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教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

カラスとエリヤ

2011-01-09 08:20:09 | メッセージ
宣教  列王記上17章 

序 「背景」
神の導きによってイスラエル王国を築きあげたダビデ王、神殿建設を成し遂げたソロモン王の後、唯一真の神への背信の結果、イスラエル王国は北イスラエルと南ユダの二つの王国に分断されるという事態を招きます。今日登場しますエリヤはその北イスラエル王国に遣わされた預言者であり、当時悪名高いアハブ王に神の言葉を伝えます。このアハブ王はシドン人の王の娘イゼべルとの結婚により、異教のバアル神の礼拝所を設置します。それだけでなく、北イスラエルの都サマリヤにまでバアルの神殿や祭壇を建て、その民に偶像礼拝を推奨し、自ら進んでそれを行ったということであります。一人の王によってもたらされた偶像礼拝が、その民全体にも広がって国家全体として罪を犯していくことへの怖ろしさ。王や政治の指導者のありようで民全体が困窮していくということは、これは今日の時代にも当てはまることです。とりわけ一国が神ならざるものを神として祀りあげ、政争の具、政治に利用していくことが、どのような悲劇を作り出してしまうのか。それは今日の世界情勢、独裁的な国家で起こっていることでありますし、古今東西歴史の証言するところです。

① 「み言葉に従う人の幸い」
この記事は、神のお言葉に聞き従う人の幸いについて教えています。
主であられる神は、わたしたちがどこにいようが、どのようなことがあろうが。日夜呼び求める私たちの必要を満たし、よき道へと導かれるお方であられます。つまり、主であられる神は、嫌われもののカラスであっても養ってくださるように、ましてや私たち一人ひとりのことをよくご存じであり、よく知っておられ、必要なことすべてをご存じであるお方なのであります。

② 「神のお言葉こそ、いのちの源」
この17章は、主がカラスに命じてエリヤを養われるとの物語以外にも、主がエリヤを一人のやもめもとに遣わし、エリヤとやもめの家の者を養うエピソードが記されています。さらに、主がエリヤの祈りに応えてやもめの息子を生き返らせる物語が収められています。
そこには、やもめとしての生活の困難や危機、さらに、死に対する絶望といった問題が取り扱われています。聖書はそれらの世に頼ることのできないような危機や困難、絶望といった問題に対して解決の道を示しています。それはエリヤがなしたように、又やもめがなしたように、理屈ではありません。世の処世術によるものでもありません。又、人の知恵や知識、常識で判断するのではなく、ただ「主のお言葉どおりに行なう」。そこに解決の道があり、助けがあります。主のみ言葉こそ真実であり、いのちの源であることを教えているのです。

③ 「祈り求め続ける」
それと最後にもう一つ、エリヤがやもめの息子のために、必死になって主に何度も何度も、嘆願をしていく中で、主が「エリヤの声に耳を傾け、その子の命を元にお返しになった」。生き返ったのですね。主はすべての命あるものをすべ治めたもう神であられるのです。
むろん私たちは預言者エリヤのような偉大な者ではないでしょう。しかし今や救い主イエスさまを通してこのまことの生ける主なる神に、心から祈り、嘆願する道、聞き入れて戴く道が開かれているのであります。私たちは主のみ名によって祈ること、執り成すことが許されている、どんなに素晴らしい賜物と希望ではないでしょうか。
かの預言者エリヤでさえ幾度も幾度も嘆願したのです。私たちも、もっともっと主に期待していいのです。主に期待し、なおさらのことうみつかれることなく祈り続ける者とされてゆきましょう。

申命記8章3節に「主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけでなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためである。」と記されています。
2011年のわたしたちの歩みも、生きた神のみ言葉に聞き、そのとおりに行なう者とされていきたいものです。主は生きておられます。主は祈りつつみ言葉を聞き、行っていくあなたの道を守り、導き、祝福を与えてくださいます。主にあって信仰の確信を堅く持ち、またここから新たに歩み出してまいりましょう。
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