率も高い。
しかし、そこここに見られる落ち着きや満足感や笑いから、「しあわせ」という言葉が浮かび上がってくる。
明治以降の日本人たちは、いったい何を目指して頑張ってきたのだろうか。
記録というものはどこに注目するかによって、驚くべき発見があるものだ。
そしてこの発見は、私が江戸時代の文学を通して感じていた日本人像と大きな差はなかった。
そしてまた、私が子供のころに知っていた大人たちとも重なっている。




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高度成長で喪失
私は高度経済成長期に大人になった。
下町の長屋に生まれ育った私は、自分を貧しいとは思っていなかったが、他人と「比較する」ようになって初めて、貧しかったのかもしれない、と気づいた。
それでも卑屈にはならなかったし、さまざまな民族がいた横浜で、差別すら知らなかった。


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むしろ大人になって気づいたのは、日本の高度成長のただ中で私は何かを失ったのではないか、ということだった。
この喪失感が、後に江戸文学を研究するひとつの動機になったのだと思う。
藤原新也氏は「東京漂流」で、生まれ育った門司の旅館が開発のために壊され、そこを立ち去ってゆく時のことを書いている。
私はそのくだりを読むたびに不覚にも涙ぐむのだが、それは私の経験と重なっているからである。


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多くの人が高度成長のなかで、何らかの喪失を体験しているのではないだろうか。
それはあの、少々のことでは動じない人々の安定感と笑いと知恵、他人の生活と自分の生活とが截然せつぜんとは途切れていない不思議に空間、そして、動植物と人間とが入れ込み合ったような生き方ではなかったろうか。
それらはすでに遠い。




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わずかな望みも
論語に、「うれへずしてひとしからざるを患ふ。貧を患へずして安からざるを患ふ」という一節がある。
国の長は、土地や人口や物が乏しいのを憂えるのではなく、配分が均等でないのを憂えるべきであり、貧困ではなく、人の心が安んじていないのを憂えるべきだ、というのだ。
なぜなら、均等であれば人々は自分が貧乏だと感じることはなく、心が安定していれば人は互いに和することとなり、人口が少ないことを心配する必要もなく、国が傾くこともないからだ、と。


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これが、江戸の思想の基盤となった儒学の価値観である。
「既に富めり、また何をか加へん」ー生活が安定したら、その上何を加えるべきでしょうかと問う弟子に、孔子は「それは教育だ」とも言っている。
ここで言う教育とは、思想つまり人間としてどう生きるかを学び考えることだ。
さらに富を求めることではない。
人がどうあるべきかを考え、均等な配分に努力し、人の心が安定する方途を探る、ということなのだ。


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幕末、アメリカは自分たちの捕鯨の足場と市場を求めて日本に開国を迫った。
敗戦後、今度は数字を操作して金をもうけることをよしとする価値観を日本は受け入れ、それをグローバリズムと呼んでいる。
そのただ中にいる若者たちは不安と恐怖にかられ、自らの生活を守る姿勢に入っている。


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しかし、私は彼らが積極的に担いはじめたさまざまな活動のなかに、いちるの望みを見ている。
世界が、そこから富を搾取する対象としてではなく、均等な配分と魂の安定を共にめざす現場になる、という可能性だ。
「逝きし世」はそのとき憲法9条と同様、日本だけではなく世界が目指すべきものとなるだろう。
新しいグローバリズムの誕生である。


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080204 「子供」ばかりの日本社会

2012-07-29 22:36:48 | 評論

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’08/02/04の朝刊記事から

内田樹の常識的  「子供」ばかりの日本社会
(うちだ・たつる=神戸女学院大教授)


この連載も今回で最終回、最後に今の日本についていちばん懸念していることを書いて読者諸氏の熟慮を促したいと思う。

日本のシステムは今うまく機能していない。政治も医療も教育も年金も、すべてがきしんでいる。危機意識はおそらく国民全員が共有している。だが、それに対してどう応じるかで国民は二分される。「誰か何とかしろ」という告発と叱責の言葉を口にする人と「困った。何とかせねば」と青ざめる人である。

