宣教 列王記下22章14~20節
先日ある方から聖書の時代に女性祭司はいたのですか?という質問を受けました。又、祈祷会でも女性預言者について身分保障があったのですかというような質問がありましたので、少し調べましたところ。旧約の古い時代より女性祭司は確かに存在していました。
それが後期ユダヤ教時代、さらに新約聖書時代になりますと祭司は男性に限定されるようになっていきました。一方、預言者はどうかといいますと、このフルダよりも前の時代デボラ(士師4・4)という女性預言者がいました。女性祭司は旧約時代に限定されていますが、新約聖書ルカ2章で「女性預言者アンナ」が登場していますように、女性預言者は女性祭司とは異なり旧新約時代を通じて存在し活動していたということがわかります。
又、祭司の職はその立場や身分が保障されるものですが、預言者は神の一方的な選びによって立てられたゆえに社会的地位などは祭司を兼ねた預言者やいわゆる宮廷お抱えの預言者でない限り特別な保障はなかったのでしょう。それどころか逆に真実に主の言葉を伝える預言者はイエスさまもおっしゃっていますように、その民から迫害され排斥される場合も多かったのです。
さて、ヨシヤ王が「この見つかった書の言葉について・・・・主の御旨を尋ねに行け」と祭司ヒルキヤらに命じたとき、彼らが宮廷のお抱え預言者や男性預言者にではなく、女性預言者フルダのもとにわざわざ行ったというのですね。これには恐らく、そこまで国内にいた宮廷のお抱えの預言者(神殿付属の職業的預言者)たちへの不信感があったのではないかと思われます。この当時、神の教えではなく、自らの保身のために教を説くようないわゆる偽預言者が多くいたようであります。それに対して今回登場する女性預言者のフルダは宮廷のお抱え預言者ではなく、何からも束縛されていなかったゆえに、彼女は神から受けた言葉をまっすぐに語る務めを忠実になしていたと思われます。彼女も又、「国の民」の一人ではないか、とも言われています。祭司ヒルキヤや「国の民」たちが、彼女のもとに「見つかった書の言葉について主の御旨を尋ねに行った」のはそういう理由からであったのでしょう。
神殿で見つかったみ言葉について、旧約の申命記の原型とも言われ、神とイスラエルの民との契約について記された律法の骨格となるものでした。そこには神の律法を守る者に与えられる祝福とともに、律法の教えを捨てる者への恐ろしい神の怒りも記されていたのです。ヨシヤは幼少の頃から「国の民」らによって宗教教育を受けてきました。が、それを文字をとった言葉、み言葉として目の当たりにし、読み聞かされた時、彼は胸を突かれたのです。「主への強い畏れ」の念に打ち砕かれたのであります。
ヨシヤは、み言葉をまっすぐに受けとめました。み言葉に捕えられた彼は、主に立ち帰る機会・時を逃しませんでした。この後23章以降、彼は王として出来る最大限の力を発揮して民全体を悔い改めへと導くのです。これが、後に語り伝えられる「ヨシヤ王の宗教改革」となるのであります。それはすべて、「み言葉の発見」が彼のうちに起こったことによります。彼がもし、見つかった書の言葉について、ああこれは先祖が犯したことなんだから先祖が悪い、自分には関係ないといって済ませていたとしたなら、又畏敬の念をもって主の御旨を尋ね求めることをしなかったなら、歴史上この重大な「み言葉の発見」も単なる形式的なものに終っていたことでしょう。彼の最大の務めは、主の御旨が何であるのかを把握することにあったのです。
主はそのようなヨシヤ王に、預言者フルダを通して次のように語られました。
18節「主の心を尋ねるためにあなたたちを遣わしたユダの王にこう言いなさい。あなたが聞いた言葉について、イスラエルの神、主はこう言われる。19節「わたしがこの所とその住民につき、それが荒れ果て呪われたものとなると言ったのを聞いて、あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた、と主は言われる」。
主は、ヨシヤが主に対して罪を犯したことに心を痛め、主の前にへりくだり、衣を裂き、主の前で泣いたことごとすべてを知っておられたということです。
今日のテーマは「み言葉の発見」です。
この神殿で見つかったみ言葉には神の怒りと呪いが含まれていました。が、そのみ言葉の根本は「神は民を知っておられる」というメッセージが込められていたのです。ヨシヤはこの神の御心をみ言葉から発見したのです。このことによってヨシヤ王と南ユダは再び主の御旨を知り、主に立ち返って生きることが赦されるのです。
この「み言葉の発見」は何もヨシヤ王や南ユダに限られたことではありません。
実は今や私たちもイエス・キリストによってヨシヤのように「み言葉の発見」を日々の生活の中で、又礼拝や祈祷会の中ですることができるのです。たとえば、独自に聖書に関する知識や聖書研究をすることは、み言葉を知り、学ぶために有効な助けになるでしょう。しかし、それがそのまま「み言葉の発見」になるものではありません。礼拝や祈祷会で分かち合い、祈られつつ、自分のこと、私たちのこととして聞いていく時に初めてそれが生きたみ言葉として響いてくるのです。ヨシヤ王がよいお手本です。彼は律法の書を単なる学習のため、あるいは評論的なものや、第三者的なものとして読んだのではなく、それを主が自分に語られたみ言葉として受けとったのです。それが「み言葉の発見」です。そこには広がりと豊かさがあります。主の言葉に真摯に向き合っていた人物として女預言者フルダもまた同様であったと言えましょう。彼女は、王や役人を怖れることなく、又自分の保身のためにでもなく、ただ主から預ったみ言葉をまっすぐに伝えたのです。その点で女預言者フルダもヨシヤ王も共に、本当に畏れ敬うべき方が、どなたであるのかをよくわきまえていた。彼らはその騒がしい罪の世の時代にあって、主をのみ畏れ敬いつつ、主を仰ぎ見て生きたのです。私どももそのようにみ言葉に誠実に生きる者でありたいものです。
先日ある方から聖書の時代に女性祭司はいたのですか?という質問を受けました。又、祈祷会でも女性預言者について身分保障があったのですかというような質問がありましたので、少し調べましたところ。旧約の古い時代より女性祭司は確かに存在していました。
それが後期ユダヤ教時代、さらに新約聖書時代になりますと祭司は男性に限定されるようになっていきました。一方、預言者はどうかといいますと、このフルダよりも前の時代デボラ(士師4・4)という女性預言者がいました。女性祭司は旧約時代に限定されていますが、新約聖書ルカ2章で「女性預言者アンナ」が登場していますように、女性預言者は女性祭司とは異なり旧新約時代を通じて存在し活動していたということがわかります。
又、祭司の職はその立場や身分が保障されるものですが、預言者は神の一方的な選びによって立てられたゆえに社会的地位などは祭司を兼ねた預言者やいわゆる宮廷お抱えの預言者でない限り特別な保障はなかったのでしょう。それどころか逆に真実に主の言葉を伝える預言者はイエスさまもおっしゃっていますように、その民から迫害され排斥される場合も多かったのです。
さて、ヨシヤ王が「この見つかった書の言葉について・・・・主の御旨を尋ねに行け」と祭司ヒルキヤらに命じたとき、彼らが宮廷のお抱え預言者や男性預言者にではなく、女性預言者フルダのもとにわざわざ行ったというのですね。これには恐らく、そこまで国内にいた宮廷のお抱えの預言者(神殿付属の職業的預言者)たちへの不信感があったのではないかと思われます。この当時、神の教えではなく、自らの保身のために教を説くようないわゆる偽預言者が多くいたようであります。それに対して今回登場する女性預言者のフルダは宮廷のお抱え預言者ではなく、何からも束縛されていなかったゆえに、彼女は神から受けた言葉をまっすぐに語る務めを忠実になしていたと思われます。彼女も又、「国の民」の一人ではないか、とも言われています。祭司ヒルキヤや「国の民」たちが、彼女のもとに「見つかった書の言葉について主の御旨を尋ねに行った」のはそういう理由からであったのでしょう。
神殿で見つかったみ言葉について、旧約の申命記の原型とも言われ、神とイスラエルの民との契約について記された律法の骨格となるものでした。そこには神の律法を守る者に与えられる祝福とともに、律法の教えを捨てる者への恐ろしい神の怒りも記されていたのです。ヨシヤは幼少の頃から「国の民」らによって宗教教育を受けてきました。が、それを文字をとった言葉、み言葉として目の当たりにし、読み聞かされた時、彼は胸を突かれたのです。「主への強い畏れ」の念に打ち砕かれたのであります。
ヨシヤは、み言葉をまっすぐに受けとめました。み言葉に捕えられた彼は、主に立ち帰る機会・時を逃しませんでした。この後23章以降、彼は王として出来る最大限の力を発揮して民全体を悔い改めへと導くのです。これが、後に語り伝えられる「ヨシヤ王の宗教改革」となるのであります。それはすべて、「み言葉の発見」が彼のうちに起こったことによります。彼がもし、見つかった書の言葉について、ああこれは先祖が犯したことなんだから先祖が悪い、自分には関係ないといって済ませていたとしたなら、又畏敬の念をもって主の御旨を尋ね求めることをしなかったなら、歴史上この重大な「み言葉の発見」も単なる形式的なものに終っていたことでしょう。彼の最大の務めは、主の御旨が何であるのかを把握することにあったのです。
主はそのようなヨシヤ王に、預言者フルダを通して次のように語られました。
18節「主の心を尋ねるためにあなたたちを遣わしたユダの王にこう言いなさい。あなたが聞いた言葉について、イスラエルの神、主はこう言われる。19節「わたしがこの所とその住民につき、それが荒れ果て呪われたものとなると言ったのを聞いて、あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた、と主は言われる」。
主は、ヨシヤが主に対して罪を犯したことに心を痛め、主の前にへりくだり、衣を裂き、主の前で泣いたことごとすべてを知っておられたということです。
今日のテーマは「み言葉の発見」です。
この神殿で見つかったみ言葉には神の怒りと呪いが含まれていました。が、そのみ言葉の根本は「神は民を知っておられる」というメッセージが込められていたのです。ヨシヤはこの神の御心をみ言葉から発見したのです。このことによってヨシヤ王と南ユダは再び主の御旨を知り、主に立ち返って生きることが赦されるのです。
この「み言葉の発見」は何もヨシヤ王や南ユダに限られたことではありません。
実は今や私たちもイエス・キリストによってヨシヤのように「み言葉の発見」を日々の生活の中で、又礼拝や祈祷会の中ですることができるのです。たとえば、独自に聖書に関する知識や聖書研究をすることは、み言葉を知り、学ぶために有効な助けになるでしょう。しかし、それがそのまま「み言葉の発見」になるものではありません。礼拝や祈祷会で分かち合い、祈られつつ、自分のこと、私たちのこととして聞いていく時に初めてそれが生きたみ言葉として響いてくるのです。ヨシヤ王がよいお手本です。彼は律法の書を単なる学習のため、あるいは評論的なものや、第三者的なものとして読んだのではなく、それを主が自分に語られたみ言葉として受けとったのです。それが「み言葉の発見」です。そこには広がりと豊かさがあります。主の言葉に真摯に向き合っていた人物として女預言者フルダもまた同様であったと言えましょう。彼女は、王や役人を怖れることなく、又自分の保身のためにでもなく、ただ主から預ったみ言葉をまっすぐに伝えたのです。その点で女預言者フルダもヨシヤ王も共に、本当に畏れ敬うべき方が、どなたであるのかをよくわきまえていた。彼らはその騒がしい罪の世の時代にあって、主をのみ畏れ敬いつつ、主を仰ぎ見て生きたのです。私どももそのようにみ言葉に誠実に生きる者でありたいものです。