'07/10/17の朝刊記事から
小2女児刺され死亡
自宅前、男が逃走 兵庫・加古川
16日午後6時ごろ、兵庫県加古川市別府町新野辺の土木作業員水間一さん(54)方玄関前で、孫の市立別府小2年鵜瀬柚希ちゃん(七つ)が血を流して倒れているのを母親の無職水間江梨香さん(27)が見つけ119番(通報)した。
柚希ちゃんは神戸市内の病院に運ばれたが、腹と胸を刃物のようなもので刺され約1時間40分後に死亡した。
柚希ちゃんは家族に「男に刺された」と話しており、県警捜査一課は殺人事件とみて加古川署に捜査本部を設置、逃走した男の行方を追っている。
'07/10/17の朝刊記事から
楽しい遠足のお菓子選びが・・・
エスカレーターと壁の間 男児 首挟まれ重体 神奈川
16日午後4時10分ごろ、神奈川県平塚市東中原のスーパー西友平塚店で、地下1階と1階を結ぶ上りのスロープ式エスカレーターに乗っていた同市の会社員会田陽彦さん(49)の長男で市立松ヶ丘小学3年の卓矢君(九つ)が、事故防止用のアクリル板とエスカレーターの間に首を挟まれた。
会田君はヘリで病院に運ばれたが、外傷性窒息などで意識不明。
会田君は同級生3人と18日に予定の遠足のお菓子を買いに来ていた。
小銭入れから50円玉を落とし、拾おうとして手摺の左側に身を乗り出し、アクリル板(厚さ6ミリ)と手摺の隙間(約15センチ)に首を挟まれ、約1.5メートル引きずられ、壁に衝突したとみられる。
Kodak DC4800
'07/10/16の朝刊記事から
長野女性暴行死 信者の女21人逮捕
15-80歳「紀元会」幹部が指示?
長野県小諸市の宗教法人「紀元会」会員で、すし店経営奥野元子さん(63)=同市荒町=が暴行を受け死亡した事件で、県警小諸署捜査本部は15日、傷害致死容疑で同市乙、窪田康子容疑者(49)ら教団会員21人を逮捕した。
長野、茨城、新潟の15歳から80歳までの女の信者で、中学生ら未成年者4人が含まれる。
大半が容疑を認めているという。
捜査本部は16日、教団関連施設などを引き続き家宅捜索する一方、幹部の指示で組織的に犯行に及んだ可能性が大きいとみて、経緯や動機の解明に全力を挙げる。
調べでは、窪田容疑者ら21人は9月24日午後11時半ごろから翌25日午前零時半ごろの間、小諸市の教団本部施設内で奥野さんに集団で暴行を加え、全身打撲による外傷性ショックで死亡させた疑い。
紀元会会員の奥野さんの家族4人が「(奥野さんが)普段から口うるさく、不満を持っていた」と供述したため、県警は当初自宅で家族に暴行されたと判断した。
しかし、4人は逮捕、送検された後に「自分たち以外にも実行行為者がいる」と他者の関与を示唆した。
'07/10/14の朝刊記事から
午前零時待ち製造日を印字
赤福、前日深夜に解凍
老舗和菓子メーカー「赤福」(三重県伊勢市)が商品の製造日を偽装していた問題で、深夜に商品を解凍し終え、日付が変わる午前零時を待ってから包装し、製造日を印字するケースがあったことが13日、分かった。
同社は「普段は午前零時を待って作業を始めるが、忙しい場合には、そうしたケースがなかったとは言えない」としている。
解凍日ではなく包装日を印字し、表示上「製造したその日限りの販売」「つくりたて」という同社のうたい文句を守りながら、商品を大量に供給するためだったとみられる。
'07/10/14の朝刊記事から
金大中事件 KCIAが暗殺計画
元要員が証言 暴力団に依頼検討
【ソウル13日共同】1973年8月に韓国の野党指導者、金大中(キムデジュン)氏(後に大統領)が東京のホテルで拉致された「金大中事件」で拉致に関与した韓国中央情報部(KCIA、現在の国家情報院)の元要員が、拉致前にKCIA内部で金氏の殺害を日本の暴力団に依頼することが検討されていたと証言していたことが13日、分かった。
