裁判員制度のスタートまであと一年だそうです。
街頭で通りすがりの人に問えば、あと1年ということに驚いたり、自分が裁判員をやることを想像できないと首を振ったり、突然「死刑判決」を出せるかと訊かれて平然と「出します」なんて言えちゃう方がいたらむしろビックリしちゃいます。
要するにいきなり問うた人から出される答えは見えているのに、それを大真面目に国民の切なる声だと言わんばかりに報道する側の恣意的な意図こそ、オヤジには恐ろしい。
そんな中で時期尚早だとか、仕事があるから勘弁してくれといった答えもある。人それぞれ事情があることでしょうが、日本人はいわゆる「公民」意識をもうちょっとしっかりと持つべきではないかと思います。
仕事ができるのも、生活ができるのも、全て社会という基盤があるからで、その基盤の維持向上のために自分がどういった貢献をするのかはとても大切なことです。
近年そういった意識が乏しくなり、社会に支えてもらうことばかりを要求するようになりつつあります。これでは社会は間違いなく疲弊し、まともに機能しなくなり、結局は自分達の仕事ができない、生活がしにくい因果応報となるに違いありません。
確かに死刑についてはもっと議論を詰めていく必要があるんでしょう。
それでも、人を裁き、死刑以外の実刑についても禁固刑となれば人の限られた人生の生き方の自由を奪うのですから、裁く人が裁かれる人の何かを奪うという視点からは、死刑判決と同じように議論しても決しておかしくもなんともない。
でも、そういった議論はあまり出てこないようです。
裁判員制度のスタートに向けて、まだまだやるべきことが多く残されているんじゃないのかなと思います。
街頭で通りすがりの人に問えば、あと1年ということに驚いたり、自分が裁判員をやることを想像できないと首を振ったり、突然「死刑判決」を出せるかと訊かれて平然と「出します」なんて言えちゃう方がいたらむしろビックリしちゃいます。
要するにいきなり問うた人から出される答えは見えているのに、それを大真面目に国民の切なる声だと言わんばかりに報道する側の恣意的な意図こそ、オヤジには恐ろしい。
そんな中で時期尚早だとか、仕事があるから勘弁してくれといった答えもある。人それぞれ事情があることでしょうが、日本人はいわゆる「公民」意識をもうちょっとしっかりと持つべきではないかと思います。
仕事ができるのも、生活ができるのも、全て社会という基盤があるからで、その基盤の維持向上のために自分がどういった貢献をするのかはとても大切なことです。
近年そういった意識が乏しくなり、社会に支えてもらうことばかりを要求するようになりつつあります。これでは社会は間違いなく疲弊し、まともに機能しなくなり、結局は自分達の仕事ができない、生活がしにくい因果応報となるに違いありません。
確かに死刑についてはもっと議論を詰めていく必要があるんでしょう。
それでも、人を裁き、死刑以外の実刑についても禁固刑となれば人の限られた人生の生き方の自由を奪うのですから、裁く人が裁かれる人の何かを奪うという視点からは、死刑判決と同じように議論しても決しておかしくもなんともない。
でも、そういった議論はあまり出てこないようです。
裁判員制度のスタートに向けて、まだまだやるべきことが多く残されているんじゃないのかなと思います。