鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

新しいトコいこうぜ!!

2015-03-13 | 旅立ち


2 0 1 4 年 3 月 8 日 ( 日 )

午 後 8 時 5 0 分

千 葉 県 柏 市

J R 柏 駅 み ど り の 窓 口



しばらくぶりにPCが復活し、鬼ヅモ同好会の会員の動向をつぶさにながめてみると、よね先生が「JR線完乗の旅」なんて壮大なことを始めているではありませんか!
その旅日記を拝読するにつけ、旅立ちへの欲求が高まっていきました。



この日、柏で私用をなした帰りのこと。
みどりの窓口に立ち寄り、私御用達の列車を確認。

「3月17日のムーンライトながらの予約状況を確認したいのですが」

18きっぷユーザー御用達のながら。
23時10分に東京駅を出発、平塚付近で日付が変わり、5時51分に岐阜県の大垣に着きます。
また上りは22時49分に大垣を出発、翌日5時05分に東京に到着します。

さて、窓口の係員、調べるのに時間がかかっています。何やってんだ…。
後ろにもう一人、熟練者と思われる係員が立っているから、窓口の彼は研修中かなんかかな?

調べるのに時刻表なんかめくり出して…君はムーンライトながらを知らんのか?

そう考えていたら、窓口いわく、
「ムーンライトながらの運転日は3月20日から28日です」
と、時刻表を見せてくださいました。
そりゃあ窓口PCの検索機能に引っかからないはずです。

それにしても、ながらの運転日がこんなにも減ってしまったことに驚愕してしまいました。
こんな具合なら、ながらの指定席は予約で埋まってしまっているのでは…?

予感は的中。
下り列車はすべて満席
しかしながら上りは23、24、25日に空きがあるとのことでした。



とりあえず帰りの指定席だけでもおさえます。

これにて帰りは23日に決定。
旅先で3泊くらいとすると、出発は20日か…。
しかしながらが使えないとなると、1日目は完全な移動日になってしまう…。

ああ、過酷。
ここは名古屋あたりでもう一泊追加するのが良さそうです。



そうそう、忘れちゃいけない18きっぷも購入しておかねば。
ながらの指定席片道分520円と、18きっぷの代金11,850円をお支払いしました。



そして、柏駅東口近くのスタバへ。
MACではなくWindows7が入っている、意識の高くないいたって普通のマイノートPCを開き、お宿の予約を入れていきます。

さすがに日にちも近いし、手ごろなお宿はとれないかとも危惧していましたが、それは杞憂。
あっさり3泊取れました。3月20日から22日までの宿を確保。

ただ、初日の移動日をもう少し何とかならないものか・・・ということで、東京から目的地の中間地点あたりにもう1泊。
3月19日の宿も予約しました。


さらにここであるお方に入電。

『もしもし、旅から帰ってお疲れのところすみませ~ん』
『3月18日ですが、そちらに泊めていただきないでしょうか』

電話の相手はよね先生。
「神戸遠征事件」での経験にもかかわらず、無理な注文を引き受けてくださいました。

この場を借りて篤く御礼申し上げます。誠にありがたく存じます。

この日のよね先生は、私もぞっとするほどの過酷な旅から戻ってきたばかり。
(先生の旅のご様子は、「鬼ヅモ同好会本部」のサイトをご覧ください)

よね先生、大変すみません!
電話では一言も触れませんでしたが、勝手ながら、

「ここをキャンプ地とする」

ということでよろしゅうお頼み申し上げます。





ママチャリ、海を往く~影の国道16号・その弐

2015-03-13 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 8 日 ( 月 )

午 前 1 1 時 2 0 分

神 奈 川 県 横 須 賀 市

観 音 崎







観音崎から見た東京湾はとても爽快で、浜風は強かったけど心地よいものでした。



石碑の影に停めておいたママチャリにまたがり、16号走破の旅を再開します。
といっても、このあたりには国道16号はありません。



国道16号は観音崎から1km離れた走水交差点(地図上の青いピン)でいったん終了しています。
まだ走破していない国道16号は、東京湾の対岸・房総半島のみ。
出発地点の千葉市中央区村田町交差点(地図上の黄色ピン)から富津岬付近(地図上の赤いピン)を残しています。

そこで、ママチャリ旅では初の、自身としても2度目のフェリーで移動という手段を執ることとしました。
東京湾を渡る東京湾フェリーは、観音崎から少し進んだところにある久里浜港から出ています。



というわけで、観音崎から移動を再開。
まずは比較的アップダウンの多い道を進んでいきます。

海に近い土地だからか、暑いには暑いですが埼玉の時のようなクソ暑さは感じませんでした。



丘を乗り越えると海岸沿いの道へ。
横須賀市内にはところどころに小さな浜辺があって、地元民?が海水浴を楽しんでいました。



京急浦賀線の終点・浦賀駅を尻目に、私とママチャリは海岸沿いの道を進みます。



道路が海のそばを走っています。



運命の分かれ道のようなY字路。



トンネルを出ると、



またまた海岸に出ました。
あの大きな構造物はなんだろう・・・火力発電所か何かか?

そして大きな煙突の根元あたりに停泊している船・・・もしや!!



