日本バプテスト大阪教会へようこそ!

教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

巻頭言

2007-12-01 12:25:44 | メッセージ
「五島列島・島原キリシタン史跡訪問」 K・S

11月7日~10日迄、五島列島・島原キリシタン史跡を訪ねました。長崎佐世保港より高速船で1時間30分、五島列島有川港へ着きました。140の大小からなる島が連なっています。島へは船での交通です。1587年豊臣秀吉による「キリシタン禁教令」が発令され、キリシタンへの迫害が始まります。しかし宣教師の働きは続きます。信者に踏み絵・投獄・殉教の死を迫られていきました。300年近くの年月が過ぎ1873年明治政府のもと禁教令の高札ははずされ、「信教の自由」が訪れました。と同時に、フランスのドロ神父等が次々と着任され、その働きは生活を奪われた人々、病気や親を亡くした子どもたちへ救いの手は伸べられます。ドロ神父は、教会堂建築という大きな仕事をなすがため、ヨーロッパの最新道具を取り寄せ、日本人大工棟梁・鉄川与助にその仕事を託し、明治32年五島の冷水カトリック教会の教会堂建築をはじめ、次々と教会堂が建てられていきました。ドロ神父は女性にはミシンの手法を教え、子どもたちには孤児院等を設立する中で宣教が続けられ、現在五島列島総人口の40%が信徒として、その信仰を継承しています。
 終日に訪れた島原カトリック教会は、アルメィダという医師であり宣教師が赴任され働かれた教会で、島原の乱で親を亡くした子どもたちへ先ず手が差し伸べられました。総合病院、ハンセン病療養所、熊本の恵楓園、聖マリア修道院、熊本の慈恵病院等は同系のイエズス会の働きだそうです。
島原教会の神父は、「信仰の継承は福音を広める事は元より、宣教師、神父、信徒の学び第1に教育が必要で、これが亡くなれば宗教は亡びる。400年の永きに亘った信仰は、出会い・受難・復活であって、この五島・島原は海に囲まれ、まさにイエズスが宣教を始められた『ガリラヤ湖』のように、ここから新しい教会、宣教が始まっているのです」と言われました。
コメント
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