システムの不都合を咎めることはシステムの保全のためにはむろん必須のことである。けれども、全員が不調を指摘するだけで、「すみません。すぐ治します」と言う人が出てこなければ、システムはそのまま崩壊する。

○   ○

システムの不調について専一的に批判するだけでよく、補修の義務を免除されているものを人類学的には「子供」と呼ぶ。子供はシステムの制度設計や運用にこれまで携わってこなかったから、システムの不調に責任がない。だから子供には思い切りシステムを批判する権利がある。

けれども、みんなが子供では困る。システムのメンテナンスを本務とする人が必要である。それが「大人」である。

大人と言うのは、たまたま割り当てられた仕事を粛々と果たしている人のことである。システムを一望俯瞰しているわけでも、全体をコントロールできる権限を与えられているわけでもない。彼にできるのは自分の持ち分の仕事だけである。

とりあえず、自分の割り前については、汗をかいて、きちんと仕事をする。担当部署で不備があると知らせを受けたら、すぐに駆けつけて補修する。そういう「まっとうに自分の仕事を遂行する」人たちが一定数確保されてはじめて共同体の骨格は保たれる。残念ながら、そのことはもう常識ではなくなった。

○   ○

社保庁のように役人たちがあれほど節度なく仕事を怠ることができたのは、「自分たちが少しくらいさぼってもシステムは揺るぎなく盤石である」と信じていられたからである。防衛事務次官が民間企業との癒着に久しく安んじていられたのも、少しくらい「つまみ食い」しても税金はさして目減りするわけではないし、自衛隊への国民的信頼が傷つくはずもないと「高をくくる」ことができたからである。

システムの安定性を過大評価し、その保全は「誰か自分ではない大人」がちゃんと引き受けてくれるはずだという考え方を採用できる人は、実年齢にかかわらず子供である。この生き方の範を垂れたのは、「誰かが何とかしてくれるだろう」と後先考えずに政権を放り出した先の総理大臣であった。

これらの事実から推して、日本のエスタブリッシュメントの相当数はすでに子供たちによって占められているようである。

子供たちだけでもなんとか管理運営できてきたということは、それだけ日本的システムの「できがよかった」ということである。先人たちの築いてくれたこの社会の精妙さはおそらく世界に誇ってよいと思う。けれども、黙々とメンテナンスをしてくれる大人はもう絶滅危惧種になってしまった。子供たちだけしかいない社会システムがこの先どれだけ持つか。私にはよくわからない。たぶん、あまり長くないだろう。




2006/09/26 ~ 2007/09/26 第90代総理大臣 安倍晋三
2007/09/26 ~ 2008/09/24 第91代総理大臣 福田康夫
エスタブリッシュメント=社会的な権威を持っている階層。
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080128 外国語学習 流暢さより心に響く会話を

2012-06-17 11:19:03 | 評論

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’08/01/28の朝刊記事から

外国語学習 流暢さより心に響く会話を    タレント イーデス・ハンソン

日本人が外国語を習う必要性を感じたのは、昨日や今日の話ではない。

飛鳥から平安にかけて、十数回にわたり毎回数百人の公式使節が唐へ派遣された。大陸の情勢や先進的な文物を学ぶため、遣唐使は唐の言葉を猛勉強したはずだ。また鎖国下の江戸時代に長崎の出島では、オランダ語が必要となった。さらに幕末から明治にかけても、西欧諸国の知識や技術獲得を目的に日本人は次々と出かけたが、そのときにも相手国の言葉の習得が前提条件だった。しかし、どの時代であれ、外国語の勉強ができたのは、ごく限られた人たちだけ。

第二次大戦前から高等教育の過程に英語があったとはいえ、義務教育と関係なく、いつでもどこでも、猫も杓子も学べる便利さは、終戦後の高度成長に合わせて広まったことだと記憶している。生活が少しずつ楽になり、旅行や留学の機会、企業の海外進出も増え、外国語、殊に話し言葉を習いたい人が急増した。

