★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

あの頃の喫茶店

2014年03月08日 10時17分27秒 | 徒然(つれづれ)
 昭和48年、大学生活を京都でスタートさせた。貧乏学生で暇だけは持て余していた。暇つぶしは喫茶店で粘る事。今でこそ喫茶店とは縁のない生活だが、あの頃は学校で友達に会うと「茶、行こか」で、よく行ったもので、喫茶店という言葉は、僕らの青春のキーワードのトップランキングのひとつだ。

 よく行った喫茶店を列挙してみたい。
 まずは四ノ宮の下宿の近くの「トップヒル」。バイトのお姉ちゃんが美人で、ホットミルクをよく飲んだ。四ノ宮駅そばの「プランタン」は、夜専門に通ってジュークボックスで当時の流行歌を聴いていた。ガロの「学生街の喫茶店」もここで初めて聴いた。

 河原町のジャズ喫茶「ビッグボーイ」や、四条木屋町のフォーク喫茶「琥珀」では、コーヒー1杯で何時間も粘ったものだ。ロココ調でゴージャスな紅茶の「リンデン」は河原町での待ち合わせに使っていた。

 出町柳駅の前の「カミ家珈琲」は、当時からレトロ調の雰囲気で、いつもモーニングを食べていた。コーヒーが好きでもない僕にとって、唯一美味しいと感じられる珈琲を出していた。

 大学近くの「わびすけ」は、そこはかとなく京風の格調が漂い、「ほんやら洞」はサブカルの聖域で、客にはヒッピーくずれや外人も多かった。新町学舎そばの「スペース」はフォークソング同好会「とんがりぼうし」の連中の溜り場だった。「デューク」はいつもビートルズナンバーをかけていた。

 三宅八幡前の「ピア」は、若後家さんがやっていた店で、バターライスが絶品だった。八幡前には若い夫婦が始めた「サンジェゴ」があったが、半年で潰れてしまった。

 昔はそれぞれの喫茶店に趣向を凝らしたマッチ箱が置いてあり、それを集めて下宿の壁に並べて眺めては悦に入っていたものだ。

 今はほとんどの喫茶店がなくなっている。
 僕らの青春の居場所達は、想い出の中にひっそりと佇んでいるだけだ。
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