鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

栗林公園・最終章~三名園勝り

2016-02-09 | 公園・庭園


2 0 1 5 年 3 月 2 2 日 ( 日 )

午 前 1 0 時 5 1 分

香 川 県 高 松 市

特 別 名 勝 ・ 栗 林 公 園



栗林公園に入ってそろそろ2時間がたとうとしています。



園内最大の茶屋・掬月亭(きくげつてい)です。





手入れの行き届いた松に彩られています。



掬月亭は南湖という池に面しています。
栗林公園でも随一の景色が味わえるところに、これから足を運びます。



西端からの南湖。
カエデの植わった円い島・楓嶼(ふうしょ)が浮かんでいます。





南湖の南岸を歩いていきます。
苔むした緑の地面がとても美しいですが、ここは公園内でも随一の紅葉スポットである楓岸(ふうがん)です。
時季になるとより美しい光景が見られるのでしょうが、このときは地面の苔がきれいに感じられました。



カエデの木陰から脱した遊歩道。
そこから南湖を見渡すと、こんもりとした松の木が生い茂る天女嶋が見えます。



同じ場所から眺める楓嶼、掬水亭、そして紫雲山



南湖に張り出して生えている松。
池に向かって生えている松の木の風景は、個人的に好きだったりします。
松の木の先にある島・・・



杜鵑嶼というツツジに覆われた小島が浮かんでいます。
またまた読~め~ま~せ~ん~(T_T) 「ほととぎすしょ」かな??
ハートの形をしたツツジが植わっているのはここのようですが、この角度からは見えません。



南湖を挟んで彼岸には、小ぶりの松に覆われた築山・飛来峰がそびえます。
ここからの景色が栗林公園でも秀逸のものとされています。
飛来峰には後で上るとして、もう少し湖岸沿いを歩きます。


飛来峰のふもとから流れる小川。



園内の池のすべての水は、この吹上と呼ばれる水源から流れ出ています。
小川の流れから生えて花咲くハナショウブも乙なものですが、水がなんとも清らかで水底の水草も美しい。



ツバキの花が水流に揉まれゆく姿も美しい。
この小川で・・・なにやら撮影している外国人♂と日本人♀・・・女性はなかなかの美人ですな~♪・・・チッ、イチャイチャしおって。


さてと気を取り直して。



南湖にかかる偃月橋
飛来峰に上って偃月橋を見下ろします。



まずは飛来峰の中腹から。
松、泉水、偃月橋、そして借景の紫雲山が織りなす・・・くっ! 画像の右隅で写真など撮らせおって。



さらに飛来峰を上り・・・
橋の両端には緑繁れる松、ほのかな紅を彩る梅。
おっ、橋の中央に移動したか・・・ってまだいるのかい?!
まぁ、良き景色をいつまでも見ていたいという気持ちはわかりますので、無理からぬこと。



飛来峰の頂きへ。
南湖が一望でき、紫雲山も雄大に横たわります。

「我ガ国ニテ風致ノ美ヲ以テ世ニ聞エタルハ、水戸ノ偕楽園、金沢ノ兼六園、岡山ノ後楽園ニシテ、之ヲ日本ノ三公園ト称ス。然レドモ高松ノ栗林公園ハ木石ノ雅趣却ツテ批ノ三公園ニ優レリ」
(『高等小学読本』巻一)


日本三名園にも勝る、と教科書で詠われた栗林公園。
その中でも最高といわれているこの光景は、栗林公園のパンフレットのカバー写真にもなっています。
おぉぅ、まだいるのか・・・。



飛来峰を下りました。
偃月橋を彩るかのように花開く梅の花。
梅の後ろに・・・・・・まだいらっしゃいましたか・・・・・・もう4分も橋の上におられますね・・・・・・。


美女・・・とイケメン外人・・・がいなくなったので、偃月橋を渡ります。



先ほどの杜鵑嶼がよく見えます。
おお、あれに見えるが恋ツツジ(ハート形のツツジ)ですか・・・。



偃月橋を渡ったところにある石組みは飛猿巌です。
石垣を組む手法を取り入れ、大きな石組みを成すことができました。



飛猿巌から望む南湖。
対岸の松が林立する築山は、渚山といいます。

迎春橋という石橋を渡って、南湖の対岸へ。
渚山ぞいを歩きます。











松と泉水が織りなす光景が素晴らしい。



ふたたび掬水亭付近に戻りました。
松の大木・根上がり五葉松が立ちます。

11代将軍・徳川家斉から賜った五葉松の盆栽が大きく成長し、この地に植えたものだそうです。



ここからは南湖沿いを離れます。

ふたたび涵翠池を歩き、





小川沿いを歩き、





北湖へ戻り、







湖の東側にある芙蓉峰という築山に上ります。









最後の佳景を目に焼き付けて、栗林公園の散策は終了。





栗林公園・第3章~レッドクリフ?

