加藤洲十二橋から利根川まで進み、そのまま利根川沿いを西へ。
神崎大橋で利根川を渡ると、森に覆われた小高い丘が見えます。
鎮守の森の中に、神崎神社は鎮座しています。
表参道と思われる入口まで来ました。
ママチャリ「飛電」はとなりの空き地に留め置いて、参拝へ。
参道の階段を上りきると、
あれれ、下り階段です。
右側にはコンパクトな境内末社・金刀比羅宮が鎮座しています。
ゆるやかな下り階段を下りると、
今度は上り階段。なんなんじゃ~(^_^;)
階段に挟まれた谷間のところには、境内末社・三峯神社が鎮座しています。
神社の入口から階段を上って下りてまた上ると、ようやく神崎神社の拝殿に到着です。
ようやく、といってもまっすぐ進めば5分もかかりません。
神崎神社の起源はかなり古く、社伝にとれば白鳳6年(673年)に常陸国と下総国の境界にあった「大沼浦二つ塚」というところから移ってきたそうです。
前は「子松神社」という呼称でしたが、明治以降に神崎神社と改められ、県社に列せられています。
主な祭神は
国譲り(葦原中国平定)の際に、鹿島神宮の
また、その名のとおり、神々が乗る船にもなれたそうです。
そのため、航行の神、交通の神として祀られています。
神崎神社拝殿で、本年二度目の参拝。
お祀りされているのは交通の神様ということなので、「ママチャリがパンクしませんように」と重々お願いしました。
拝殿の右隣に立っているたいそうご立派な大木は神崎の大クス【国指定天然記念物】で、「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれています。
某時代劇の影響で「副将軍」の役職をもっていたとか、老齢なのに日本全国を歩き回ったとか思われている「水戸黄門」こと徳川光圀。
もちろんこれらはフィクション。
水戸藩主は江戸に最も近い徳川御三家の当主として、江戸に常駐していました。参勤交代の例外とされます。
徳川光圀は歴代水戸藩主の中では比較的よく外出したようで、領国の常陸にもよく戻っていました。
そのお出かけにぶらりと立ち寄ったのが神崎神社で、光圀は神崎の大クスを見て驚嘆し、「この木は何というもんじゃろうか」と自分に問うたそうな。
神崎神社の境内はそれほど広くないのに、「なんじゃもんじゃの木」はえらくデカいので、カメラに収めるのはなかなか難しかったです。
滞在時間は15分くらいでしたが、少しばかりホッとする神社でした。
正月も終わり参拝客が私だけでしたので、とても落ち着くことができました。
交通の神様のご利益があったのか、「飛電」に大きなトラブルもなく、私は利根川沿いを西進していきました。
「第61回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記」最終話へ続く