2011元旦礼拝宣教 エフェソ2・14~22
「新年あけましておめでとうございます」。主のみ名を崇め、賛美いたします。
この元旦を聖別して主にささげる礼拝から2011年をスタートできますことは、真に幸いなことであります。1年の計は元旦にあり、との言葉にもありますように、今年のあゆみをここから始めてまいりたいと願うものであります。
今日から始まりました皆様方のすべての歩みのうえに主が伴ってくださり、恵みと祝福を溢れんばかりに満たしてくださいますようにと、この年初にあってお祈り申しあげます。
皆様、大阪教会にとってこの1月はどういう日かご存じでしょうか? 今から50年前の1月にこの大阪教会が誕生した記念日であるのです。昨年9月で1950 年の宣教開始から60周年となりましたが、大阪教会はその4カ月後に教会組織(18名)しているのです。ちなみにその翌年の1952年1月には教会の献堂式(旧)が行われたということです。まあ、そこから大阪教会の本格的な教会形成、11教会以上を生みだしていくという熱心な開拓伝道が始まったということであります。
私は大阪教会創立60周年に当たる今年、もう一度60年前の原点に立ち帰っていくことがとても大事だの思いに導かれ、今年の年間標語案として、「教会を共に建てる」というその使命を主より戴きました。現代の状況は確かに60年前とは大きく異なっていますが、しかし教会を愛し、建てあげていく熱い思いによる教会形成と、又その開拓伝道へのスピリットは変わるものではないし、変わってはならないとそう信じています。
今年の大阪教会の年間標語案でありまます「教会を共に建てる」という標語は、先ほど読んで戴きましたエフェソ2章の21~22節のみ言葉から与えられたものであります。
この2011年初頭の元旦礼拝は、このみ言葉から一年を始めていきたいと願っておりますが。
このエフェソ2章には、キリストによって「造られた」とか「造りあげて」というみ言葉や「建てられて」というみ言葉が出てまいります。ここにはキリストの教会が建てられて
いくということが述べられているのですが、具体的には18節にあるように異邦人とユダヤ人がキリストにおいて一つにされるということでありました。いわゆる異質の文化をもち敵対するような者同士がキリストにあって和解し、15節「一人の新しい人」に造りあげられ、平和を実現していく。ここにキリストの十字架、教会の本質があります。もちろんこれは今日の教会にも当てはまります。教会の様々な違いをもった信徒が互いに和解し、平和を実現しようとするところに教会が建てられていきます。しかしそれとは逆にねたみや悪意、恨みや党派心といった縄目から解放されないのなら、それは平和を実現するものとはならない、聖書的な教会は決して建てあげられないということです。主のみ前に謙虚にされ、互いに一つになろうと祈り、努めるとき、教会はキリストの救いが受肉した一つのからだとして本来の目的を果たし得るのです。
さて、「共に建てあげられる」ということについて、先ほど読んで戴いた21節、22節をもう一度読んでみましょう。21節「キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。」22節「キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」
ここの個所のキーワードは「キリストにおいて」という事であります。それも「キリストの十字架」を通していうことであります。たとえ人の側の努力で一致や和解が困難に思えたとしても、キリストが十字架の上でその肉と血を流してまでも、与えてくださった「平和」。どこまでもそのキリストの十字架による和解を通して、私どもの教会は建物全体が組み合わされて成長し、主の聖なる神殿となるのです。キリストの十字架の血による和解と平和(平安)を通して、共に建てられ、ご聖霊が充満する神の住まいとなるのであります。
教会を建てるといいますと、何かそれは教会堂の外面を建てていくことばかりに目が向きがちですが。実はそういうことよりもまず、私たち自身が、主の十字架のもとにあってキリストのみ言葉に生き、整えられていくことが不可欠であります。そして、キリストがお命じになったとおり、私たちが互いを主に愛されている兄弟姉妹を大切にし、主のみ体である教会として建てあげていく必要があります。
2011年が今日からスタートしました。今年も主のみ心を絶えず尋ね求めて進む私たちでありたいと願います。大阪教会創立60周年という節目の年、主の教会を共に建てていくことに祈りを注ぎこみ、私たちに与えられている様々の賜物を主のために心からささげ、力を合わせ、喜びをもって主に仕えていく悔いのない1年を歩んでまいりたいものです。
最後に、預言者イザヤは「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」と主のみ言葉を告げていますが。このみ言葉はカイロス:「神のとき」として、今を生きている私たちに対して語られる「真理の言葉」であります。
「見よ、新しいことをわたしは行なう。今や、それは芽生えている。」
祈ります。主よ、新しい年もいつも、どんなときも、どこにいてもあなたの御名を崇めて生きることができるようにして下さい。あなたが今も生きて働かれるお方であることを示し、主の栄光を拝することができるようにしてください。どうか主イエスの福音を伝え、証しする私たちを病魔や災いから守り、身も心も魂もすこやかであらせてください。
すべての必要をあなたが満たしてください。ご家族やご家庭のうえに、又お仕事や生活の上に平安と祝福をお与えください。また私たちの生きる社会や世界のいたる所において、いまだ平和を脅かすような紛争や収奪が起こっています。又貧困や経済や政治的な事情で住み場を失い、難民生活を余儀なくされている人達がいます。又厳寒のもと野宿生活を余儀なくされている孤独な人たちがおります。主よ、助けてください。身近なところから成し得ることを導き示しくださり、あなたの平和の使者として用いてください。世界のいたるところで起こっている紛争が平和的に解決していきますように。又この日本という国があなたの御心にかなう歩みをなすことができますように、この国の指導者が整えられていきますように。平和の主イエスの御名によって祈ります。
