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北側の太鼓門跡からの復興天守。
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本丸に入って北西側からの復興天守。
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太鼓門跡付近にたたずむ鶴ヶ城稲荷神社は、会津若松城の守護神として鎮座している。
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天守の北東、本丸埋門跡。
往時の会津若松城は、天守から南方向と北東方向に長櫓が設けられ、本丸が二分されていた。
北出丸から入ってきた者は、北東の本丸埋門か南の門かを通る必要があった。
天守の東南は、かつて御殿があり、また天守の入口があり、会津若松城の中核をなす部分であった。
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天守への入口がある東側。
傍らにある券売所では、入城券(大人500円)とともに鶴ヶ城・茶室麟閣・御薬園の共通券(大人700円)が買える。
当然、210円お得な後者を選択。
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天守への入口は、石垣のあいだから。
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入口付近には、江戸時代初期に再建された当時の石垣が残る。
鶴ヶ城の天守内は、だいたいどこも同じだが、歴史資料館になっている。
そして、鶴ヶ城は主を何度も変えた城であるから、ゆかりの人物も多く、おのずと資料も豊富にある。
その中の展示物を紹介しよう。
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黒い鎧具足は、名を紺糸
関ヶ原の戦い以前の城主であった上杉景勝の家老・直江兼続が使っていたらしい。
直江兼続は、「愛」の文字を前立てにした兜が有名だが、「愛」の兜とセットで着用していたのだろうか。
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模擬火縄銃。
戦国時代の火縄銃をかたどったもので、もちろん発砲することはできない。
ただ、重さは本物を再現しており、持ってみると意外にずっしりと腕に重みがかかてくる。
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会津の民芸品のひとつである会津ろうそく。
ろうそくに彩色豊かな絵を描いてあるのが特徴。
会津では、武士階級の内職でろうそくが生産されていた。
天守の最上階から方々を眺める。
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南には、天守から伸びる走長屋、
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南東にたたずむのは、麟閣という茶室。
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北東には、雪をかぶった会津磐梯山がそびえ立つ。
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鶴ヶ城の建物には、赤瓦というあずき色の屋根瓦が使われている。
江戸時代の鶴ヶ城は赤瓦が使われていたという記録があり、
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復興天守の瓦は、以前の灰色(左)から平成23年までの工事によって現在の赤瓦(右)となった。
100名城スタンプは天守にあるので、忘れずに確保。
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12番、会津若松城(鶴ヶ城)!
絵柄はやはり復興天守。
天守を下りた。
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南側から見た鉄門。
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さらに南側から見た鉄門と天守。
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干飯櫓(左)はこんな感じ。
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南東からの鉄門と天守。
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鉄門をくぐって表側へ。
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鉄門のそばにひっそりたたずむ、上杉謙信公仮廟所跡。
上杉謙信は死後、甲冑姿で甕に収められ、越後の春日山城に葬られた。
後を継いだ上杉景勝が越後から会津に移封されると、この付近に仮屋を建て、上杉謙信の遺骸を安置したという。、
上杉家が米沢に移ると、謙信の遺骸も米沢に移っていった。
こんどは本丸の南東へ。
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「荒城の月」の歌碑。
仙台生まれの歌人・土井晩翠は、青葉城(仙台城)と鶴ヶ城をモチーフにして作詞したという。
晩翠の自筆をもとにした歌碑で、晩翠夫妻を招待して除幕式が行われた。
めぐる盃 影さして
千代の松が枝 分けいでし
むかしの光 今何處
歌碑のあたりには月見櫓が建っていた。
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正規の役割は、武器の保管であったが、ここからの月がなかなか美しいということで月見櫓という名があったという。
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現在は桜の名所とされている。
桜花につつまれる鶴ヶ城の天守を、心の眼でご覧くださいませ・・・。