KYというと「空気が読めない」の略だそうですが、オヤジにとっては職場安全の用語としての「危険予知」の方が馴染みがあります。
空気が読めないことと、危険予知とは何も関係はありません。
でも、空気が読めない人はきっと危険予知能力も劣っていそうです。
要するに「感性が鈍い」ということでしょう。
路地から平気で飛び出してくる自転車、歩道を横一線に拡がって歩く集団、歩道で子供を車道側に歩かせている親・・・居ませんか。今日、ちょっと自転車で街を走っていただけでオヤジが目にした光景です。
これらも空気が読めていない、どんな危険が潜んでいるか気付いていないのです。
仲間うちで空気が読めている読めていないと揶揄しているうちはまだ笑い事で済みますが、社会の中で空気が読めていないと取り返しのつかない痛い目に会うことも十分にありえます。
危険予知もまた同じ。
安全は、決して誰も保証はてくれません。日本は治安が良い、安全だというのは過去の話であり、また相対的なものです。
社会の中に潜む危険を常に予知し、先回りして用心していかなければなりません。自分の身を守るのは自分でしかないのです。
それでも今日の茨城での事件のように突然降りかかる災難もあります。
犠牲となられた方のご冥福をお祈りします。合掌。
空気が読めないことと、危険予知とは何も関係はありません。
でも、空気が読めない人はきっと危険予知能力も劣っていそうです。
要するに「感性が鈍い」ということでしょう。
路地から平気で飛び出してくる自転車、歩道を横一線に拡がって歩く集団、歩道で子供を車道側に歩かせている親・・・居ませんか。今日、ちょっと自転車で街を走っていただけでオヤジが目にした光景です。
これらも空気が読めていない、どんな危険が潜んでいるか気付いていないのです。
仲間うちで空気が読めている読めていないと揶揄しているうちはまだ笑い事で済みますが、社会の中で空気が読めていないと取り返しのつかない痛い目に会うことも十分にありえます。
危険予知もまた同じ。
安全は、決して誰も保証はてくれません。日本は治安が良い、安全だというのは過去の話であり、また相対的なものです。
社会の中に潜む危険を常に予知し、先回りして用心していかなければなりません。自分の身を守るのは自分でしかないのです。
それでも今日の茨城での事件のように突然降りかかる災難もあります。
犠牲となられた方のご冥福をお祈りします。合掌。
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