小学校の頃、林間合宿の余興で当時のPTA評価ワーストNO.1番組だった超人気番組「8時だよ、全員集合!」のマネをしたオヤジたちと、別のグループが素朴な寸劇で出てくるべき太陽の絵が出てこなかった手違いに思わずグループメンバーの1人から出た「お日様が出てきませんね。。。」の一言に会場が沸いたことを題材に、当時の担任の先生がユーモアについて論じられたことを妙に記憶しています。
要するにドリフはユーモアではない、品の無いギャグだと言いたかったのだと思います。もう30年以上前のことなので思い違いもあるかもしれませんけど、30年前は確かにギャグは市民権を必ずしも得ていなかったと思います。
しかし、今やギャグも真っ青な単なるバカ騒ぎが公然と「芸」として闊歩しています。
「×××の神様」とか「△△△カーペット」に出てくる「芸人」の半分は、ただのバカ騒ぎにしか見えません。
テレビの方で笑い声を出してくれてますが、画面のこちら側では何がおもしろいのか・・・オヤジは画面を見ながら醒めたままです。
それはオヤジが年寄りで若い感覚が理解できないからなのかもしれませんが、残り半分は間違いなく面白いし、「芸」だと共感できものがあるからこそ、強い疑問を持ってしまうのです。
案の定、面白いと感じる半分の芸人さんたちは長年、何回も登場しているのに、その手の「芸人」は一時話題になっても時間と共に消え去って忘れ去られていきます。
と考えると、あの手の番組はテレビ局がこれから使える芸人は誰だという選別をしているんだと、結局自らを正当化して今日も何となく視てしまってます。
「ああ、コイツも夏には消えてるな・・・」
要するにドリフはユーモアではない、品の無いギャグだと言いたかったのだと思います。もう30年以上前のことなので思い違いもあるかもしれませんけど、30年前は確かにギャグは市民権を必ずしも得ていなかったと思います。
しかし、今やギャグも真っ青な単なるバカ騒ぎが公然と「芸」として闊歩しています。
「×××の神様」とか「△△△カーペット」に出てくる「芸人」の半分は、ただのバカ騒ぎにしか見えません。
テレビの方で笑い声を出してくれてますが、画面のこちら側では何がおもしろいのか・・・オヤジは画面を見ながら醒めたままです。
それはオヤジが年寄りで若い感覚が理解できないからなのかもしれませんが、残り半分は間違いなく面白いし、「芸」だと共感できものがあるからこそ、強い疑問を持ってしまうのです。
案の定、面白いと感じる半分の芸人さんたちは長年、何回も登場しているのに、その手の「芸人」は一時話題になっても時間と共に消え去って忘れ去られていきます。
と考えると、あの手の番組はテレビ局がこれから使える芸人は誰だという選別をしているんだと、結局自らを正当化して今日も何となく視てしまってます。
「ああ、コイツも夏には消えてるな・・・」
