「イエス誕生の日付について」 M・Y
クリスマスの季節になると「ルカ福音書」の降誕物語がよく読まれる。パレスチナでは羊飼いが野宿できるのは3月頃から11月までの春、夏、秋のいずれかになる。これが唯一の手掛りとなる。では、キリストの誕生日はなぜ12月25日に設定されたのか。古代のキリスト教徒がイエスの誕生日を推測はしているものの、歴史的価値はない。
243年に出た書物にキリストの誕生日を3月26日と設定している。著者は、天地創造の際に神が光と闇とを分けた記事にヒントを得た。つまり、光と闇はその際二等分された「昼」と「夜」の長さが同じ日に開始された事になる。ローマ暦では昼夜半分の春分の日は3月28日に定められていた。天地創造物語によれば、神は太陽を第四日目の28日に創造されことになる。 旧約聖書「マラキ書」3章20節には救い主は「義の太陽」であるから、イエスは3月28日にこの世に生誕された、と主張している。
その他、自由気ままに考えてさまざまな説がある。その中で、4世紀初頭、エジプトで発見された一葉のパピルスに一種の典礼式文には、教会の聖歌隊が司祭の朗読に続いて答唱。また、多数の指紋が検出されており、式文にはヨルダン川でイエスの洗礼を記念するというメモにより、それは1月5、6日が顕現祭の典礼式文だと判明した。聖歌隊が歌ったその式文の歌詞には「彼は、ベツレヘムに生れ、ナザレで育ち、ガリラヤに住んだ。私たちは天のしるしを見ました、輝く星というしるしを。野宿をしながら羊の番をしていた羊飼いたちは恐れ、ひざまずいて歌った。父に栄光あれ。ハレルヤ。御子と聖霊に栄光あれ。ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。」とある。このように、四世紀はじめ東方教会では、キリストの降誕を一月五日から六日にかけての夜に祝っていた。
クリスマスについて考える際に、十二月二五日にこだわるべきではない。
このシーズンにわたしが愛唱しているドイツの神秘的宗教詩人、アンゲルス・シレシウスの詩をご紹介しましょう。
「キリスト ベツレヘムに生(あ)れたもうこと 千度(せんたび)におよぶとも、 キリスト汝(な)が心のうちに生(あ)れたまわずば、たましいは なおうちすてられてあり。十字架のみ 汝(なれ)をすこやかにせんに、ゴルゴダの丘が十字架 汝(な)が心のうちに立てられずば、汝(な)がたましいは とこしえにうしなわれてあり。」
クリスマスの季節になると「ルカ福音書」の降誕物語がよく読まれる。パレスチナでは羊飼いが野宿できるのは3月頃から11月までの春、夏、秋のいずれかになる。これが唯一の手掛りとなる。では、キリストの誕生日はなぜ12月25日に設定されたのか。古代のキリスト教徒がイエスの誕生日を推測はしているものの、歴史的価値はない。
243年に出た書物にキリストの誕生日を3月26日と設定している。著者は、天地創造の際に神が光と闇とを分けた記事にヒントを得た。つまり、光と闇はその際二等分された「昼」と「夜」の長さが同じ日に開始された事になる。ローマ暦では昼夜半分の春分の日は3月28日に定められていた。天地創造物語によれば、神は太陽を第四日目の28日に創造されことになる。 旧約聖書「マラキ書」3章20節には救い主は「義の太陽」であるから、イエスは3月28日にこの世に生誕された、と主張している。
その他、自由気ままに考えてさまざまな説がある。その中で、4世紀初頭、エジプトで発見された一葉のパピルスに一種の典礼式文には、教会の聖歌隊が司祭の朗読に続いて答唱。また、多数の指紋が検出されており、式文にはヨルダン川でイエスの洗礼を記念するというメモにより、それは1月5、6日が顕現祭の典礼式文だと判明した。聖歌隊が歌ったその式文の歌詞には「彼は、ベツレヘムに生れ、ナザレで育ち、ガリラヤに住んだ。私たちは天のしるしを見ました、輝く星というしるしを。野宿をしながら羊の番をしていた羊飼いたちは恐れ、ひざまずいて歌った。父に栄光あれ。ハレルヤ。御子と聖霊に栄光あれ。ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ。」とある。このように、四世紀はじめ東方教会では、キリストの降誕を一月五日から六日にかけての夜に祝っていた。
クリスマスについて考える際に、十二月二五日にこだわるべきではない。
このシーズンにわたしが愛唱しているドイツの神秘的宗教詩人、アンゲルス・シレシウスの詩をご紹介しましょう。
「キリスト ベツレヘムに生(あ)れたもうこと 千度(せんたび)におよぶとも、 キリスト汝(な)が心のうちに生(あ)れたまわずば、たましいは なおうちすてられてあり。十字架のみ 汝(なれ)をすこやかにせんに、ゴルゴダの丘が十字架 汝(な)が心のうちに立てられずば、汝(な)がたましいは とこしえにうしなわれてあり。」