私が来日した1960年には、そういった強烈な願望があるのに、商売として全国に展開した外国語学校は身近になかった。だから、語学教育者の訓練や素養がなくても、外国人でさえあれば簡単に英会話の教師になれた。かなり疑問を感じながらも、私だってそれで生計を立てられた時期があった。

何を伝えるか
教えたのは、大学生や大学教授、大阪市役所の有志たち、とある良家の若奥さま、いくつかの企業では社員の自発的なグループなど、高学歴で実に多彩な顔ぶれだった。しかし目的や動機はさまざまなのに、「学校で何年も勉強したのに、会話ができない」というのが、共通の切実な悩みでした。その解消に長年役立ったきたのは、昨年経営が左前になったNOVAのような外国語学校だった。

NOVAの行き詰まりで起きた受講料の返還不能、給与不払いや突然の解雇の諸問題以外にも、とても気になるのは、将来、外国人講師たちがこの苦い思い出を本国に持ち帰ること。例えば外国人にとって日本の労働環境が悪く、不当な扱いを受けても適切な補償も救済も期待できないと言われるかも。身内や経験者の話には説得力があるから、ダメージは深くて大きい。首相が外遊先でキャッチボールをやったくらいで(中国の次はどこ?)そうした草の根の不評を修復できるかしら。

まァ、飛鳥でも平成でも、雄弁家になるには教室で行う外国語の授業はホンの出発点にしかすぎない。もちろん言語の基本である文字、発音、単語、単語のつなぎ方や文脈の構成などを覚えなければ、会話を交わすところまで進めない。ただ、基礎作りが終わり、言葉を見事に操れるようになったとしても、どんな姿勢で何を伝えるかという技術以前の問題がある。

言葉は完璧でも、気づかずに偏見に満ちた発言で相手を傷つけてしまえば元も子もなく、何のための語学力か分からない。友だちづくり、異文化とのふれあい、昇給、目的はなんであれ、形式的な完成度よりも学校では習えない内容の方が肝心だ。

考える力養う
言葉は考えや気持、情報などを伝達する道具。その道具を正確に使う技術が語学力で、その役割の大切さは否定できない。だが、伝えるべきモノがなければ、いくら流暢に話されても、松風や潮騒の味わいすらない雑音だ。

日本語もロクに話せないのに、英語を勉強してドウスル?とよく言われるが、まず、なぜ日本語がダメなのかを考えてみたい。言葉を知らないわけではない。それより、むしろ普段からモノゴトをきちんと考え、考えた内容を整理して丁寧に伝える意識や習慣の乏しさが最も大きな原因だろう。どの言語でも同じで日本語に罪はありません。

せっかく身につけた語学力を精いっぱい生かそうと思えば、まず、考える力と豊かな感受性を養うことだ。要は、基本的な生活態度がものを言う。

今、英語を話せる人は世界中にいる。競うならば、流暢度で勝負するよりも、話の中身にこそ力を入れることを勧めます。

日本が資源小国と嘆くばかりでは、芸がない。高い教育水準も立派な資源です。加えて、普段からお互いの心に響き合う話ができる人間こそが、今世界的に足りない貴重な資源だと思いますね。


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団塊世代の生き方

2010-09-12 20:57:10 | 評論

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'07/08/20の朝刊記事から

団塊世代の生き方
残りの人生 老いる見本に            作家 高村 薫


2007年もすでに8月を迎え、ひところ騒がれた団塊世代の大量退職時代という危機は、産業界からも一般社会からもしばし遠ざかった感がある。
かくして世の関心は移り変わり、生産現場のニーズも移り変わるが、団塊世代が1日1日年を取り、老いてゆく事実が消えたわけでなく、彼らの抱える厖大なエネルギーが新たな行き先を得たわけでもない。
ただ問題が潜在化し、社会から消し去られただけである。

