金沢八景から進むこと1km強、ついに国道16号南西端の街・横須賀に入りました。
横須賀市に入って最初に目に入るのは、こぎれいな街並み。
追浜駅前交差点。「おっぱま」です。
そこから続く商店街は、なんともレトロ?なアーケード街。
追浜を抜けると、いよいよトンネル地帯に入ります。
横須賀は東京湾の入口にあるため、帝国海軍が置かれました。
近隣の横浜ともども急速に人口が増えていき、居住地が不足していきます。
三浦半島は、かつて丘陵が浸食を受けてできた谷戸地形で入り組んでおり、人々はそのような狭い土地をも居住地に変えました。
谷戸地形は交通に不便なところでしたが、三浦半島の丘陵は岩盤が柔らかく、トンネルを掘るに適していたそうです。
・・・って「タモリ倶楽部」でやってました。
山を越えるくらいならトンネル造っちゃえという具合でトンネルが掘られていったとか。
それを聞いたタモリ氏は、「横須賀の人って気が短いのかねぇ」なんて言っていましたが、現在横須賀市内には大小150以上ものトンネルがあるそうです。
タモリ氏のいうところの「横須賀人の気の短さ」?のおかげで、私とママチャリは回り道をせず、山道を上らずに進むことができるのです。
横須賀市内最初のトンネルは、浦郷隧道です。
横須賀市内のトンネルは双頭隧道といって、上下線それぞれに1本のトンネルが貫通しています。
当初は上下線対面通行でありトンネルは1本でしたが、自動車社会の進展により新たにトンネルが貫通しました。
新しいほうのトンネルには、「新●●隧道」というように「新」の字が冠に置かれています。
青看にはついに国道16号の先にある三崎の表示が出てきました。
観音崎まではあと13km。
三崎までは、途中で分岐する国道134号を経由することになります。
浦郷隧道から約1km、今度は船越隧道です。
「タモリ倶楽部」でも登場したこのトンネルは、出口の脇にひっそりと、使われなくなった人道トンネルが口をあけています。
船越隧道から約1km、田浦隧道。
そして田浦隧道を出ると、国道16号は片側1車線の対面通行に・・・なったわけではありません。
上り車線が分離してしまうのです。
依然、片側2車線のままです。
JR横須賀線の田浦駅は、この近くにあります。
横須賀線の電車は11両編成が基本となっています。(逗子・久里浜間のみ。逗子より先は15両が基本です)
しかし田浦駅はトンネルとトンネルに挟まれているためホームが短く、11両のうち2両はトンネルから出られないまま駅に停車。
そのためトンネル内の2両については、ドアが開かないという特殊対応をしているのです。
田浦駅への入口を通過すると、次のトンネル・・・
吾妻隧道に突入。
次いで長浦隧道へ。
国道16号・横須賀市内のトンネルは、すべて進行方向左側に歩道が完備されています。千葉市内の不親切設計のトンネルとは違いますな~。
歩道のスペースを確保し、車道が右寄りに移ったため、右車線の天井が低めになっています。
そのため、右車線には3.8mの高さ制限がなされています。
長浦隧道を出ると、安針塚駅入口交差点で上り線と再会。
安針塚には、江戸時代初頭に徳川家康の貿易指南役として活躍したイギリス人・ウィリアム=アダムズ(三浦按針)の墓があります。
交差点のすぐ先に、再びトンネル。
レンガの装飾がなされている新吉浦隧道。ここからは下り線が新しいトンネルになります。
このトンネルを抜けると、再び上下線が分離します。
次は新
「逸見」という文字を見ると、バブル期を駆け抜けたキャスター・逸見政孝氏を連想して「いつみ」と読んでしまいがちです。
国道16号の南西端・走水交差点まであと10km。
新逸見隧道を出たところで上下線は再びひとつとなり、
最後のトンネル・横須賀隧道へ。
横須賀隧道を出たところで、突如歩道消失!
仕方なく右側通行をすることに。
ここでまたしても上下の車線が分かれていきますが、直後のヴェルニー公園前交差点でまたひとつに。
横須賀市内の中心部に近づき、国道16号はいっそう海寄りのルートを通っていきます。