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教会設立73年 都会と下町とが交差する大阪のどまん中にある天王寺のキリスト教会 ぜひお立ち寄りください!

2015年元旦礼拝

2015-01-01 13:37:27 | メッセージ
宣教 「共に主イエスのもとに」マルコ2章3-5節 

新年あけましておめでとうございます。
主イエス・キリストのご生誕の聖歴2015年を心よりお慶び申し上げます。
この1年のはじまりの元旦に、私たちは生ける神、救いの主イエス・キリスト、すべての人間の罪を贖い復活の命を与えてくださる神さま、世界をすべおさめたもう神さまの御前において礼拝することができることは、何よりも大きな恵み、喜びであります。

皆さま、そして大阪教会にとって、今年も主に栄光を表していく1年となりますよう、主日礼拝と祈祷会を心から主に捧げてまいりたいと願うものです。そしてどうか、2015年の皆さまお一人おひとりの歩み、ご健康とお働きが主に守られ祝され、又すべての必要が満たされていきますように、お祈りいたします。また、入院中、療養中の方々のうえにも、神さまの御手が触れ、いやしと平安が与えられますよう、お祈りいたします。

2014年は「キリストの香りを放つ教会」という年間テーマを掲げてのあゆみでした。
皆さまにとっても、キリストの香りが放たれたお証しがきっとおありだと思いますが。
振り返りますと、そのキリストの香りは私たちの力でなされたものではなく、主が様々なかたちでお働きくださって、豊かに放たれたものであったということに、気づくことばかりでした。

一昨年の2013年11月に念願の新会堂が建った12月には新会堂で初めのクリスマスをお祝いしましたが。新会堂が建ったのだから多くの方々がどっと押し寄せてくるのではないだろうか、と予想していましたが、実際はというと、旧会堂の時とほとんど変わらいない人数でした。それから、さらに1年が経過した昨年のクリスマスの礼拝やキャンドルサービスも出席者はそう変っていませんでした。けれども、クリスマスゴスペルコンサートには大阪教会員やその関係者の2倍以上の新しい方々が集われましたよね。
こういう形で大阪教会に足を運ばれたという事が、大変意義深かったと、うれしくされました。ゴスペルコンサートの内容も素晴らしかったですが。こうしたコンサートという新しいプログラムには、普段の礼拝や特別伝道集会はちょっと躊躇される方、教会が初めてという方には集いやすく、今後もこうしたコンサートを計画し、教会もそのことで祈りを合わせ、準備をして、主にあって一つになれると素晴らしい、と思います。

それと、もう一つ昨年の大きな喜びは、1年間に礼拝に集われた新来会者が80名を超えたということであります。ゴスペルコンサートでの新来会者を加えると1年間で110名以上の新来会者となります。そこには他の教会のメンバーもおられましたし、ミッションスクールの学生たち、そしてまったく教会が初めてという方も多く集われましたが。その中には今も教会につながり続けている方々がおられるのは嬉しいことです。
新会堂建った当初はあまり派手に教会にどっと押し寄せるということもなく、変化がないように思えたのですが。昨年一年間、この新会堂で礼拝や祈祷会を地道に捧げる中で、振り返って気づかされたことは、主がこんなにも多くの新来者を私たちの教会に送ってくださっていたという恵みの事実であります。そういうことを思いますと、新会堂が建った1年目より2年目の方がさらに、主の恵みの御業を拝することが許されたということです。それは、私たちが地道に、主を礼拝し、祈りを合わせ、共に主と人々に仕えていくその中に、主は人を送り、又、私たちの必要をも備え満たしてくださる、ということであります。新会堂が建って3年目の今年は、きっと昨年以上の、主の御業を見ることができる出来事が起こる、と期待し、祈りつつ、歩んでいきたいと思います。

さて、私は1年が始まる最初の元旦礼拝で、大阪教会の年間聖書とテーマ案を明らかにさせていただいておりますが。今年の聖句は、先程読まれましたマルコ2章3~5節が示されました。この箇所から「共に主イエスのもとに」という年間テーマを掲げたいと思います。

私がこの聖書の箇所を読む度にうれしくされますのは、独りでどうしてよいか困り果てていた病人を、4人の人が「主イエスのところに連れて行き、お見せすれば何とかしてもらえるのではないか」との一心で、様々な障害物があるなか、主イエスのいるところの家の屋根まで担架で運び、その屋根を剥がして穴をあけて、病人の寝ていた担架をつり降ろしたのです。そこで、聖書は「イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪はゆるされる」と言うのです。
この4人の人たちの、主イエスへの期待と信望、そして独りの人の苦しみ、痛みを自らのものとして感じとり、表した態度を主イエスは「信仰」と言われるのです。そこには、「主にとりなす」ことの尊さ、素晴らしさが語られています。

私たちも、目には見えないですが、実に多くの方々からとりなされ、祈られることによって、この今があるといえます。牧師としての私の働きも、ほんとうに皆さまのお祈りによって支えられ、守られているということを昨年も強く感じることがあった1年で、まことに感謝でした。そして、何よりも、私たち一人ひとりのとりなし手は、主イエス・キリストご自身であり、十字架と復活の主イエスの霊によって私たちはとりなされ、今を生かされているということは大きな力であり、尊い恵みであります。
その恵みに感謝をもって主に礼拝を捧げていく今年1年としたいと願っています。
そして、私たち一人ひとりもまた、課題や困難な壁にぶち当たっている身近な方、友人や知人のことを思い、主にとりなすことができると、うれしいですよね。
今年度はこの「共に主イエスのもとに」とのテーマの下、あゆんでいきたいと願っております。主の恵みの御業に期待し、祈り合い、共に進んでまいりましょう。

お祈りいたします。
主よ、こうして新しい2015年を喜びをもって迎え、まずあなたを礼拝することできますことを感謝します。
主よ、新しい年もいつも、どんなときも、どこにいても、真の希望であるあなたを仰ぎ見ていくことができるようにして下さい。どうか、あなたが生きて働かれるお方であることを私たちにいつも示し、私たちがあなたに栄光を表すことができるようにしてください。
主よ、今年も福音を伝え、証しする私たちを病魔や災いから守り、身も心も魂もすこやかであらせてください。
どうか、今年も私たち一人ひとりのすべての必要を満たしてください。
私たちの家族や家庭のうえに、又仕事や生活の上に平安と祝福をお与えください。
また、私たちが生きる社会や世界のいたるところにおいて、いまだいのちと平和を脅かすような紛争や収奪が繰り返されています。世界には貧困や経済や政治的な事情で住み場を失い、難民生活を余儀なくされている人たちがいます。厳寒のもと身近なところにも野宿生活を余儀なくされている孤独な人たちがおります。主よ、どうか憐れみ、お助けください。
私たちにできることをなすことができますように、主よ、導いてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。

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