そもそも、団塊世代の大量退職は、主に生産現場において、彼らのもつ技術が次世代に継承されていないという危機が表面化したことで注目された。
これは、短期的な利益にとらわれて十分な若手の採用を怠ってきた企業の、深刻な経営戦略の失敗であり、とりあえず定年延長や嘱託雇用というかたちで当面の危機は回避されているが、長い目で見れば、日本のモノ造りの斜陽を予感させる憂鬱な現実ではある。

また一方、団塊世代の大量退職は、彼らの受け取る退職金を当てにした投資ブームや、「セカンドライフ」なる新たな消費によって注目されもした。
そこでは、定年後の人生は豊かで明るく、現役時代にできなかった趣味やレジャーを楽しむ充実した60代が、これから社会に大量に出現するといったイメージがつくられたのであるが、企業が描いたそのバラ色のイメージには、老いも病気も死もない。

社会へ影響大
団塊世代がもつ社会的な意味とは、何事につけその数の多さによって、その事柄が社会的な影響を持たざるを得ないほど大きくなる、ということである。
彼らのもつ資産はたしかに厖大であり、総体的に見れば企業にとって巨大なマーケットにはなろう。

しかしまた、彼らは早晩、社会福祉の対象となる層であり、人口減少社会で労働力にならない高齢者の山を築くのである。
しかも行財政の制度疲労がたまり、産業構造の本格的な転換もそう簡単には進まないこの国の過渡期に、彼らは老いてゆく。

このように団塊世代の今後は、まさにすべての世代にかかわってくるのであり、21世紀前半の日本社会の姿を決定づける現象としてとらえなければならない。
彼らの運命は、下の世代すべての運命である。
彼らが幸福に生きることができなければ、わたくしたちも幸福にはなれない。

さて、団塊世代の立場に立ってみると、その実態はメディアが一括りにするほど均一ではない。
仮に満額の厚生年金を手にしても、この世代は子どもの自由を尊重したため、まだ子どもが独立していない人も多い。
30代で家を購入した人はまだまだローンに追われ、「セカンドライフ」を楽しむ余裕はない。
また、国民年金の受給者層は60を過ぎても働かざるを得ず、悠々自適とは生涯縁がないと思われる。

生活も縮小へ
またさらに、なけなしの貯金は介護が必要になったときの資金に置いておかねばならず、貯金がない人は、早晩自宅の処分も考える必要に迫られよう。
この国は老いにお金がかかる社会であり、将来的にこの傾向がさらに進む現実から目をそらすことはできない。
安定した老いは大部分、老いる者自身の責任である。

しかしまた、こうした経済的条件以上に、団塊の世代が考えなければならないのは、残りの人生の長さである。
病気や老衰で身体が動かなくなる年月を5年ぐらいとしよう。
それを差し引くと、彼らが社会的存在でいられる年月は、平均寿命から考えて10数年である。
これを長いと見るか、短いと見るか。
60にして己が人生の残りを数えるのは厳しいことだが、これを数えずして60からの生き方などはない。

定年後に再就職する人も、一念発起して起業する人も、残りの人生の長さを考えたとき、それなりの働き方が生まれるはずである。
定年後も第一線にしがみつくのではなく、むしろ下の世代の隙間を埋めるような働き方に変えてゆくのが第一歩だろうと思う。
そうして自身の社会的役割を縮小すると同時に、生活全体のサイズをも少しずつ縮小し、物理的にも身軽になってゆくべきである。

数の多い団塊の世代が一斉に老後に突入してゆくとき、わたしたちはこの国で老いることの見本を目の当たりにすることになる。
これが、団塊の世代がもつ最大の社会的意味である.


