<JR不採用問題決着へ 国労と国が和解方針>
日本経済新聞 http://www.nikkei.com/ 2010年4月9日
1987年の国鉄分割・民営化に伴う国労組合員らのJR不採用問題で、与党3党と公明党は9日、係争中の910世帯に平均約2200万円を支払う和解案を国労側に提示した。国労側はすべての訴訟を取り下げて和解に応じる方針を表明。前原誠司国土交通相も政府として受け入れる意向を明らかにし、23年にわたる紛争は政治決着する。
提示を受けた国労側は中央執行委員会を開き、和解案を受け入れることを決めた。来週中に文書で受諾の意思を4党側に伝える。4月中に開く臨時の全国大会で和解案の内容を組合員に報告。6月をめどに係争中の訴訟をすべて取り下げる。
高橋伸二・中央執行委員長は同日の記者会見で「政府案をよりどころに新たな人生を歩き始めることができる」などと述べた。
一方、前原国交相も同日午後、「多年にわたる争いが終結するのであれば喜ばしい。解決案に沿って最終解決を図る」などとする談話を発表した。
和解案によると、個人に支払う和解金は昨年3月、東京高裁が損害賠償の支払いを命じた「1人あたり約550万円」に延滞利息と訴訟費用を加えた額。ほかに原告らの生活を支援してきた団体などに約58億円を支払う。
さらに、200人程度を再雇用するよう、政府がJR各社に協力要請することも明記したが、「努力するが、人数などが希望通り採用されることは保証できない」との文言も盛り込まれた。
再雇用については、JR各社が難色を示しており、JR東日本の清野智社長は6日の定例会見で「まったく交渉の余地はない」と否定。JR西日本の佐々木隆之社長も「JRに法的責任はないとする最高裁判決が確定している」などと否定的な立場を崩していない。
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国鉄の民営化から23年になるんですね。
そして、その昔のしがらみが厳然と存在すること、改めて認識させられました。
改めて国鉄の末期の10年は、とても運輸サービス業と言える状態ではありませんでした。
労働組合は職員の生活を守ることから大きく逸脱して、階級闘争の場と化していました。
とにかく潰れることなど念頭にない国営鉄道でしたから、そもそもの生業とは違うことに一生懸命でした。
無論、そう言いながら一生懸命生業に励んでいた方々も多くいて、鉄道は動いていました。
まだ中学生、高校生だったオヤジは、春になると鉄道のストで学校が休みになることを無邪気に喜んでいたように記憶しています。
今のJR各社からはとても考えられないことです。
この23年で不採用だった人たちは、どんな変化があったのでしょう。
今さら階級闘争ではないと思うのですが、民間会社となったJRにとっても今さらと言いたくなるのもムリはありません。
日本経済新聞 http://www.nikkei.com/ 2010年4月9日
1987年の国鉄分割・民営化に伴う国労組合員らのJR不採用問題で、与党3党と公明党は9日、係争中の910世帯に平均約2200万円を支払う和解案を国労側に提示した。国労側はすべての訴訟を取り下げて和解に応じる方針を表明。前原誠司国土交通相も政府として受け入れる意向を明らかにし、23年にわたる紛争は政治決着する。
提示を受けた国労側は中央執行委員会を開き、和解案を受け入れることを決めた。来週中に文書で受諾の意思を4党側に伝える。4月中に開く臨時の全国大会で和解案の内容を組合員に報告。6月をめどに係争中の訴訟をすべて取り下げる。
高橋伸二・中央執行委員長は同日の記者会見で「政府案をよりどころに新たな人生を歩き始めることができる」などと述べた。
一方、前原国交相も同日午後、「多年にわたる争いが終結するのであれば喜ばしい。解決案に沿って最終解決を図る」などとする談話を発表した。
和解案によると、個人に支払う和解金は昨年3月、東京高裁が損害賠償の支払いを命じた「1人あたり約550万円」に延滞利息と訴訟費用を加えた額。ほかに原告らの生活を支援してきた団体などに約58億円を支払う。
さらに、200人程度を再雇用するよう、政府がJR各社に協力要請することも明記したが、「努力するが、人数などが希望通り採用されることは保証できない」との文言も盛り込まれた。
再雇用については、JR各社が難色を示しており、JR東日本の清野智社長は6日の定例会見で「まったく交渉の余地はない」と否定。JR西日本の佐々木隆之社長も「JRに法的責任はないとする最高裁判決が確定している」などと否定的な立場を崩していない。
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国鉄の民営化から23年になるんですね。
そして、その昔のしがらみが厳然と存在すること、改めて認識させられました。
改めて国鉄の末期の10年は、とても運輸サービス業と言える状態ではありませんでした。
労働組合は職員の生活を守ることから大きく逸脱して、階級闘争の場と化していました。
とにかく潰れることなど念頭にない国営鉄道でしたから、そもそもの生業とは違うことに一生懸命でした。
無論、そう言いながら一生懸命生業に励んでいた方々も多くいて、鉄道は動いていました。
まだ中学生、高校生だったオヤジは、春になると鉄道のストで学校が休みになることを無邪気に喜んでいたように記憶しています。
今のJR各社からはとても考えられないことです。
この23年で不採用だった人たちは、どんな変化があったのでしょう。
今さら階級闘争ではないと思うのですが、民間会社となったJRにとっても今さらと言いたくなるのもムリはありません。
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