'08/11/03の朝刊記事から
「有楽町で逢いましょう」
フランク永井さん死去 76歳
「有楽町で逢いましょう」「君恋し」など数々のヒット曲で知られ、"低音の魅力"で戦後のムード歌謡を代表した歌手のフランク永井(ふらんく・ながい、本名永井清人=ながい・きよと)さんが10月27日午後6時、肺炎のため東京都世田谷区の自宅で死去していたことが2日分かった。76歳。宮城県出身。葬儀は近親者のみで執り行った。
1952年に上京し、 埼玉県・朝霞の米軍基地でジャズを歌い始めた。
55年「恋人よわれに帰れ」でデビューした後、歌謡曲に転向、作曲家吉田正さんに見いだされ、57年に「有楽町で逢いましょう」が大ヒットしてムード歌謡のスターになった。
低音が響く独特の歌声で「東京午前3時」「夜霧の第二国道」などのヒットを放ち、61年には「君恋し」で日本 レコード大賞、71年には芸術選奨文部大臣賞を受賞。NHK紅白歌合戦には26回連続出場した。
85年に自宅で自殺を図ったが一命を取り留め、長くリハビリを続けていた。
今年夏、かぜで体調崩して入院し、闘病中だった。
'07/10/19の朝刊記事から
木原光知子さん死去
競泳五輪代表、タレント 59歳
1964年の東京五輪に水泳選手として出場し、引退後はタレントとしても活躍した木原光知子(きはら・みちこ、本名美知子)さんが18日午前1時半ごろ、くも膜下出血のため死去した。59歳。岡山市出身。
木原さんは13日、水泳指導中に倒れ、病院に搬送されていた。
岡山市立旭中学時代に頭角を現し、岡山・山陽女子高1年のときに東京五輪に出場。
女子400メートルメドレーリレーのアンカーとして自由形を泳ぎ、4位入賞に貢献した。
自由形の日本記録を何度も更新する実力とともに、愛くるしい笑顔と「ミミ」の愛称で親しまれ、一躍アイドル選手となった。
日大在学中に競技を引退し、モデルに転身。
70年には五輪を目指す水泳選手を描いたテレビドラマに本人役で出演したほか、バラエティー番組などでも人気を集めた。
05年に日本水泳連盟理事に就任した。
'07/10/19の朝刊記事から
「地上より永遠に」デボラ・カー(英国の女優)
英PA通信によると16日、死去。86歳。
代理人が明らかにした。
長年パーキンソン病を患っていた。
1921年9月、英スコットランド生まれ。
バレリーナから女優に転身し41年に映画初出演。
代表作は「地上より永遠に」「王様と私」など。
アカデミー主演女優賞に計6回ノミネートされたが受賞できず「オスカーの偉大な敗者」と呼ばれた。
94年にはアカデミー名誉賞を受賞した。
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'07/10/13の朝刊記事から
国際的建築家、都知事選出馬
黒川紀章さん死去 73歳
日本の代表的な建築家として国際的に活躍した黒川紀章(くろかわ・きしょう)さんが12日午前8時42分、心不全のため東京都新宿区の東京女子医大病院で死去した。73歳。名古屋市出身。
葬儀は近親者のみで行う。喪主は未定。妻は女優の若尾文子さん。
4月の東京都知事選に立候補したが落選。
自ら「共生新党」を設立して挑んだ7月の参院選でも、再び落選した。
選挙期間中から体調を崩していたという。
京大建築学科を卒業後、東大大学院で丹下健三氏に師事。
20代で頭角を現し、大学院在籍中の1960年、有機的に代謝・成長する新たな都市像を提唱する思想集団「メタボリズム・グループ」を菊竹清訓氏らと結成した。
その思想に基づく中銀カプセルタワービル(東京)は広く知られる。
作品は国立新美術館(東京)、国立民族学博物館、国立文楽劇場(ともに大阪)など国内各地のほか、海外もゴッホ美術館新館(アムステルダム)など20カ国以上に。
時代を象徴する都市論、文化論に関心を寄せ、著作は「共生の思想」「都市デザイン」など多数。
「生命の時代」「共生」などの言葉で、近未来像を先駆的に論じた。
80年代以降は、若尾さんとの再婚で話題を呼んだほか「日本文化デザイン会議」を牽引するなど、広範に活躍。
近年は政治に意欲を示した。
フランス建築アカデミーゴールドメダルをはじめ、内外で受賞多数。
98年日本芸術院会員、2006年文化功労者。建築家の黒川雅之・金沢美術工芸大教授は実弟。
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'07/07/19の朝刊記事から
宮本元共産党議長が死去 98歳
半世紀にわたって共産党の指導的地位にあった党名誉役員の宮本顕治(みやもと・けんじ)元議長が18日午後2時33分、老衰のため東京都内の病院で死去した。98歳。山口県出身。
1958年に書記長就任以来、党内に絶対的な権力を確立。
旧ソ連、中国両共産党と一線を画す「自主独立路線」を明確化させた。
78年の第13回党大会では「プロレタリア独裁」の用語を綱領から削除、「自由と民主主義の宣言」を採択するなど、一貫して柔軟路線を進めた。
ソ連共産党の「解体」については、共同通信の取材に「諸手を挙げて歓迎したい」と答えていた。