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用意していますか?

2017-03-19 14:51:35 | メッセージ
宣教  マタイ25章1-13節 

この「十人のおとめ」のたとえ話は、通常、主イエスの来臨、又終末に如何に備えるかという事を示していると言われています。そしてそれは、花婿である主イエスが再びこの地上にお出でになるその時に、花嫁なる教会に呼び集められた私たちひとり一人が主イエスを如何にして迎えるか、という問いかけでもございます。
今日は「用意していますか?」という題で、この主イエスのたとえ話からメッセージを受け取っていきたいと思います。

さて、ここに「花婿が来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった」とあります。この「花婿の来るのが遅れた」というのは、主イエスの到来、終末がいつ来るのか。私たちにはそれがいったいいつになるのか分からない、ということを示しています。カルト教団の中には「何年何月何日に主の再臨がある」とお告げがあったから、すべてを教団にささげなさいとか、教祖という指導者の言うとおりにしないと滅びるとか脅して、信じ込んでしまった当人や家族に悲劇をもたらした、というようなことが実際世界各地に起っております。けれど主イエスさえ「その日その時がいつくるかわからない。唯父なる神だけがそれをご存じなのだ」とおっしゃっていますね。ましてや私たちにその日その時が分かるはずありません。唯はっきりしているのは「必ずその時は来る」という御言葉の宣言と約束であります。

花嫁なる教会は、その御声に聞き呼び集められたキリスト者の群れであり、やがて来られる主の日に備えて、ともし火をかかげ続ける一人ひとりによって聖霊のお働きのもと形づくられているのです。

そうした上で、今日のところは花嫁なる教会にあって主を迎えるものみなが、眠気がさして眠り込んでしまったというんですね。私たち人間はいつも緊張感をもって過ごすというのは大変難しく、困難なことでしょう。

主イエスが受難の十字架を前にして最後の祈りを捧げるべく、ゲッセマネの園に弟子のペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われて行かれたとき、イエスさまはその弟子たちに「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい」と言われて、少し離れたところにおられたのですが。彼らのところに戻って来ると、彼らは眠っていたのです。そこでイエスさまはペトロに「わずか一時でもわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い(マタイ26:35以降)」と、おっしゃいました。
「心は燃えても、肉体は弱い」。弟子たちはイエスさまのただならぬご様相やこれから何が起ろうとしているのかという不安もあったのかも知れません。ルカ福音書には「彼らは悲しみのあまり寝てしまった」と書かれています。人間、体が疲れると眠くなるものですが、気疲れや悩み悲しみがつのる時も眠くなるんですね。「目を覚ましていなさい」。そう聖書を通して再三語られ頭では分かっていても体は正直です。そういう限界をもっている、それが私たち人間であります。

今日のたとえには、花婿をちゃんとお迎えすることができた賢いおとめたちと、お迎えすることができなかったおとめたちが出てまいりますが。興味深いのは、そのどちら側のおとめたちも、思ったより花婿の到着が遅いので、「みな居眠りをしてしまった」ということです。賢いと言われたおとめたちも緊張感や頑張りだけでは身がもたなくなって遂には眠り込んでしまったというのは、どこかほっといたしますけれども。
まあそうしてみな寝入ってしまったわけです。
ところが、花婿が突然真夜中、遂にやって来た。とうとうその日その時が現実のものとなった。その時に、「賢いおとめは皆起きて、それぞれのともし火を整え」、花婿を出迎えて一緒に婚宴の席に入り、祝宴にあずかります。
しかし、一方、慌てふためき右往左往してしまった愚かなおとめたちは、なんとも残念なことに、その喜びの祝宴にあずかることができないのです。

この違いは何でしょうか? 
その違いは唯一つ、ともし火を灯し続けるための「油」を十分に壺に入れて持っていたおとめたちは賢かった。遅れて花婿が来ても対応できるようにと備えを怠らなかった。一方のおとめたちは、十分に油を常備してなかった。すべての条件は同じで用意しようとすればできたのに、それをしなかったことにおいて、彼女らは愚かでであった、とイエスさまはおっしゃるのです。そこに両者のおとめたちの決定的な違いがあったのです。
絶やさずにともし火を灯し続け、いざという時にそれをかかげ周りを照らしたり、ほんとうの花婿の主イエスであるかを確認するためには、欠かすことのできない油を常に切らすことがないようにすることが必要なのですね。