韓国政府筋が明らかにした。
元要員は、歴代政権下の人権弾圧などを調べる国家情報院の「過去事件の真相究明委員会」で証言。
同委員会は調査を終え、この証言も盛り込んだ報告書を近く公表する。
公表されれば、朴正熙(パクチョンヒ)大統領(当時)政権下で金氏の暗殺計画があったことを政府として初めて認める形になる。
委員会は、拉致が李厚洛(イフラク)KCIA部長(当時)の指示で20数人が参加して実行されたことを確認した。
このうち、拉致の実行にかかわった元要員が「当時KCIA内には(金氏を)殺害する意図があった。(日本の)やくざへの殺害依頼が検討されたが、難しいと判断、韓国に連れ戻すことにした」と話した。
拉致の目的については、海外での金氏の反政府活動を押さえ込むこととしており、ほかの元要員は、拉致後に殺害する計画はなかったと供述したという。
金氏は拉致後に船に乗せられ、海に投げ込まれかけたと証言し、殺人未遂だったと主張してきた。
委員会は少なくとも拉致事件前に金氏の暗殺が検討されたと判断したが、拉致が殺害を目的としたものかどうかは結論を出せず、金氏や事件関与者の証言の併記にとどめるとみられる。
一方、朴大統領の指示に関しては、元側近らは否定している。
李氏が高齢で認知症が進み供述が取れなかったため、委員会としては確認できなかった。
国家情報院に事件に関する資料が残されておらず、調査は関係者の証言に頼るしかなかったという。
核心部分 未解明のまま
【ソウル13日共同】日韓両政府が隠蔽してきた金大中事件について、韓国国家情報院の「過去事件の真相究明委員会」が、情報機関の犯行であり、事件前には金氏の暗殺も計画されていたとする報告書を発表する。
公になれば、盧武鉉(ノムヒョン)政権による「歴史清算」の努力が、事件の概要を浮かび上がらせることになる。
しかし①拉致が殺害目的だったのか②朴正熙大統領(当時)の指示があったのか-という核心部分は、資料が既にすべて処分されているため未解明に終わる見通しだ。
軍人出身政権と民主化運動の流れをくむ勢力の間で思想的な衝突が続く韓国社会で、現代史の闇を解明することの難しさも浮き彫りになった。
事件は1973年8月の発生直後から韓国中央情報部(KCIA)の関与が発覚。
朴大統領の指示なしにKCIAが動くことはあり得ないとの見方が強かった。
生還した金氏は監禁中に殺害されかけたと証言した。
だが、日韓政府は二度の「政治決着」で真相解明を行わないことで合意。
後に大統領になった金氏も、自分が政争の焦点になることを避けるため在任中に解明の努力をしなかった。
これに対し過去の政権の不正検証に積極的に取り組む盧政権は調査機関を設け、KCIAの関与の確認と残る疑惑の解明に取り組んだ。
しかし記録が消された後に、軍人出身政権の“一部”だった事件関与者が疑惑の核心に答えることはなかった。
金大中事件
1973年8月8日、韓国野党指導者として朴正熙政権を批判していた金大中氏(前大統領)が東京のホテルで拉致され、5日後にソウルで解放された。
拉致現場から在日韓国大使館の一等書記官の指紋が見つかり韓国中央情報部(KCIA、現在の国家情報院)の犯行の疑いが強まったため、「主権侵害」と日本の世論は硬化。
同年11月、韓国政府は一等書記官の免職を決定、金鍾泌(キムジョンピル)首相が訪日して陳謝し、第1次政治決着が図られた。
75年には事件に関する口上書を韓国が出し、第2次政治決着が図られた。
国家情報院は2004年「過去事件の真相究明委員会」を設け調査してきた。 (ソウル共同)