'08/11/05 付朝刊記事から
歌舞伎が無形遺産 ユネスコ
文化庁に4日入った連絡によると、トルコで開催中の国連教育科学文化機関(ユネスコ)政府間委員会は同日、日本の「歌舞伎」「能楽」「人形浄瑠璃文楽」を含む世界の伝統芸能や民俗儀礼など90件を、代表的な「無形文化遺産」として登録した。
90件はユネスコが2001年から05年にかけて「無形遺産の傑作」として選定。06年に無形文化遺産保護条約が発効し、登録が内定していた。今回の登録を受け、それぞれの国に遺産保護の義務が生じる。
ユネスコは90件とは別に、代表的な無形文化遺産の候補を条約締約国から募集。9月末の締め切りまでに約100件の推薦があった。日本政府が推薦したアイヌ古式舞踊(北海道)など14件は、他国分とともに来年9月に追加登録される見通し。
'08/11/03の朝刊記事から
論説委員室から
風 浜田 稔
消えゆく山里の原風景
<太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。>
詩人の三好達治の「雪」の一説から思い浮かぶのは茅葺きの家だ。
冷たい雪が温かく屋根を覆い、静かに夜が更けていく。
日本の山里の原風景である。
十勝管内新得町の高橋八重子さん(77)宅は、そんな古き風情にあふれている。
築60 年。
「茅葺きの家は夏は涼しいし、冬はあったかい。住みやすいですよ」
黒光りする太い梁や柱。
屋根は二度葺き替えたが、土台や柱は昔のままだ。
十勝沖地震など天災にもびくともしなかった。
入植後の道内では薄板を重ねた柾葺きもあったが、十勝は茅葺きが少なくなかった。
最初はササ小屋や掘っ立て小屋、それから茅葺きに建て替えたようだ。
茅葺きの屋根材には、近場で手に入る ヨシやススキなどを用いた。
十勝の中でも豊頃町でとりわけ目立つのは「十勝川の下流域にヨシ原が広がり、調達しやすかったからでしょう」。
そう語るのは、趣味で茅葺き家を写真に残している同管内芽室町の斉藤博さん(71)だ。
この夏、撮りためた記録を一冊の写真集(非売品)にまとめた。
1997年から3年間で撮影した母屋や納屋は78棟を数えた。
現存する十勝の茅葺き家をほぼ網羅したという。
中には屋根が崩れかけたり、空き家になって傾いたりした家もある。
なにしろ建ったのは古くは大正時代、新しくてもせいぜい戦後間もないころだ。
「撮影からしばらくして、気が付くと取り壊されている。そんな状態だから、あれから20棟ぐらいは減ったのでは」と斉藤さん。
財団法人・都市農山漁村交流活性化機構が2001年に実施した市町村調査では、全国で約四万戸が確認された。
回答率が6割と低く、実数はもっと多い。
とはいえ、里山を彩っていた伝統家屋が全国的に減少の一途をたどっているのは確かだ。
昔は、地域ぐるみで屋根の葺き替え作業をしていた。
その伝承技術は途絶え、今では茅葺き職人も極めて少なくなった。
道内では本州から職人を招かなければ、葺き替えられない。
高橋さん宅も15年前にご主人が亡くなってからは、屋根の修理もままならなくなった。
4年前に倒木で傷んでからは、屋根全体をトタン で覆っている。
田園生活を好む欧州では今でも、新築の茅葺き家が見られる。
日本では建築基準法の規制があって、ほとんどの地域で不燃材の屋根でなければ家を建てられない。
それでは失われるばかりだと、宮城県石巻市は2年前、規制を取り払った地域を設けた。
茅葺き家のある景観で地域の特色を生み出そうという試みだ。
新潟県柏崎市では、古い民家が有志の手で修復され、宿泊もできる地域の交流の場として復活している。
ただ、残念ながら、こうした取り組みは全国的にも限られているのが実情だ。
岐阜県白川郷の合掌造り集落は、世界遺産にも登録された。
その歴史的価値には及ばないにしろ、農山村の古い家は地域の伝統と郷愁を色濃く残している。
茅葺き家は「古くさい」「修繕が手間」と疎まれがちだ。
そんな中で、大事に守っているのは、先祖から受け継いだ家に愛着を抱いているお年寄りたちだ。
世代交代とともに、茅葺き家はさらに少なくなっていくだろう。
あと10年、20年たったらー。
その風景はどう変わっているのだろうか。
’08/09/27の新聞記事から
アラーキーに最高位勲章 オーストリア
写真家の荒木経惟さん(68)がオーストリア政府から科学・芸術勲章を受けることが決まり、東京都港区のオーストリア大使公邸で26日、伝達式が行われた。
同国の芸術分野における最高位の勲章で、日本人では初めての受章。
世界的に活躍する芸術家、科学者に贈られるもので、受章者で構成する委員会により全会一致で選ばれた。
荒木さんはこれまでウィーンやロンドンなどで写真展を開催し、現代を代表する写真家として紹介されたほか、多くの作品集が欧米などで発売されている。
荒木さんは「こんな立派なものだとは思わなかった。うれしい。ありがとう」と話して
’08/02/14の朝刊記事から
「犬神家の一族」「ビルマの竪琴」監督
市川崑さん死去 92歳
「ビルマの竪琴」「東京オリンピック」「犬神家の一族」などの名作で知られる映画監督で、文化功労者の市川崑さんが13日午前1時55分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。92歳。三重県出身。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く。喪主は長男建美(たつみ)さん。
1月下旬に息苦しさを訴え入院していた。
1948年に「花ひらく」で監督デビュー。東宝で都会派の風刺喜劇を撮った後、日活で「ビルマの竪琴」(56年)を撮影して、ベネチア国際映画祭でサン・ジョルジョ賞。大映に転じ「鍵」「野火」「おとうと」など文芸作品を映像化した。
旺盛な実験精神と独特の撮影技法が発揮されたのが65年の「東京オリンピック」。記録か芸術かと議論を呼んだが、海外の映画祭では高い評価を受け、記録映画に大きな影響を与えた。
一作ごとにスタイルを変え、独立プロでの「股旅」、大作「細雪」などに取り組む一方、テレビの「木枯らし紋次郎」などで斬新な映像美と冴えた演出を見せた。
「犬神家ー」「獄門島」など金田一耕助シリーズでも人気を集めた。高倉健さん主演の「47人の刺客」、四騎の会で共に活動した黒澤明監督らとの共同脚本を映画化した「どら平太」、岸恵子さん主演の「かあちゃん」など、長く一線で活