今日のひとネタ

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インターネットがメディアの主役

2005年03月27日 | 日記・雑記・ただの戯言
 「そうなります」と言われれば、将来的にそうなるであろうことには同意せざるを得ません。が、ほりえもんにそう言われるとなんかすんなり受け入れられないんですよね。ただ、彼のせいだけじゃなくていろいろと問題はあります。私なんぞは12年前にパソコン通信でネットデビューし、「いつかはきっと楽しいネット社会に」なんて思ってたのが、今も期待を裏切られ続けてますから。

 私が考えるポイントは4つあります。「業者側の技術、設備の問題」「ユーザー側の技術、設備の問題」「ネット社会のモラル、ルール」「お茶の間におけるパソコンの位置付け」など。

 業者側の設備については、回線速度は相当上がってきました。その点はいいのですが、例えば@niftyのココログなんかもサービスに入れないことがちょくちょくありました。最近はかなりマシになりましたが、それでも時間帯によってはまともに表示されないことも多いです。それ以外でも@niftyのMHPにしてもOKWebにしても、ちょっとアクセスが増えるとすぐに表示されなくなったりするので、まだまだかなぁと。

 その程度のトラブルは想定内だから辛抱せいと言われればそれまでですが、例えば自分が心臓血管外科医だったとして、何回かに1回は必ず手術中にストップしてしまう機械があったとしたらそんなもなぁ使いたくありません。あるいは、高速道路で時々止まってしまう車とかもヤですし。

 ユーザー側の技術、設備についても言い出したらキリがありません。業者側の回線速度が速くなったとはいえ、結局は「ベストエフォート」の一言で言いくるめられてしまってます。我が家はADSL24Mの契約なのですが、実際の速度は下りで1.2Mくらい。世の中にはまだまだISDNの家庭も多いでしょうし、PHSカードで通信してる人は128Kですか? 速度だけでも差が大きすぎます。

 さらに、安くなったとはいえパソコンを最新機種に次々買い換えるのも無理。「インターネットやるだけなら、パソコンは古い機種でも充分」なんてつい数年前まで言われてましたが、私自身が昔「IE4以上で見ろ」とかいうページに入れなかった経験がありました。(5年前までIE3だったので)。んで、OSのバージョンアップしようとしたら機械がついていかなかったり。結局プロバイダから提供される最新のサービスをフルに活用しようと思ったら、マシンのスペックを上げていかねばなりません。

 それと、「固まらないパソコンはない」というところも印象悪いです。我が家のPCはあまり無茶をしないので比較的固まらないのですが、それでも毎日使えば週に何回かは固まります。「マックにすりゃいいのに」と言う声もありそうですが、たかがパソコンが固まって困るというだけの理由でPCまで買い替えにゃならん事自体許せんと。(無茶しない=動画やゲーム関係で酷使しない、という事で)

 また、技術的な問題という以前に、友人にメール書いたが返事が来ないという場合は、「ウイルスにパソコンやられて起動しない」「故障したので修理に出してる」「調子悪くて起動にやたらと時間がかかるから使ってない」「パソコンはあるけど引っ越してからネットに繋がってない」「携帯のメールは見るけどPCのメールはたまにしか見ない」「メールソフトの設定がわからない」「寒いのでパソコンの置いてある部屋に行かなかった」など、いろいろあります。今の世の中でも、自分でPC買ってきてプロバイダと契約して、ネット接続からメールソフトの設定まで一人でなんの滞りもなく出来る人の方が少数派ではないでしょうか。

 で、私をインターネット嫌いにさせてる一番の原因がモラルとルールの問題。もちろん2ちゃんねるをはじめとする匿名掲示板の存在が大きいですが、それにプラスしてウイルスメールや出会い系サイトのメールにもうんざり。さらにはネットオークションで騙されたり。人間のずるい部分、卑しい部分のすべてが見られるという意味では勉強になるのかもしれませんが、メリットよりはデメリットの方がはるかに大きいです。ネットが社会に普及していく過程ではそういう事態も想定内という事かもしれませんが、そういう社会になるならネットなんぞ普及しなくて結構。

 知り合いには「ネットの掲示板に書く勇気がない」という人がいます。「匿名なのになぜ?」と思うのですが、そこはいくら説得してもダメなようです。ただ、匿名だからといって公序良俗に反する書き込みを平気で出来る人よりは人として信用できます。なので、ネット社会に抵抗なく入っていける人がすべて素晴らしいわけではありません。ネットで発せられている声は、あくまでもネットに接続できるの人の中で、なおかつネットで声を発することができる人の声だけであるということは肝に銘じておく必要があります。

 最後に「お茶の間におけるパソコンの位置付け」という問題ですが、これが一番大きいかもしれません。仕事から帰って、嫁さんの話を適当に聞き流しながらテレビのナイター中継に熱中してしまうというおぢさんは許されてると思いますが、これがネットオークションだったりチャットだったりしたら許されないのが現状だと思います。

 あるいは、友達が家に集まって一緒にTVのサッカー中継に熱中するということは普通でしょうが、これもパソコンでは無理。せいぜい可能なのはゲームくらいでしょうか? 別にゲームはテレビでも出来ますし、そもそも折角友達が集まってもテレビゲームしかしないようでは人生終わってます。

 そもそも「お茶の間にパソコンがある」という家庭は、どれくらいの割合なのでしょう? 我が家では1992年に初めてパソコンを買いましたが、リビングに置いてもらえるようになったのは1996年から。それも、妻と子供が実家に帰ってる間にニューマシンを買ってきて無理やり置いてしまった、という状況でした。まぁ、パソコンをバリバリ使ってる人は「どうせ一人暮らしだから」という人が多そうだから、「お茶の間パソコン」という言葉自体が意味ないのかもしれませんね。

 私がパソコン通信を始めたときは青森に住んでたのですが、そのときは目からウロコというか「部屋の壁に15インチの穴を開けてここから世界を覗ける」と思ったくらい衝撃的でした。はたから見ると機械相手に遊んでるとしか思えないのでしょうが、回線の向こうにいる世界中の人間を相手にしてるのじゃ!と思って楽しくて仕方なかったです。なんかすごい事ができそうで。

 それがいつからでしょうか。こんなにネットに期待できなくなったのは。なにかにつけ「インターネットは斜めに見てる」と言っておりますが、心の中ではこういう事を思ってるのでした。全部書いてすっきりしたかと言えばまだまだ書き足りません。続きはそのうちにまた。(またやんのか?)