では、この油とは何でしょうか? いろんなことが言われていますけれども。
それは聖霊の油とか、あるいは信仰の油だとか。いろんな解釈があるでしょう。
みなさんは何だと思われますか?イエスさまはその答えとなることは何もおっしゃっていません。しかし、ここに一つだけそのヒントとなることが語られています。
それは、この油がその人それぞれのものであり、それは人に分けてあげたりすることはできないものだということです。
8節のところで「愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです』と言うと、賢いおとめたちは『分けてあげるほどありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい』と答えた」とあります。ここを読みますと、賢い5人のおとめたちの答えは一見冷淡にさえ思えます。「クリスチャンであるならちょっと分けてあげたらいいのに、それが隣人愛じゃないか」という考え方もあるでしょう。
しかしここで語られていることは人の情や親切といった道徳ではなく、神との一対一の確かな関係性なのです。この油は、他の人には代用できない神との関係性のなかで保たれる油です。神と私という一対一の関係によって与えられる油ですから、ほかの人に分けてあげることはできません。分けようがないんです。
10人のおとめはみな同じように灯をもっていました。しかも同じ場所で、同じ時間にそこにいたのです。ただ、ともし火をともす油を絶やさなかったか、気づいた時には手遅れとなるほど油が欠乏していたか、この違いが決定的なものとなったのです。それは外から見ただけは分かりません。本人さえ分からないのかも知れません。遂に花婿が来たという声を聞き、「あっ、これでは油が足りない」と気づくまで。

さて、このたとえ話の中で、花婿が遅れて到着した。しかしそれは真夜中であったというのは考えさせられます。10人のおとめたちにとっては、今か今かという期待がやがて、もうおいで下さってもいいのではという焦りに変わり、夜の冷え込みとともに闇が深まっていく中で不安や疲れ増して、ついには寝入ってしまうのです。

ここで覚えたいのは、主を待ち望む教会も私たち信徒ひとり一人も、その時代その「時代に起って来るさまざまな苦難や闇とも思える状況、又困難な問題に直面し、揺さぶられ、試みられるということです。しかし、そういうような状況の中にあっても、なお賢いおとめたちは活きた信仰という壺に油を絶やさなかった。一方、ともし火は持っていたものの、壺に油を常備していなかったおとめたちは愚かな結末となってしまったということであります。

それにしても、油が足りないことに気づいたおとめたちは、分けてもらうわけにもいかず随分焦りながら、一応油を買いに行くのですが。戻ったときにはもう花婿が到着していて戸が閉められており、「ご主人様開けて下さい」と言ったけども、「わたしはおまえたちのことを知らない」と言われた。これはあまりに衝撃的で悲しい結末のようにも思えます。でも、これはあくまでも、主の日の約束に備えてのたとえ話であるということですから。そこで私たちはこのたとえから今を如何に生きるかということを具体的に読み取って活かしていきたいものです。

私は今回、この10人のおとめのたとえ話から、ともし火をともす「油」の備えというのは、今年度の大阪教会にとっては「祈り」であると思いました。年間標語に掲げています「祈りの教会」の私たちひとり一人の祈りだと、そう思ったのです。

私たちもまたしんどい時には眠気をおぼえるような弱い時もあるかも知れませんけれども。日々祈り続けることは出来るのではないでしょうか。主イエスの御もとに座してその救いと神への感謝の祈りを捧げる目覚めの時。主の愛を思い起こし、隣人のため執り成し祈る夕べの時。神の国と神の議を求めて祈る。それらの祈りは神との活きた対話の時であり、今日主が語っておられる「ともし火を灯し続けるための油の備えときっとなっていきます。
 先週の祈祷会でも、教会に来ることの出来ない方のところへご訪問くださっている方が、「信仰は個人的なもの(神さまとの一対一の関係)であって、人が代わりようのないものだけれど、教会はその私たちひとり一人の信仰のサポーターだと思います」とおっしゃったのですが。ほんとうにそうですね。祈られていること、又主にある兄弟姉妹としての関わりはどんなにか大きな支えであり励ましであるでしょう。
又、その日の夕方の祈祷会である方が、「自分はいろんな宗教といわれる施設にも行きましたが、キリスト教会とそこに集まっている人は、いわゆる家内安全というような祈り、自分のための祈りだけでなく、人のために祈るんですね」と、言われていましたが。その背後には聖書の救い主イエス・キリストの愛と祈りが今も活き活きと生き、信じる私たちのうちに働いておられるんですよね。
互いにおぼえ合い、祈り合っていくことで、油を携えていたおとめたちと同様、ここに集うだれもが花婿なる主イエスを迎えるためのともし火を、絶えずかかげ続けることができれば何と幸いなことでしょう。

