’07/12/29の朝刊記事から
ブット氏暗殺 アルカイダ関与か
パキスタン内相が示唆 暴動の死者30人超
【イスラマバード28日共同】パキスタンのカーン内相は28日、ブット元首相暗殺に国際テロ組織アルカイダとアフガニスタン旧政権タリバンが関与したことを示す証拠があると述べた。
AP通信が報じた。
ブット氏の暗殺に抗議する支持者らは同日、各地で暴徒化。
現地の報道によると、南部シンド州や北西辺境州スワト地区でこれまでに30人以上が死亡。
当局は制圧のため、治安部隊に発砲許可を与えたが、収拾のめどは付いていない。
ブット氏は民主化の象徴で国民の人気が高く、治安が急激に悪化。
来月8日の総選挙実施は困難な状況で、パキスタン情勢は混迷を深めている。
ソーロム首相は28日、緊急閣議を招集。
閣議後の記者会見で、総選挙の日程は「現状では変わりはない」とする一方、すべての政党と協議した上で延期するかどうかを判断すると語った。
シンド州の当局者は同州の死者が23人になったと語った。
スワト地区では、道路脇に仕掛けられた爆弾が爆発し、総選挙の与党候補ら9人が死亡した。
怒りの矛先をムシャラフ政権に向けた支持者らは北西部ペシャワルで約4000人が大統領の与党の事務所を焼き討ちした。
【イスラマバード28日共同】AP通信によると、パキスタン政府は28日、ブット元首相暗殺に成功したことをたたえるアルカイダメンバー間の通信を傍受したと明らかにした。
’07/12/28の朝刊記事から
東シナ海ガス田共同開発
会談直前まで妥協点を模索
日中両国の懸案である東シナ海ガス田の共同開発をめぐる問題は、28日の日中首脳会談での何らかの合意に向けて、両国政府は事務レベル協議をぎりぎりまで続けて、妥協点を探る構えだ。
福田康夫首相も訪中前に記者団に「話し合えば合意できる」と述べ、胡錦濤国家主席らとの会談で合意に達する可能性に初めて言及した。
焦点となっているのは日中中間線付近で中国が単独開発する「白樺」(中国名・春暁)など4ガス田。
中国側はこれまで共同開発を拒否してきたが、王毅外務次官が先週来日。
谷内正太郎外務事務次官と会談して、新たな提案を行った。
外務省首脳は、王次官からは具体的提案は「なかった」としているが、交渉筋によると、天然ガス資源が中間線の日本側に達しているとみられる白樺のほか、「楠」(同・断橋)、樫(同・天外天)の3ガス田を中心に「「資源の分配、資金協力、共同掘削、資源調査など、幅広い共同開発の組み合わせを検討している」という。
交渉が決着するかは不透明だが、「中国側も何とかしようという気があるようだ」(交渉筋)とされ、仮に合意できなければ、来春に予定される中国の胡錦濤国家主席の来日までに、解決する努力が確認される方向だ。
ガス田協議はこれまで、日本側が排他的経済水域(EEZ)の境界線となる日中中間線付近にある4ガス田の共同開発を提案したが、中国側は中間線を越える沖縄トラフ(海溝)までの権益を主張して対立。
しかし安倍晋三前首相と中国の温家宝首相との今年4月の会談では、両政府が今秋までに共同開発の具体策を取りまとめ、両首脳に報告することで合意していた。
’07/12/28の朝刊記事から
ブット元首相 暗殺 パキスタン
集会で銃撃、爆発 20人死亡 政局混迷に拍車
【シンガポール27日勝木晃之郎】パキスタンの首都イスラマバード近郊ラワルピンディで27日、来年1月8日の総選挙に向けた集会に参加していた野党指導者ブット元首相(54)に対し、男が発砲した後に自爆、ブット氏は病院に運ばれたが死亡した。
イスラム過激派の活発化でムシャラフ政権の基盤が揺らいでいるパキスタン政局は、ブット氏暗殺で、混迷に拍車がかかるのは必至だ。
ロイター通信は警察当局の話として、会場を去ろうとして車に乗り込もうとしたブット氏の車に男が発砲、直後に男が自爆したと報じた。
ブット氏の死亡が銃撃によるものか、爆発によるものかは明らかでない上、死亡時の情報は錯綜している。
自爆テロでは、集会の参加者ら少なくとも20人が死亡、多数が負傷した。
ムシャラフ大統領は同日、ブット氏暗殺を強く非難した。
首相在任中の汚職に問われ、事実上の亡命生活を送っていたブット氏は、10月にパキスタンに帰国、野党第二党のパキスタン人民党(PPP)を率いて総選挙に向けた政治活動を開始した。
しかし、直後に元首相を狙った自爆テロが起き約140人が死亡。
11月にはムシャラフ政権が非常事態を宣言し、ブット氏は一時軟禁状態に置かれた。
ムシャラフ大統領は、総選挙を控えて国民の支持を集めるブット氏との連携で安定化を図ろうとしていたが、ブット氏暗殺により与野党の連携は白紙化する可能性も出てきた。
一方で、イスラム過激派の動きが活発化することも予想され、投票まで2週間を切った総選挙への影響が懸念されている。
ブット氏は、軍部のクーデター後の1979年に処刑された故ズルフィカル・アリ・ブット元首相の長女。
ベナジル・ブット元首相
野党パキスタン人民党(PPP)議会派の総裁。
1979年、当時の軍事政権に処刑されたズルフィカル・アリ・ブット首相の長女。
53年カラチ生まれ。
米ハーバード、英オックスフォード両大学で学び、88-90年、93-96年首相。
同年、大統領に首相を解任され、シャリフ政権下の99年、汚職で有罪判決。
同年国外逃亡し、ドバイやロンドンで事実上の亡命生活を送っていたが、今年10月に帰国した。
イスラム穏健派の政治家で、親米の立場で知られる。