兼六園を出ました。
橋が架かっていて、その先に金沢城があります。
兼六園と金沢城を隔てているのは、お堀通りという幹線道路で、その名のとおりかつては金沢城の水濠でした。
兼六園側からは、右から順に、白をベースに黒い模様が施された城壁、堅固な門、そして整った石垣をみることができます。
この門は、金沢城の城門で唯一現存する石川門【国指定重要文化財】です。
兼六園からの通用門で、搦め手(裏口)にあたります。
屋根瓦は鉛でできており、雪国の寒冷な気候により瓦が割れないようにしたとも、鉄砲玉に加工できる鉛を用いて籠城戦に備えたともいいます。
特徴的な模様の城壁は
この壁には鉄砲狭間が隠されており、瓦を外すと狭間になる仕組みです。
石川門の石垣はあまりに端正に整って無駄がなく、なんだか近現代に再建されたかのような印象を受けます。
しかしこの石垣も江戸時代の造作です。
石川門から中は、三の丸です。
広大な三の丸の奥に、白銀のように輝く櫓が立ち並びます。
右から菱櫓、長々と続く五十間長屋、左に橋爪門続櫓です。
これらはいずれも復元されたもので、当時の工法を用いてはいますが、バリアフリーや防災にも配慮されています。
中に入るには、三の丸の券売所で入城料300円を支払う必要があります。
私は兼六園で購入した共通券(500円)を持っていたので、券売所をスルーします。なお、共通券は100円お得です。
これらの櫓に進む前に、いったん大手側へ。
大手側にある大手堀は、金沢城で唯一現存する濠だそうです。
大手堀から三の丸への入口(大手門跡)です。
石垣は、表面が整形された
ひときわ目立つ大きな石は鏡石といい、城主の権勢を表すもので、正面入口にあたる大手門に据えられています。この石が金沢城最大の石です。
大手門跡から入った広場(新丸広場)から。
右側は、三の丸を望む菱櫓。
左側は、三の丸を守る河北門。
河北門は、石川門、橋爪門とともに「三御門」と称された重要な門で、大手門からの道の途上にあるため正門の役割をしていました。
「三御門」が大火で焼失した時も、真っ先に再建されています。
河北門は明治に入って撤去されますが、平成22年に130年ぶりに再建されました。
一の門の脇にはニラミ櫓台。
1759年の大火前には隅櫓があったそうですが、焼失後には太鼓塀を巡らすのみとなりました。
重厚な河北門二の門。
外観は石川門と似た感じもしますが、正門であるため規模は一回り大きくなっています。
河北門をくぐると、
さきほどの菱櫓、
五十間長屋、橋爪門続櫓に、
「三御門」の一、橋爪門に着きます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます