「闇の職安」だとか「学校裏サイト」だとか「自殺サイト」だとか、今日もブログで知り合った女児を誘拐したとして二十歳の男性が逮捕されましたというニュースがありました。
このような事件が起こる度にマスコミや有識者と言われる人達が「発信手の規制」という方向に対策を求めようとすることにオヤジは若干違和感を覚えます。
勿論、発信手も含めてですが、一番の問題は使い方が適切で無いこと、そして使い方のリスクを理解していない人が安易に利用してしまうことに問題が起きる要因があると思います。
だから「規制」という議論が出てくるのですが、発信側の規制と同時に、またそれ以上に求められるべきは利用側のリテラシーの向上ではないでしょうか。
「規制」すればするほど「裏」がはびこります。
理想論かもしれませんが、あるべきはオープンな中で利用する人が自律的な判断で適切に利用できる能力を身に着け、ネットの利便性を確かに享受するということではないでしょうか。
このような事件が起こる度にマスコミや有識者と言われる人達が「発信手の規制」という方向に対策を求めようとすることにオヤジは若干違和感を覚えます。
勿論、発信手も含めてですが、一番の問題は使い方が適切で無いこと、そして使い方のリスクを理解していない人が安易に利用してしまうことに問題が起きる要因があると思います。
だから「規制」という議論が出てくるのですが、発信側の規制と同時に、またそれ以上に求められるべきは利用側のリテラシーの向上ではないでしょうか。
「規制」すればするほど「裏」がはびこります。
理想論かもしれませんが、あるべきはオープンな中で利用する人が自律的な判断で適切に利用できる能力を身に着け、ネットの利便性を確かに享受するということではないでしょうか。