キャンドルライトサービス宣教 2024/12/24
メリークリスマス。神の御子、救イエス・キリストのご降誕を神に感謝いたします。
この時期は街並みがきらびやかなイルミネーションで彩られ、到るところでクリスマスムードいっぱいですが。あの通天閣もクリスマスカラーに着飾っています。この時間はてんしばでクリスマスイベントがにぎやかに行われています。それが何のお祝いなのか、たくさんの人に知っていただけたらと思います。そのてんしばの人が賑わう中、一つのブースにひっそりとキリスト降誕の光景が、羊飼い、博士たちと共に展示されてあるのを見つけ、うれしくなりました。この救いの喜びが聞こえて来るゴスペルの歌声を通して、知らされますように。そして今、諸教会でもたれているキリストのミサ、クリスマスが、全世界の救いと平和の祈りのメッセージとなりますように。
この時期は街並みがきらびやかなイルミネーションで彩られ、到るところでクリスマスムードいっぱいですが。あの通天閣もクリスマスカラーに着飾っています。この時間はてんしばでクリスマスイベントがにぎやかに行われています。それが何のお祝いなのか、たくさんの人に知っていただけたらと思います。そのてんしばの人が賑わう中、一つのブースにひっそりとキリスト降誕の光景が、羊飼い、博士たちと共に展示されてあるのを見つけ、うれしくなりました。この救いの喜びが聞こえて来るゴスペルの歌声を通して、知らされますように。そして今、諸教会でもたれているキリストのミサ、クリスマスが、全世界の救いと平和の祈りのメッセージとなりますように。
今日ここに招かれ、導かれた私たちは、このキャンドルサービスを通して、救い主に関する旧約聖書の預言、その預言の実現であります救い主、キリストご降誕の箇所を読み、救いの主を讃美しました。
イエス・キリストの誕生と救いが、ユダヤから始まって全世界にもたらされることが、歴史を導かれる主なる神さまによって予め計画され実現したのです。そして今日の時代においても、そのゴスペル、その良き知らせが、世界のいたるところにまで届き、神のみ救いの出来事があらゆる人たちに顕わされて、証しされ続けています。
この神の御子、キリストは「すべての人を照らすまことの光」としてこの世界に来られ、「肉(人)となって、わたしたちの間に宿られた。」これがクリスマスの大いなる恵みと喜びなのです。
さて、聖書には、救い主、イエスさまがお生まれになろうとしていた時、「宿屋には彼らの泊る場所がなかった。」とあります。
住民登録のためユダヤ以外の各地からエルサレムに上って来る人たちで町はごったがえし、どこの宿屋も満室でした。しかしこれは、単に宿泊所が不足しているという問題ではありません。神の救い、イエス・キリストが世に来てくださったというのに、お迎えする心が人びとになかった。そのことを表わしているのです。
住民登録のためユダヤ以外の各地からエルサレムに上って来る人たちで町はごったがえし、どこの宿屋も満室でした。しかしこれは、単に宿泊所が不足しているという問題ではありません。神の救い、イエス・キリストが世に来てくださったというのに、お迎えする心が人びとになかった。そのことを表わしているのです。
ヨハネ福音書にはクリスマスの降誕記事はありませんが、違った言い方でクリスマスのことを伝えています。
「その光は、まことの光で、世に来てすべての人照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。・・・言葉は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(ヨハネ1章9-11節。14節)
この「言」とは神の御子、キリストのことです。神はこの世界を言によって創造されたことが、聖書の一番始めに記されていますが。神は、肉をとった、つまり人となられた神の言、イエス・キリストをとおして、この世界を全く新しいものとされたのです。
ここに、「言であるキリストのうちに命があり、その「命は人間を照らす光であった。」と聖書にあるとおりです。このキリストの到来により世界の歴史はBC.ADと分けられていますように、キリストによって歴史は更新されたともいえます。問題はその歴史に臨まれたキリストの良き知らせ、福音を受け取れるかどうかです。
先ほどのヨハネ福音書には、「自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。」また、言であるキリストのうちに命があり、その「命は人間を照らす光であった。」とあります。神の救いが訪れても受け取れなかった。それは人の心が閉ざされていたためでした。
夜明けに真っ暗な部屋のカーテンを開けますと、朝の光が射し込んで、部屋を明るくしてくれます。しかし、カーテンを閉ざしっぱなしならいつまでも暗闇のままです。そのように、心のカーテンを開けなければ、キリストの命の光を受けることも、私たちのうちに神の愛と希望、その喜びと平安が満ち溢れることもないのです。
さて、クリスマスの良き知らせが最初に届けられた羊飼たちについてですが、彼らは定住地をもたず、住む家もなく、昼も夜も羊を飼うことを生業としていました。そのため安息日を守ることもできなかったのです。でも、その心は神の救いを切望し、待ち望んでいた人たちであったのです。その羊飼いに神の救いがまず伝えられたのです。又、救い主に最初に尊い贈物を贈り、礼拝したのが、神の祝福とは無縁であると見なされていた異邦人、東方の学者たちでした。彼らは神から贈られる新しい王、キリストの誕生が異邦人にとっての希望、救いとなることを確信し、待ち望んでいたのですね。
この羊飼いや異邦人には、神の祝福や救いはわからないだろう、それを受けるはずもない。そう思われていた人たちでした。
しかし不思議な事に羊飼いも、異邦人の学者たちが、生まれたばかりの赤ん坊、又幼子がキリスト、救い主であると信じることができました。それは、彼らが自らの心の王座に真理であり命であられるお方を探し求め続けていたからではないでしょうか。
ある讃美歌の中に、「み栄えとみ座を去り、世に来られたみ子、宿るべき部屋もなく、祝う人もなし、住みたまえイエスよ、わたしの心に。」という歌詞があります。肉をとって家畜小屋で生まれ、人の心を知る神のみ子が現れた時、羊飼いや異邦人はそこに希望の光を仰ぎ、イエス・キリストを心の王座に迎えることができたのです。そこに真の居場所があったからです。
最後に、東方の学者たちは宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を神のみ子なるイエス・キリストに献げた。」とあります。彼らは救いの主、キリストに自分たちが祈り考えぬいた最もよいものを献げました。私たちも東方の学者たちのように、神の祝福と救いに与る喜びを表せる人生を歩んでいきたいですね。
祈ります。
天の神さま。今日こうして御子イエス・キリストの降誕を祝い、捧げるクリスマスキャンドルサービスをそれぞれ招き、導いてくださった方々と共に持つことができましたことを感謝します。私たちは立派な会堂で礼拝をお捧げしていますが。御子キリストは、家畜小屋においてお生れになられました。それは、イエスさまがすべての人の真の居場所となってくださるためでした。
どうか、この地上の隅々にまでクリスマスの良き知らせが届けられますように、私たちの思いをひとつにしてください。又、このクリスマスの礼拝に与ったお一人お一人、それぞれの祈りや願いをもってこの場へ招かれました。どうかあなたの力強いみ手がお一人おひとりに臨み、お導きください。
このクリスマスから私たちは新しく歩み出します。わたしたちも苦闘している人の隣人となることができますように。全世界の救い主・イエス・キリストのご降誕を心から感謝して祈りします。ア―メン。
*本日の席上献金は、「日本聖書協会点字聖書作製部」「止揚学園・重度障がい者施設」「関西いのちの電話」「難民・移民なかまのいのち協働基金」「ホームレス支援釜崎キリスト教協友会」の5箇所へ全額お献げします。自由献金ですので、ご理解を頂けましたらお献げください。
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