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遊民とフリーターの差

2010-03-03 22:01:43 | 評論


'07/07/16の朝刊記事から

遊民とフリーターの差
政府に反旗翻す力どこへ

法政大教授 田 中 優 子  


「フリーター」「ホームレス」「ニート」という言葉がある。
どういうわけか、どれもこれも横文字だ。
縦文字に直すとどうなるか。
フリーターは「遊民」、ホームレスは「無宿」といったところか。
つまり今に限ったことではなく、古来いつの時代にも存在した生き方、暮らし方なのである。

しかしニートにあたる日本語はない。
どんな社会でも、働かないで生きていかれるということはなかったからだ。
家事・雑事をまかされる、自給自足をする、農作業や商売を手伝うなど、現金収入にならなくとも仕事はいくらでもあった。
ちょっとしたことを頼まれて小遣いをもらうという働きかたもあり、家族も周囲もそれをさせた。
むろんそれとは別に、勉学に熱中する者もいた。

だが何もしないで家にいるのは、よほどの財産持ちか、よほどの病人である。
なかなか病気が治らないでぶらぶらしていることを「ぶらぶら病(やまい)」という。
江戸時代ならさしずめニートを、「お大尽」か「ぶらぶら病」に分類したであろう。

遊民はお大尽でも病人でもない。
遊民は働いているのである。
「遊」とは移動するという意味で、遊民とはもともと移動することで生きていた人々をさす。
中世の芸能人や職人や山伏、遊女、僧侶などは移動しながら仕事を見つけ、その収入で生きていた。
そういうことが社会に定着していれば、それは異常なことでも非難されることでもなく、人々の通常の営みなのである。

浪人対策悩み
江戸時代になると、多くが都市に定住した。
都市の治安意識も高くなった。
そこで非定住の遊民はやや「困った問題」になった。
やがて武士たちのあいだで遊民論も盛んになる。
つまり遊民対策に頭を悩ましていたのである。
中でも、もっとも幕府が手をやいたのは浪人である。

貧窮した農村から出てきたり、商売がうまくいかなくなったりで日雇い労働に従事する人々は、土木工事があればそこに吸収される。
そういう考え方は江戸時代にもあった。
また商家でも農家でも武家でも、男女問わず家事手伝いの仕事は求められており、女性なら洗い張りや裁縫の仕事もあった。
「口入」という派遣業者がいて、これらの仕事を斡旋していた。

自由に働きたいなら棒手振といわれる、てんびんをかついで物を売る商売方法もある。
これら派遣や棒手振は決して遊民ではなく、職能を持つプロフェッショナルであり、立派な仕事人である。
そういう働き方をする人たちが、今ほどは低く見られなかったのである。

矛先は幕府に
しかし浪人は、そういう仕事に従事しようとはしなかった。
志を持って浪人になった人々は別だが、多くは仕官したいと思いながらできないでいる人々だからだ。
恨みは積もる。
能力があろうが無かろうが、誇りだけは高い。
命を捨てても名誉や精神的満足感が欲しい。

そういう人たちだから、浪人は集まれば何をするかわからない。
実際、由井正雪の乱は浪人の乱であり、忠臣蔵の討ち入りも浪人の結束によるものだ。
討ち入りはその矛先が幕府にではなく吉良家に向かったが、由井正雪の乱はちょっと違う。

大量に発生しながら再就職もできない浪人たちの貧困救済を求め、騒乱による幕政批判をしようとしたのだ。
その矛先はきっちり幕府に向かっている。
結果的には30人以上が処刑されたが、批判の相手が的確という意味で、私は討ち入りよりこちらのほうがはるかにすごい事件だと思う。

フリーターの中に戦争を望む者たちが出てきたことが、総合雑誌「論座」への寄稿をきっかけに知られるようになった。
彼らの抱えている問題は金銭ではなく、むしろ人としての誇りなのである。
フリーターやニートの一部は、かつての浪人と非常によく似た精神状態にあるのかも知れない。

浪人は物騒な人たちだったが、フリーターはネットカフェの個室に分断されて沈黙している。
浪人は政府への批判分子だったが、フリーターは戦争が起こったら、行ってもいいという。
これほど政府に都合がいいのは、一体どういうわけか?

私は現代を見ていて、だらしなさそうな江戸時代のほうがはるかに、反旗を翻す力のある時代だったと気づいた。

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