「新年あけましておめでとうございます」。主のみ名を崇め、賛美いたします。
この元旦を聖別して主にささげる礼拝から2011年をスタートできますことは、真に幸いなことであります。1年の計は元旦にあり、との言葉にもありますように、今年のあゆみをここから始めてまいりたいと願うものであります。
今日から始まりました皆様方のすべての歩みのうえに主が伴ってくださり、恵みと祝福を溢れんばかりに満たしてくださいますようにと、この年初にあってお祈り申しあげます。
皆様、大阪教会にとってこの1月はどういう日かご存じでしょうか? 今から50年前の1月にこの大阪教会が誕生した記念日であるのです。昨年9月で1950 年の宣教開始から60周年となりましたが、大阪教会はその4カ月後に教会組織(18名)しているのです。ちなみにその翌年の1952年1月には教会の献堂式(旧)が行われたということです。まあ、そこから大阪教会の本格的な教会形成、11教会以上を生みだしていくという熱心な開拓伝道が始まったということであります。
私は大阪教会創立60周年に当たる今年、もう一度60年前の原点に立ち帰っていくことがとても大事だの思いに導かれ、今年の年間標語案として、「教会を共に建てる」というその使命を主より戴きました。現代の状況は確かに60年前とは大きく異なっていますが、しかし教会を愛し、建てあげていく熱い思いによる教会形成と、又その開拓伝道へのスピリットは変わるものではないし、変わってはならないとそう信じています。
今年の大阪教会の年間標語案でありまます「教会を共に建てる」という標語は、先ほど読んで戴きましたエフェソ2章の21~22節のみ言葉から与えられたものであります。
この2011年初頭の元旦礼拝は、このみ言葉から一年を始めていきたいと願っておりますが。
このエフェソ2章には、キリストによって「造られた」とか「造りあげて」というみ言葉や「建てられて」というみ言葉が出てまいります。ここにはキリストの教会が建てられて
いくということが述べられているのですが、具体的には18節にあるように異邦人とユダヤ人がキリストにおいて一つにされるということでありました。いわゆる異質の文化をもち敵対するような者同士がキリストにあって和解し、15節「一人の新しい人」に造りあげられ、平和を実現していく。ここにキリストの十字架、教会の本質があります。もちろんこれは今日の教会にも当てはまります。教会の様々な違いをもった信徒が互いに和解し、平和を実現しようとするところに教会が建てられていきます。しかしそれとは逆にねたみや悪意、恨みや党派心といった縄目から解放されないのなら、それは平和を実現するものとはならない、聖書的な教会は決して建てあげられないということです。主のみ前に謙虚にされ、互いに一つになろうと祈り、努めるとき、教会はキリストの救いが受肉した一つのからだとして本来の目的を果たし得るのです。
さて、「共に建てあげられる」ということについて、先ほど読んで戴いた21節、22節をもう一度読んでみましょう。21節「キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。」22節「キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」
ここの個所のキーワードは「キリストにおいて」という事であります。それも「キリストの十字架」を通していうことであります。たとえ人の側の努力で一致や和解が困難に思えたとしても、キリストが十字架の上でその肉と血を流してまでも、与えてくださった「平和」。どこまでもそのキリストの十字架による和解を通して、私どもの教会は建物全体が組み合わされて成長し、主の聖なる神殿となるのです。キリストの十字架の血による和解と平和(平安)を通して、共に建てられ、ご聖霊が充満する神の住まいとなるのであります。
教会を建てるといいますと、何かそれは教会堂の外面を建てていくことばかりに目が向きがちですが。実はそういうことよりもまず、私たち自身が、主の十字架のもとにあってキリストのみ言葉に生き、整えられていくことが不可欠であります。そして、キリストがお命じになったとおり、私たちが互いを主に愛されている兄弟姉妹を大切にし、主のみ体である教会として建てあげていく必要があります。
2011年が今日からスタートしました。今年も主のみ心を絶えず尋ね求めて進む私たちでありたいと願います。大阪教会創立60周年という節目の年、主の教会を共に建てていくことに祈りを注ぎこみ、私たちに与えられている様々の賜物を主のために心からささげ、力を合わせ、喜びをもって主に仕えていく悔いのない1年を歩んでまいりたいものです。
最後に、預言者イザヤは「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」と主のみ言葉を告げていますが。このみ言葉はカイロス:「神のとき」として、今を生きている私たちに対して語られる「真理の言葉」であります。
「見よ、新しいことをわたしは行なう。今や、それは芽生えている。」
祈ります。主よ、新しい年もいつも、どんなときも、どこにいてもあなたの御名を崇めて生きることができるようにして下さい。あなたが今も生きて働かれるお方であることを示し、主の栄光を拝することができるようにしてください。どうか主イエスの福音を伝え、証しする私たちを病魔や災いから守り、身も心も魂もすこやかであらせてください。
すべての必要をあなたが満たしてください。ご家族やご家庭のうえに、又お仕事や生活の上に平安と祝福をお与えください。また私たちの生きる社会や世界のいたる所において、いまだ平和を脅かすような紛争や収奪が起こっています。又貧困や経済や政治的な事情で住み場を失い、難民生活を余儀なくされている人達がいます。又厳寒のもと野宿生活を余儀なくされている孤独な人たちがおります。主よ、助けてください。身近なところから成し得ることを導き示しくださり、あなたの平和の使者として用いてください。世界のいたるところで起こっている紛争が平和的に解決していきますように。又この日本という国があなたの御心にかなう歩みをなすことができますように、この国の指導者が整えられていきますように。平和の主イエスの御名によって祈ります。