2 0 1 4 年 8 月 1 8 日 ( 月 )
午 前 1 1 時 2 0 分
神 奈 川 県 横 須 賀 市
観 音 崎
観音崎から見た東京湾はとても爽快で、浜風は強かったけど心地よいものでした。
石碑の影に停めておいたママチャリにまたがり、16号走破の旅を再開します。
といっても、このあたりには国道16号はありません。
国道16号は観音崎から1km離れた
走水交差点(地図上の
青いピン)でいったん終了しています。
まだ走破していない国道16号は、東京湾の対岸・房総半島のみ。
出発地点の千葉市中央区
村田町交差点(地図上の
黄色ピン)から
富津岬付近(地図上の
赤いピン)を残しています。
そこで、ママチャリ旅では初の、自身としても2度目のフェリーで移動という手段を執ることとしました。
東京湾を渡る
東京湾フェリーは、観音崎から少し進んだところにある
久里浜港から出ています。
というわけで、観音崎から移動を再開。
まずは比較的アップダウンの多い道を進んでいきます。
海に近い土地だからか、暑いには暑いですが埼玉の時のようなクソ暑さは感じませんでした。
丘を乗り越えると海岸沿いの道へ。
横須賀市内にはところどころに小さな浜辺があって、地元民?が海水浴を楽しんでいました。
京急浦賀線の終点・浦賀駅を尻目に、私とママチャリは海岸沿いの道を進みます。
道路が海のそばを走っています。
運命の分かれ道のようなY字路。
トンネルを出ると、
またまた海岸に出ました。
あの大きな構造物はなんだろう・・・火力発電所か何かか?
そして大きな煙突の根元あたりに停泊している船・・・もしや!!
近づくにつれて見えてくる
「かなや丸」の文字。間違いなく東京湾フェリーです!
「かなや」は久里浜港の対岸、千葉県富津市の
金谷港。
途中にある、道沿いからも見えるくらいに大きな石碑は、
ペリー上陸紀念碑。
漢字で「米合衆國水師提督
伯理上陸紀念碑」とあり、この書は初代内閣総理大臣の
伊藤博文によるものだそうです。
ペリー上陸紀念碑からすぐ近くのところに、久里浜港はあります。
午 後 1 2 時 0 7 分
久 里 浜 港
フ ェ リ ー タ ー ミ ナ ル に 到 着
広い駐車場の先にあるフェリーターミナル。
さてママチャリはどこに停めればよいのやら・・・?
とりあえず日陰にあるターミナルのところに駐輪しようか。
そう思っていたら、ターミナル玄関の目と鼻の先に駐輪スペースがありました。
自転車はオートバイと同じ扱いになるようです。
窓口で乗船券を購入。
運賃は、旅客料金が720円と車両料金が330円で、合わせて1,050円。
なかなか安いです。
乗船券を買って一安心していると、
なかなか可愛い窓口のおねいさんから
「出航時刻が迫っている」とのこと。
急いでママチャリのもとへ。
急いで撮影したオートバイ(兼自転車)駐輪スペース。
出航時間が迫っているので、先に停まっていたオートバイはいません。自動車も1台もいない。
これから乗るフェリーは、海岸線から見えていた
「かなや丸」。
これも急いで撮影。
ママチャリは自動車と同じく車両用の出入口から乗船します。
待ち受ける乗船員のお兄さんが、ママチャリを固定します。
ママチャリを置いて、私は一人船室へ上がりました。
船室は広々としていて、なんだか社交場のようにも感じました。
「水曜どうでしょう」で出てくるような、船室にごろ寝スペースがあるようなチープ感はありませんでした。
私にとっては、小学校4年生以来のフェリー乗船。
房総半島を1周するというドライブに、今は亡きわが父と出かけた。
最初こそ喜び勇んでいたが、元来乗り物酔いの体質である私。
荒っぽい運転をする、当時60超のわが父。
助手席に座っていたにもかかわらず酔っぱらってしまう。
勝浦で食べたサザエの壺焼きが、まったくと言っていいほど私の口に合わなかった。
天津小湊の鯛の浦クルーズ(小舟の上から鯛の群れが見える)で船酔いにやられる。
この日のドライブは、とにかく酔っぱらったということが印象に強く、道中のことなど記憶にない。
いつもは車中で寝ない私も、このときは後部座席で横になっていた。
そして私にとどめを刺したのが、夜の東京湾フェリーだった。
少しばかり体調が回復していた私は、フェリーに乗船して晩飯を食べた。
せっかく船に乗ったのでデッキに出てみるが、夜の海はただただ揺れるだけで何も見えない。
久里浜港に着く前に、やっぱり患ってしまった船酔い。
乗船中はリバースすることはなかったが、気分は最悪。
さすがにわが父も、茨城県内にある自宅に戻ることをあきらめ、モーテルを探すことにした。
しかしモーテル=Hホテルという図式があるわが国では、老人1人と小学生1人の組合せに理解のないモーテルもあり、宿泊を断られ続けた。
(わが父は「満員らしいよ」なんて言ってたが、おそらく「ホモお断り」と言われたのだろう)
ついに臨界点に。
宿泊を断ってきたモーテルの庭で、不覚。
そういえば父は「ここで吐いちゃえ」なんて言ってたような~。
船にはトラウマがある私。
最近でも横浜のシーバスで、山下公園から赤レンガ広場に船で移動しただけなのに、あっさり船酔いするという醜態を女性の前でさらしたばかりなのです。
午 後 1 2 時 1 5 分
緊 張 の 出 航
「かなや丸」は久里浜港内を旋回して、東京湾へ出ていきます。
おおっ! 思ったほど揺れてない!
船室から見える東京湾越しの房総半島が、私の目をおおいに愉しませてくれたためか、揺れが全く気になりませんでした。
こりゃあ船酔いなしでいけるぞ!
そうなれば空腹を満たすために、船室の売店で食べ物を買います。
横須賀海軍カリーパン! うまい!
中のカリーは甘味がほとんどないスパイシーなものでしたが、かといってそんなに辛くはありませんでした。
パンを1個食べて、船室からデッキに出てみました。
風 TUEEEEEEE~~!!
東京湾とはいえ、海原の真ん中というのはこんなにも風が強いものなのか!
しかし風は涼しく、このまま強風を体に受けているのも悪くない・・・が、メガネが吹き飛ばされてしまいそう。
富津岬の手前に立ち東京湾を見守る
東京湾観音。
東京湾を航行する貨物船。
"NYK-HINODE"ってあるから「日の出埠頭からニューヨークまで行き来するのか~」なんて考えてました。
(実際は"NYK"は「日本郵船株式会社」の略称です)
金谷港から久里浜港へ向かう
「しらはま丸」に出会いました。
このあたりで航路の半分といったところでしょうか。
東京湾は世界でも有数の過密航路らしく、航行する船を何隻も見ることができます。
体が冷えてきたので船室に戻りました。
船室の正面窓から
鋸山がはっきり見えてきました。
ギザギザに刻まれたかのような山肌が見えてきたら、東京湾クルーズもいよいよ終焉。
午 後 1 時 0 0 分
千 葉 県 富 津 市
金 谷 港 に 到 着
不覚をとることもなく、無事に到着しました。