近づくにつれて見えてくる「かなや丸」の文字。間違いなく東京湾フェリーです!
「かなや」は久里浜港の対岸、千葉県富津市の金谷港



途中にある、道沿いからも見えるくらいに大きな石碑は、ペリー上陸紀念碑
漢字で「米合衆國水師提督伯理(ペルリ)上陸紀念碑」とあり、この書は初代内閣総理大臣の伊藤博文によるものだそうです。

ペリー上陸紀念碑からすぐ近くのところに、久里浜港はあります。




午 後 1 2 時 0 7 分

久 里 浜 港

フ ェ リ ー タ ー ミ ナ ル に 到 着




広い駐車場の先にあるフェリーターミナル。
さてママチャリはどこに停めればよいのやら・・・?
とりあえず日陰にあるターミナルのところに駐輪しようか。

そう思っていたら、ターミナル玄関の目と鼻の先に駐輪スペースがありました。
自転車はオートバイと同じ扱いになるようです。


窓口で乗船券を購入。
運賃は、旅客料金が720円と車両料金が330円で、合わせて1,050円。
なかなか安いです。

乗船券を買って一安心していると、なかなか可愛い窓口のおねいさんから「出航時刻が迫っている」とのこと。
急いでママチャリのもとへ。



急いで撮影したオートバイ(兼自転車)駐輪スペース。
出航時間が迫っているので、先に停まっていたオートバイはいません。自動車も1台もいない。



これから乗るフェリーは、海岸線から見えていた「かなや丸」
これも急いで撮影。

ママチャリは自動車と同じく車両用の出入口から乗船します。



待ち受ける乗船員のお兄さんが、ママチャリを固定します。



ママチャリを置いて、私は一人船室へ上がりました。

 

船室は広々としていて、なんだか社交場のようにも感じました。
「水曜どうでしょう」で出てくるような、船室にごろ寝スペースがあるようなチープ感はありませんでした。



私にとっては、小学校4年生以来のフェリー乗船。

房総半島を1周するというドライブに、今は亡きわが父と出かけた。
最初こそ喜び勇んでいたが、元来乗り物酔いの体質である私。
荒っぽい運転をする、当時60超のわが父。
助手席に座っていたにもかかわらず酔っぱらってしまう。

勝浦で食べたサザエの壺焼きが、まったくと言っていいほど私の口に合わなかった。
天津小湊の鯛の浦クルーズ(小舟の上から鯛の群れが見える)で船酔いにやられる。

この日のドライブは、とにかく酔っぱらったということが印象に強く、道中のことなど記憶にない。
いつもは車中で寝ない私も、このときは後部座席で横になっていた。

そして私にとどめを刺したのが、夜の東京湾フェリーだった。

少しばかり体調が回復していた私は、フェリーに乗船して晩飯を食べた。
せっかく船に乗ったのでデッキに出てみるが、夜の海はただただ揺れるだけで何も見えない。

久里浜港に着く前に、やっぱり患ってしまった船酔い。

乗船中はリバースすることはなかったが、気分は最悪。
さすがにわが父も、茨城県内にある自宅に戻ることをあきらめ、モーテルを探すことにした。

しかしモーテル=Hホテルという図式があるわが国では、老人1人と小学生1人の組合せに理解のないモーテルもあり、宿泊を断られ続けた。
(わが父は「満員らしいよ」なんて言ってたが、おそらく「ホモお断り」と言われたのだろう)

ついに臨界点に。
宿泊を断ってきたモーテルの庭で、不覚
そういえば父は「ここで吐いちゃえ」なんて言ってたような~。


船にはトラウマがある私。
最近でも横浜のシーバスで、山下公園から赤レンガ広場に船で移動しただけなのに、あっさり船酔いするという醜態を女性の前でさらしたばかりなのです。




午 後 1 2 時 1 5 分

緊 張 の 出 航


「かなや丸」は久里浜港内を旋回して、東京湾へ出ていきます。

おおっ! 思ったほど揺れてない!



船室から見える東京湾越しの房総半島が、私の目をおおいに愉しませてくれたためか、揺れが全く気になりませんでした。

こりゃあ船酔いなしでいけるぞ!
そうなれば空腹を満たすために、船室の売店で食べ物を買います。

 

横須賀海軍カリーパン! うまい!
中のカリーは甘味がほとんどないスパイシーなものでしたが、かといってそんなに辛くはありませんでした。


パンを1個食べて、船室からデッキに出てみました。



風 TUEEEEEEE~~!!



東京湾とはいえ、海原の真ん中というのはこんなにも風が強いものなのか!
しかし風は涼しく、このまま強風を体に受けているのも悪くない・・・が、メガネが吹き飛ばされてしまいそう。



富津岬の手前に立ち東京湾を見守る東京湾観音



東京湾を航行する貨物船。
"NYK-HINODE"ってあるから「日の出埠頭からニューヨークまで行き来するのか~」なんて考えてました。
(実際は"NYK"は「日本郵船株式会社」の略称です)



金谷港から久里浜港へ向かう「しらはま丸」に出会いました。
このあたりで航路の半分といったところでしょうか。

東京湾は世界でも有数の過密航路らしく、航行する船を何隻も見ることができます。


体が冷えてきたので船室に戻りました。



船室の正面窓から(のこぎり)がはっきり見えてきました。
ギザギザに刻まれたかのような山肌が見えてきたら、東京湾クルーズもいよいよ終焉。




午 後 1 時 0 0 分

千 葉 県 富 津 市

金 谷 港 に 到 着




不覚をとることもなく、無事に到着しました。