会津若松駅に着いて、駅そばで小腹を満たし、駅の外へ出る。
駅から出たところにコインロッカーが並んでいたので、ここに荷物を預け会津を回っていく。

駅入口に立つ大きな大きな会津の民芸品・赤べこ。
あるお寺のお堂を建てるとき、上流の村から大量の材木を寄進された。
しかし、水量の多い川だったので、材木を運ぶのは簡単ではない。
人々が材木を運ぶのに難儀していると、どこからか牛(べこ)の群れが現れ、材木の運搬を手伝ってくれた。
重労働で多くの牛が倒れる中で、最後まで働いたのが赤色の牛だったという。

白虎隊像も入口近くにたたずんでいた。
ところで、会津若松の周遊バスは、「あかべぇ」と「はいからさん」の2本がある。
「あかべぇ」が、
JR会津若松駅 → 飯盛山 → 武家屋敷&東山温泉 → 御薬園
→ 会津若松城 → 野口英世青春通り → JR
と、東回り(外回り)に市内をめぐる。
「はいからさん」は「あかべぇ」とは反対の西回り(内回り)。
時刻表によると、両バスが会津若松駅を15分ごとに出るようだ。
運賃は、目的地を問わず1回200円。
1日周遊券が600円で、こちらは会津若松城などの入場料に割引がきく。
はいからさんは、予定より5分程度遅れて出発。
観光案内所にいた私は、やや駆け込み気味に乗車。
急いで乗車したため、周遊券を買いそびれてしまった。
乗車して程なくすると、車内に歌謡曲が流れる。
南こうせつ氏の「AIZUその名の情熱」という曲で、会津若松駅の発車メロディにもなっている。
こじゃれた駅舎のJR七日町駅を通過。
会津若松城のひとつ前である北出丸大通りバス停で下車。

西郷
西郷頼母は会津藩最後の家老。
幕末期、藩主・松平容保 が京都守護職に推挙されると、領内の負担増から強く反対し、家老職を罷免された。
倒幕後、家老に復帰、会津戦争を指揮した。
明治政府軍が会津の城下に迫ると、頼母は新政府への恭順を進言するが、藩士の多くは反対、事実上追放される。
このとき頼母邸にいた女子たちは、籠城戦の足手まといになることをおそれ、皆自害して果てた。
西郷頼母邸から歩いて3分ほどで、

鶴ヶ城(会津若松城)の入口に到着。