「日々ともし火を灯す油の用意をする」ということで、最後に、以前にもいたしましたお話をして宣教を閉じます。
私どもの教会で3日のうちに2名の方が天に召され葬儀が続いたことがありました。
お一人は90歳の男性で求道者でしたが、病のため昏睡状態になりながらも不思議に意識を戻され、その与えられたチャンスの中で、主イエスを信じる信仰告白をされ病床受洗なさり、その後10日間ご自宅でご家族と過ごされて天に召されました。
その二人目の方は、まだ当時52歳でしたが。いくつかの病気を抱えておられ独り暮しでした。彼は悩みと病のために死ぬばかりでありましたが、教会を訪ねて来られ、主イエスの福音に触れ、バプテスマに与り、教会の奉仕とクリスチャンとの出会いや関わりを恵みとしておられました。随分と病も重くとうとう独り静かに息を引き取られたのです。その知らせを聞いたのが、先に天に召された方の葬儀が終わり火葬場から帰宅したばかりの時で、私は大変ショックを受け、頭の中が真っ白になりました。しかしこの方を通して神さまは幾つかの奇跡ともいえる出来事を見せてくださったのです。
一つは、訪問ヘルパーさんが彼のことを私に知らせに来てくれたことです。もし、それがなければ全く連絡がとれないまま一体彼の身に何が起こったか、もはや知るよしもなかったでしょう。話を聞いて分かったのは、実はこの訪問ヘルパーさんが、生前彼から「自分はクリスチャンで大阪教会に通っている」ということを常に聞かされていたそうなのです。彼は日頃から証しすることで、信じて救われたキリストの教会で兄弟姉妹に見送られ祈りとさんびの中、天国に帰ることが出来ました。
二つ目は、彼が天に召される数日前の水曜祈祷会に、2年近く大阪教会に来られていなかったある姉妹が突然いらっしゃったそのことです。姉妹はその兄弟と仲が良く、時々家族ぐるみでお食事をしたり交流があったのですが。その兄弟からいつも大阪教会に来るようにいわれていたようです。けれどそれがなかなか出来なかったんですね。ところが、その日の水曜日に何か不思議と教会に行こうという思いが起こったそうです。そしてそれが姉妹にとっては彼との最後の貴重な時間となりました。その祈祷会後バザーの残ったお弁当が丁度人数分あったのでみんなで頂き、それが彼との最後の晩餐となったのです。姉妹は、これはきっと神さまがお働きになってひきあわせてくださった事と、私にそう話されました。。姉妹はその故人の遺志を受け継ぐように教会の礼拝に再び出席されるようになりました。
三つ目は、彼のお母さんと連絡が不思議にもついて私と連れ合いがお母さんの家を訪問した時のことです。お母さんは重い病気を抱えていて、お友達がいつもお世話をしておられたのですが。「お話はありがたいですけど、福祉の方にお葬儀は全部お願いしていますので、お断りします」といわれたのです。福祉の葬儀は仏式で行うということです。意志は固く3度も「せっかくですがお断りします」といわれました。実は私たちが来る前に既にお二人で申し合わせて堅く決めておられたそうなのですが。それでも彼のことを思うとあきらめきれず、「お母さん。息子さんはクリスチャンとなって教会の礼拝や祈祷会に毎週こられ奉仕されていました。そこでいつもお母さんのご病気がいやされるようにと祈っておられました。その信じるところに沿うかたちのキリスト教のお葬儀で送ってあげることを、ご本人もきっと望んでおられるのではないでしょうか」と、そういう言葉が私の口から自然に出たのです。
するとお母さんのお隣にいらしたお友達の方が、お母さんに向かって、「私の思いを言っていいかなあ。私だったら息子が一番願っていることをしてあげたいと思う。お話を聞いて初めて、息子さんが教会によく通い、奉仕をされているその様子が私には分かりました」といわれたのです。そうするとお母さんが、「そうやね、それならぜひ息子のお葬儀をお願いします」とおっしゃったんですね。私たち夫婦は兄弟が亡くなられてから、どうか神さまあなたの御手と導きがありますようにと祈ってたのですが。まさに、その時、私は神の手が動いたと感じました。教会の祈りは主に聞かれていたのです。

私は主に救われた喜びをもって日々証しする者として生きているだろうか。感謝と祈りの日々を生きているだろうか。
今日のたとえ話の「賢いおとめたちが、ともし火をともす『油』の備えを怠らず」主と共によろこびにあふれて婚宴の席に入っていくその姿を思い描きつつ、今週もここから主に遣わされてまいりましょう。
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