備 忘 録"

 何年か前の新聞記事 070110 など

080917 エリツィン元大統領 「4島即時返還」を提案

2019-03-16 15:08:36 | 北方領土
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’08/09/17の新聞記事から

エリツィン元大統領 97年日ロ首脳クラスノヤルスク会談

「4島即時返還」を提案


【モスクワ16日加藤雅毅】ロシアの元第一副首相ボリス・ネムツォフ氏(48)は16日までに北海道新聞の取材に対し、在職中の1997年、ロシア極東・クラスノヤルスクで行われた日ロ首脳会談で、エリツィン大統領(当時)が橋本龍太郎首相(同)に、北方領土の4島即時返還を提案した、と証言した。

大統領は同席していたネムツォフ氏らの説得で、提案をその場で取り下げた。

日本側は領土問題解決の好機を逃したことになり、今後の交渉に影響する可能性もある。




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側近の説得で翻意

ロシア側の4島即時返還提案を交渉に直接携わった関係者が明らかにしたのは初めて。

日ロ両政府はこの提案を公表していない。

ネムツォフ氏によると、エリツィン氏は97年11月1日のエニセイ川での戦場の首脳会談で、橋本氏に「平和条約を締結し、われわれが領土問題をきょう解決すべきだ」と提案した。

ロシア側で事前の調整はなく、大統領の独断という。

提案に「4島」の言葉はなかったが、4島返還による即時決着と察知したネムツォフ氏らロシア側の同席者が大統領に翻意を懇願。

大統領は最終的に「2000年までになんとか締結するよう、考えさせてもらう」と表明し直した。




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両首脳は会談後の記者会見で「2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」ことに合意したと発表。

「2000年までに」という表現は大統領が主導したとされてきたが、背景は明らかになっていなかった。

ネムツォフ氏はエリツィン氏の提案が4島返還だったとする根拠について「島を全部返す用意があったのは明らかだ。エリツィン氏にとって、平和条約締結は島全体について決断することを意味していた」と断言。

クラスノヤルスクで提案した理由に関し、「歴史的に意味のある画期的な階段にしたかった大統領の意欲の表れ」と語る一方、「合意していれば大統領は弾劾されただろう」とも指摘、仮に合意しても国内の反対勢力に阻まれ、実現は困難だったとの見方を示した。



撮影機材
Kodak DC4800



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080324 四島返還「一括」を削除

2013-06-17 19:55:13 | 北方領土
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’08/03/24の朝刊記事から

四島返還「一括」を削除
国後島民の会決議採択 日本の主権確認重視


【根室】北方領土・国後島の出身者でつくる「国後島民の会」(池田英造会長、150人)は、23日、根室市内で開いた本年度総会で、これまでの「四島一括返還要求運動」から「一括」を削除し、「四島返還」とする決議を採択した。

決議は、領土問題が進展しない現状について「四島返還要求運動の旗頭のわれわれ元居住者は憤まんやるかたない」と批判、早期解決を訴えている。
池田会長は「一括返還は現実には難しい。四島について日本の主権が確認できれば、(歯舞、色丹)二島の返還が先でもよい」と話している。

日本政府は、旧ソ連崩壊後、四島一括返還から、四島の日本への帰属が確認されれば返還の時期や方法には柔軟に対応する方針に転換した。

島民の会会員も所属する元島民団体・千島歯舞諸島居住者連盟(小泉敏夫理事長、4500人)は四島の出身者で構成していることもあり、「四島一括」の方針を堅持。
小泉理事長は「連盟としては総会で決議しているので、今後も四島一括は変えない」と話している。



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イワノフ第一副首相 「択捉はロシア領」

2009-03-09 20:22:33 | 北方領土


'07/04/06の朝刊記事から

イワノフ第一副首相 「択捉はロシア領」

【ユジノサハリンスク5日山野辺享】北方領土・択捉島の地元紙「赤い灯台」によると、ロシアのイワノフ第一副首相は5日、訪問先の同島・紗那で開かれた地元行政機関との会合で、領土問題について、「ここはロシアの領土。島を発展させるのは我々だ」と述べ、日本側の返還要求に応じる考えがないことを改めて表明した。

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「択捉、国後 面積折半に」

2008-04-11 11:52:46 | 北方領土

ヴェトナム ホテルの窓から Kodak DC4800

'06/12/19の朝刊記事から

「択捉、国後 面積折半に」
自民河野太郎氏 元島民らと懇談


【根室】衆院外務委に所属する自民党の河野太郎衆院議員が18日、北方領土視察のため根室市を訪れ元島民らと懇談し、「(日ソ共同宣言に基づき)歯舞、色丹の二島を返してもらい、残る択捉、国後は面積50%で国境線を引いてはどうか」との解決案を示した。

河野氏は領土問題の早期解決に向け、「日本が四島の旗を降ろす代わりにロシアにもゼロ(返さない)とか二島とか言わせず、早く折り合いをつけるべきだ」と主張。
中ロの国境線画定を参考に、択捉、国後の面積折半論に触れ、大部分が返還されない択捉を自由往来の島とする案も示した。

元島民らは「四島返還を目指す運動は変えられない」「最悪でも早く自由に行き来できるようにして」などと語った。

河野氏は河野洋平衆院議長の長男で、祖父の一郎氏は農林相として日ソ共同宣言に署名した。






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北方領土関連年表

2007-10-19 20:05:10 | 北方領土
‘06/10/18の朝刊記事から


北方領土関連年表

1855年2月
 日露通好条約調印。
 択捉島とウルップ島との間に日露国境を定める。

1875年5月
 樺太千島交換条約調印。
 サハリン島をロシア領とする代わり全千島列島が日本領となる。
 日露国境は北千島のシムシュ島とカムチャツカ半島ロパトカ岬の間に引かれる。

1905年9月
 ポーツマス条約に調印。
 北緯50度以南の南樺太が日本領になる。

1945年8月
 日本がポツダム宣言を受諾。
 ソ連が北方四島に侵攻。

1951年9月
 サンフランシスコ平和条約調印。
 ソ連は調印せず。
 平和条約条文で、日本が千島列島と南樺太についてのすべての権利を棄権することが明記された(ただし千島列島の範囲については明記されず)

1956年10月
 日ソ共同宣言調印

1993年10月
 エリツィン・ロシア大統領が来日。
 細川護煕首相と「東京宣言」に調印。

1997年11月
 橋本龍太郎首相がエリツィン大統領とロシア・クラスノヤルスクで非公式会談。
 「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」ことで合意。

2001年3月
 森喜朗首相がプーチン・ロシア大統領とロシア・イルクーツクで会談。
 「イルクーツク声明」に調印。



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