2016-02-09 | 公園・庭園


2 0 1 5 年 3 月 2 2 日 ( 日 )

午 前 1 0 時 2 3 分

香 川 県 高 松 市

特 別 名 勝 ・ 栗 林 公 園





会僊巌(かいせんがん)という築山まで歩いてきました。
ちょいと登ってみると・・・



日陰がかかる西湖と、その向こうに見える小さなほら穴。
この穴は爛柯石屋(らんかせきや)といいます。

代々の藩主が夏期に涼をとるため、この場所で碁を楽しんだところと伝えられている。
(園内の案内看板より)

だんだん定着しつつある園内看板を丸パクリするスタイル。
それにしても栗林公園の造形物の名称は難読な文字がよくでてきます。
この「爛柯石屋」もそう。
とくに2番目の「柯」の文字。沙摩柯くらいしか目にしたことがありませんね~。

 ※「沙摩柯(しゃまか)」・・・三国志に登場する異民族の王で、夷陵の戦い(223年)に参戦するが戦死する。物語上では呉の猛将・甘寧を弓で射て死に至らしめるが、敗走中に呉の周泰と20合ほど打ち合って討ち取られてしまう。



西湖のほとりを歩いていきます。



西湖と築山・会僊巌。
こんもり盛られた小さな丘といった趣ですね。



会僊巌からの対岸はほら穴が口開く鬱蒼とした林でしたが、しだいに崖の露頭があらわれてきます。
この石壁は赤壁ともよばれています。
う~ん、見事に三国志ネタが繋がりましたなぁ。

野趣に富んだ西湖の景を支えている石壁は、“赤壁”とも呼ばれ中国の揚子江左岸にある景勝地で、詩人蘇軾が「赤壁賦」を詠んだことで有名な赤壁に因んで名づけられたとも言われている。自然の岩盤を巧みに取り込んだスケールの大きい庭景を造り出している。
(園内の案内看板より)



こちらが景勝地の赤壁。
三国志のヤマ場・赤壁の戦い(208年)の戦場・・・ではないといわれており、通称「文赤壁」つまり詩文で詠われる赤壁なのです。
戦場であった「三国赤壁」は別の場所にあって、「赤壁賦」の作者である蘇軾自身もカン違いしています。


三国志と赤壁からは離れ、「松の庭園」にあっては異質にも見えるソテツの生えるところへ。





涵翠池という池に出ました。
たぶん読みは「カンスイチ」かと(?_?)



池のそばにある築山には背丈の立派なソテツが立っています。
ソテツの葉が開くさまを鳳凰の羽の広げるさまになぞらえて、鳳尾塢(ほうびう)という名称が与えられています。

ここのソテツは琉球産で、琉球を支配していた島津家より贈られたものだそうです。
樹齢は300年を超えていて、香川県より天然記念物に指定されています。


ふたたび赤壁へ戻ります。



赤壁からチロチロ流れる滝。



またまた読みのわかりづらい桶樋滝
何て読むんだ~? 「おけ」の音読みは何だ~? 「ようひだき」かな?



手持ちのパンフレットを見ると、「おけどいのたき」だというのです。
なんだ、訓読みじゃねぇか。
それにしても「ひぐち(樋口)」の「樋」の字は、訓読みでは「どい(とい)」と読むのか。
雨どいの「どい」は「樋」と書くのだろう。



梅の花からしたたる桶樋滝。
美しいだけでなく、漢字の勉強にもなる庭園、それが栗林公園です(*^_^*)



西湖を挟んで、桶樋滝とは向かいの此岸側にある茶室は旧日暮亭です。

旧日暮亭は考槃亭(こうはんてい)の別名をもちます。
そもそも「旧」ってなんでしょう?
園内の案内看板によると・・・

松平二代藩主頼常の頃、南庭の東南隅に「考槃亭」という官休庵流の茶亭があったが、その後、会僊巌の東方に移築、「日暮亭」と改称され、さらには園外の私人に移るなど、この建物は、様々な変遷を経てきた。
昭和20(1945)年、関係者の尽力により、再び園内に「新日暮亭」として甦った由緒ある茶室であるが、歴史的経緯を踏まえ、現在は「旧日暮亭」と呼ばれている。


かみくだいて説明するならば・・・
(1)最初この甲地に茶室A「考槃亭」がありました。
(2)茶室Aは別の場所乙地に移り、「日暮亭」と改名しました。
(3)茶室Aはさらに民間に払い下げられ、移築されてしまいました。
(4)更地であった乙地に茶室Bが建ち、「日暮亭」の名が付きました。
(5)民間に払い下げられていた茶室Aが買い戻され、甲地に移築されました。この茶室は「新日暮亭」となりました。
(6)でもでも、もともとこの茶室が「日暮亭」だったのに、「新」がつくのはおかしくねぇ?
 ということで、茶室Aは「旧日暮亭」となりました。
なかなかしちめんどくさい経緯をたどっている茶室です。
でも「日暮亭」の名にこだわらず、「考槃亭」に戻すこともできたような・・・まぁどうでもいいですが。



ここの松もなかなか。
ただ観光客がえらい多かったので、私はあまり深くは立ち入らずに進んでしまいました。



レッドクリフに別れを告げ、西湖の南端へ。



池の向こうにある小普陀(しょうふだ)という石組み。
園内の石組みで最も古いものとされ、栗林公園の発祥地といわれています。



名もなき立派な石橋を渡り、



いよいよ栗林公園のクライマックス・南湖を歩きます。