静岡駅から地下道と日陰の道を歩いて約10分、静岡県庁へ。
駿府城へ行く道を遮るかのように建っている県庁。
その脇道こそが駿府城への近道であり、かつ公式なルートとなっているのです。
駿府城(駿府公園)の入口に到達しました。
(当時は「駿府公園」でしたが、現在は駿府城公園となっています)
駿府城は、室町時代に駿河守護であった今川氏の築いた今川館をルーツとしています。
16世紀後半、武田信玄が今川との同盟を破棄し駿河に侵攻すると、今川館は廃棄されてしまいます。
信玄死した後、織田信長と徳川家康は、武田を討伐して滅亡させ、駿河は徳川家康が領有しました。
家康は天正14年(1586年)駿府城を築城し、浜松城から本拠を移しました。
天正18年(1590年)に家康が関東に移封となると、のちに「三中老」のひとりとなる中村一氏が城主となります。
関ヶ原の戦い後に中村氏が伯耆(鳥取県)に加増移封となります。
慶長11年(1606年)家康が征夷大将軍を辞すると、駿府城は大御所の隠居城として大きく改修されました。
家康は隠居後も政治の実権を手放さなかったため、このころの駿府は江戸と並ぶ政治経済の中心でした。
家康の死後は、その十男・頼宜が城主となり、頼宜が和歌山へ移ると徳川秀忠の次男・松平忠長が城主となります。
忠長が処分されると駿府は直轄地となり、駿府城代が置かれました。
公園の入口からは、駿府城の二の丸となります。
二の丸は周囲を水濠で囲まれていましたが、このあたりは埋立てがあったところです。
近年復元された
同じく近年復元された二の丸東御門。
東御門は、強大な権力を手にした戦国の覇者が居を構えるにふさわしい、堅固な枡形門となっています。
東御門と巽櫓に入るため、券買所へ向かうと・・・
あまりにも非情な現実。
東御門、巽櫓に入れないばかりでなく、駿府公園内にある紅葉山庭園にも入れませんでした。
こうなると気になるのは、100名城スタンプ。
手持ちのガイドブックを見ると、「東御門券買所」とあったのです。
券売所をよくよく観察しても、100名城スタンプは設置されていませんでした。
はぁ~~~~・・・
何が有給バンザイだよぉ(T_T)
仕方がないので、休業日に関係ないものを見ていくこととしました。
家康の隠居城とあって、駿府城にも徳川家康公銅像が立っていました。
駿府の家康像は、彼が生涯趣味としていた鷹狩りをしている様子をモチーフとしています。
それにしても、この日は家康の像を何体も見ています・・・まぁ、ほとんどが岡崎なんですけど。
「家康公お手植えのみかん」なんてものもあります。
家康像のすぐそばに植わっていて、フェンスで厳重に守られていました。
この2つは、少々見つけにくいところにありました。
天守があったところ。
現在は立て看板が立っているだけです。
天守は1635年に失火で焼け落ちたのち、再建されることはありませんでした。
100名城スタンプをあきらめきれない私は、なおも公園内をさまよいましたが、成果はありませんでした。
スタンプ帳の「駿府城」の欄はブランクのまま、駿府公園を後にしたのでした。
駿府公園を出て、かつての駿府城三の丸を歩きます。
二の丸と三の丸を隔てる水濠と、二の丸を取り囲う石垣。
平成21年(2009年)の地震で石垣が一部崩落したため、その部分の修復工事を行っていました。
お濠のそばにそびえ立つのは・・・
静岡県警察本部のビル。
まさに現代の駿府城なのかもしれませんね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます