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主イエスの復活

2011-05-01 07:32:58 | メッセージ
イースター宣教 マルコ16章1~8節   

「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。』(6節)
主イエスの復活・イースターおめでとうございます。死に打ち勝たれたイエスさまは、墓の中におられませんでした。主イエスはよみがえられ、生きておられるのです。

聖書は主イエスの復活の出来事が「朝ごく早い」夜明けに起こったと語ります。冬から春に向かう時期は、一日一日夜明けの時刻がだんだんと早くなってまいります。私たちの教会には早起きをされる方々が何人もおられますけども。夜明けの光景は自然の中でも、又都会の眠っている部屋でも経験しますように、それまで真暗だったその所が、いつの間にか明るくなってきて、やがて陽が臨み、光が射し込んでまいります。そして人口の電灯やあかりはもはや意味がなくなり不要になります。主イエスの復活はこのような夜明けに起こりました。暗い闇の中にいますと人は不安になり、怖れを持ちます。そこで電灯やあかりをつけて周囲を照らして不安や怖れを一時的にしのいでいこうとします。
私どもの人生にとって最大の闇といいますか、不安や怖れ、それは「死」ということでありしょう。怪我や病気もそうですが、まったく未知のものであるという点においては、「死」への不安や怖れを強く抱いて生きています。今日はその「死」に打ち勝ち、よみがえられた主イエスの復活の記事から思いを深めたいと願っております。

旧約の時代、安息日(礼拝の日)といえば、金曜日の日没から土曜日の日没でしたが。
キリスト教会では、このイースター以降日曜日に礼拝を捧げることになりました。それは、何よりも日曜日にイエスさまが主として死よりよみがえられ、死に勝利された記念日だからです。キリスト教会が日曜日に礼拝するということは、週の始まりにイエスさまを救い主としてお迎えし、このすべ治めておられる主を第一とし、その主の豊かな恵みに与って生きるということであります。それは世では決して得ることの出来ない魂の安息の日であります。

「復活の記事」はこのマルコの他にもマタイ、ルカ、ヨハネの福音書すべてに記載されており、すべてイエスが埋葬された墓を舞台にしています。又、主イエスの復活の知らせを聞いたのはイエスの弟子たちではなく、女性たちであったというのも共通しています。
他の福音書等とあわせて読めば、少なくとも6名以上の女性たちがイエスの埋葬された墓に行ったと考えられるそうです。
マルコ福音書では3人の女性が墓に向かいます。イエスが捕えられ処刑されるとき弟子たちは逃げましたが、この女性たちは遠くからイエスの最期を見守り続けた人たちです。
そしてイエスの遺体が埋葬された後も、ずっとその場所を見つめていたと記されています。この女性たちはある意味では弟子たちよりも強い意志をもって、イエスさまを慕い続けていたといえます。

週の初めの日曜日の夜明けに、3人の女性たちは「誰が墓の入り口をふさいでいる大きな石を転がしてくれるのだろうか」と話し合いながら、イエスの遺体が埋葬された墓に向かうのであります。ところが、その墓の入り口に着くと、「大きな石は既にわきへ転がしてあった」というのです。彼女たちはまずこの事実に大変驚いたことでしょう。
当時のお墓は、岩を掘った横穴に大きな円盤状の石を立て掛けるようにして蓋がされていました。女性たちは男数人がかりで石を転がし封印する様と、見張りの兵士が決してそれを開ける者がないよう番をしているのを見ていたからです。ともかく女性たちは墓の中に入り、イエスの遺体を捜そうとして目をこらすと、「白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、彼女たちはひどく驚いた」とあります。この若者がきていたとされる「白い長い衣」は、終末の聖なるみ使いや聖徒が象徴されているとも言われます。非常に大きな石がすでに転がされていた驚き、さらにそこにそのような出で立ちの見た事もない若者が座っていたというのですから。ひどく驚いたのも当然のことであったでしょう。

そして、この白い長い衣を着た若者が女性たちにこう言います。
6,7節、「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。
さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』」。

女性たちは、以前イエスさまが受難を受け、三日目によみがえると言われたことを聞いていましたが、それはただ不気味な言葉、謎のような言葉としてしか響いていなかったようです。そのことよりも、この女性たちにはこの世のものとも思えぬ若者の出現と埋葬された場所にイエスの遺体がないという事実を間の当たりにしたことへの衝撃があまりに大きく、「墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた」というのですね。彼女らはあまりのショックに若者から聞いたことを「誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである」と、このように聖書は記しています。

例えば他のマタイ福音書には、婦人たちは「恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった」(28:8)と記されているのですが。このマルコ福音書はこういった形で唐突に復活の記事が終っているのです。結びとして続きがありますが、これは後になって付け加えられた部分とされていますので、やはりマルコの記事は一応ここで終わっているんですね。

しかしそこに私は、この福音書を書いたマルコの記者としての誠実さを見る気がします。女性たちはイエスの受難と死、又イエスの遺体がどこかへ消えてしまったという現実を前に悲嘆にくれ、不思議な若者の言葉になす術もなく震え上がり、もはやこれらの事をどう理解したらよいのか分からなくなってしまったのです。マルコ福音書の記者はその現実を大事に扱い、人間の嘆き、又先の見えない不安や怖れをありのまま伝えているのです。

私はこれらの事を心に留め黙想する時、「震災で被災されている方々」のことが重なって見えてくるのです。想像もつかない恐ろしい出来事。家族や最愛の人を失われた方。いまだ行方不明であられる方。何とか捜索がなされせめて遺体であっても見つかって欲しいと切に願っておられる方がたがおられます。先が見えず悲嘆にくれる日々。私たちも又、主を信じ生きる者として、これらの出来事に対する疑問を内からも、外からも投げかけられます。「なぜ」「どうしてこのようなことが」という問いを前に、私たちもあの女性たちのように、成す術もなく、沈黙する他ありません。それが人の側の現実であります。もし人がそれに勝手な解釈を加えたりするなら、それはおごりと見なされるでしょう。ただ祈り、執り成すことだけが私たちの答え得るところです。

しかしその無力さの中で、私たちはあの天の声を聞くのであります。
『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、言われたとおり、そこでお目にかかれる』。辺境の地ガリラヤ、そこはかつて弟子たちが主イエスと出会われた場所であり、日常と人々の苦悩、人生の悲しみや喜びが交差する生活の場であります。差別や偏見、貧しさや隔たりの中で、一日一日を精一杯生きようとする人びとの住むところ。主イエスは弟子たちに「そこで会おう」と言われるのです。このみ使いである若者の言葉は今日登場する女性たちには理解しがたいものがあったことでしょう。しかし復活なさった主イエスはこの女性たちに先立って「ガリラヤへ行かれた」のであります。
若者はさらに「弟子たちとペトロ」と、あえてペトロを名指ししていますが。それはその時ぺトロが深い絶望の淵に陥っていたからです。イエスを3度も知らないと言い放って否定したふがいなさ、罪深さに自分を責め続けていたペトロに、「わたしたちのガリラヤで待っているよ」と伝言されたのです。それはこの女性たち、又ペトロにとっても、ガリラヤからそれぞれの新しい歩みがまた新たに始まることを表しているのです。

聖書は、イエスさまの遺体は墓になかったと伝えます。私たちは例外なくやがては死にゆくものです。けれども主イエスの十字架と復活を信じる者の魂は墓に葬り去られることはありません。やがては天の国において主と相見えるとの復活の希望が与えられているのです。そこで、主を信じてこの世を去った者はみな再び、相まみえるのです。主イエスが復活されたこのイースターは、主を信じる者にとって、死から復活する希望を戴いている約束の記念の日であることを心から感謝しつつ祝いましょう。
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