鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

讃岐高松城・前章~披雲閣

2016-02-26 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 5 年 3 月 2 2 日 ( 日 )

午 後 2 時 0 7 分

香 川 県 高 松 市

玉 藻 公 園 東 入 口



栗林公園【国指定特別名勝】を回遊し、うどん屋3軒をハシゴした私は、かなり満腹のままこの日の城攻めに突入。



この3日間毎日横目で通り過ぎていた(うしとら)【国指定重要文化財】と中堀へ。



中堀にかかる旭橋から、高松城の登城はスタート。
入城料は、大人200円。

入口の管理所ではやくも100名城スタンプを発見。



77番、高松城!


高松城(讃岐高松城)は、またの名を「玉藻城」と呼ばれています。
その由来は「万葉集」で柿本人麻呂が讃岐国の枕言葉に「玉藻よし~」と詠んだことにちなみ、高松周辺の海が「玉藻の浦」と呼ばれていることに寄ります。

豊臣秀吉より讃岐一国を与えられた生駒親正は、この地を「高松」と改称して天正16年(1588年)から築城を始めました。
城の縄張りは瀬戸内の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだもので、「日本三大海城」に挙げられます。

生駒氏の治世は4代54年にわたり続きましたが、寛永17年(1640年)生駒騒動というお家騒動を起こした責めにより改易(領地没収)されてしまいます。
代わって寛永19年、徳川光圀の兄・松平頼重が東讃岐12万石の領主として入城しました。
以後明治まで松平氏の治めるところとなりました。



こうしてみると、讃岐にやってきた松平頼重は、弟の黄門さまに水戸を追い出されたようにも見えていささか不憫ですが・・・
これには続きがあります。


頼重と光圀の母である久昌院は、もともと水戸徳川家に仕える侍女でしたが、初代藩主・頼房に見初められ、時を分けて2人を身ごもりました。
久昌院はのちに側室となりますが当時は身分の低い侍女、ゆえに身ごもった子を堕胎するよう命じられます。
頼房の乳母夫婦であった家臣の三木之次(ゆきつぐ)は、2人とも隠匿して養育しました。
しかし光圀を懐胎したときには、頼重はその存在がバレないようにするため京都に移ることとなりました。

その後頼重は水戸に戻ることになりますが、その間に水戸徳川家の跡継ぎは光圀と決まってしまいました。
ときの将軍・家光がその名を分けたうえで決まった後継、「実は俺が長男だ」と主張して後継を争うことなどできるわけはありませんでした。

若き後継者・光圀もこのことを気に病み、江戸で吉原通いやら辻斬り!!やらの放蕩の限りを尽くしたといいます。
やがて「史記」を読んでこれまでの行いを改め、学問に励んでいきました。

そして光圀は、頼重の子・綱條(つなえだ)を養子として次代の藩主に指名し、頼重も光圀の子・頼常を養子に迎え、長幼の序を正しました。



それでは玉藻公園の中へ。



旭橋から入ったところは、旭門跡の枡形虎口。
もともとは旭橋も旭門もなかったのですが、藩主の住まいが造成されたことによりあらたに備わりました。



内側からの艮櫓
この櫓は元からここにあったわけではなく、旧東の丸(現在はない)の北東側に建っていたものを移築したものです。



公園の南側に広がる桜の馬場
文字どおり桜の名所で、この日は花見のイベントがありました。



「高松」というだけあって、小ぎれいな松が立ち並びます。
しかしなにやら工事中。
内堀にある仮設の通路を通るよう要求されてしまいます。



内堀の向こうは、豪快な野面積みの石垣が威容を示す三の丸
この日は工事のため、画像左端にチラッと見える仮設通路を歩きます。



内堀の水上を行く仮設通路。
向こう側は堅固な石垣が組まれた本丸
本丸の突端にあるより高い石垣が天守台です。



三の丸にまわってきました。
通行止めゾーンにあるのは、桜御門跡
三の丸の入口を守る櫓門でしたが、戦災により焼失してしまいました。







三の丸には、藩主の住まいであった披雲閣【国指定重要文化財】があります。
江戸時代には御殿で、藩の政庁と藩主の住まいを兼ねており、現在の2倍の大きさがあったといいます。
現在の披雲閣は、大正時代に松平家によってあらたに建てられたものです。



玄関の左右には格式の高い舞良戸、正面には「披雲閣」の扁額が掲げられています。



この日は貸切のため、中には入れませんでした。


仕方がないので先に進みます。



披雲閣の脇を抜ける門をくぐると・・・



三の丸にひろがっている披雲閣庭園【国指定名勝】です。

 

庭園内を歩き、披雲閣の裏手まで来ました。

 

ああ、あなたがたが貸切ってたんですねぇ。



松の向こうに櫓が見えてきたら、庭園内の散策はそろそろ終わり。



庭園の出口に「ど根性松」が立っています。
岩の裂け目に落ちた種子が生長したのだとか。
一時期はやった「ど根性」ナントカのひとつですな~。





披雲閣庭園を出たところで、高松城攻めは後半戦へ。